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取手市大日山古墳群

関東鉄道常総線新取手駅の北東およそ1.2km、小貝川が直角に蛇行する右岸の台地周辺に分布していた古墳群です。現状3ヶ所古墳・古墳転用の塚とされる場所が有りますがいばらきデジタルマップでは円墳2基としてます。明瞭な墳丘は1基のみで、1基は再現埋葬マウンドで、もう1基は古墳でないとされてます。

群南東端の大日山古墳を北より見てます。墳頂に岡神社が鎮座し、参道になってる東南東側と、側面の方北東側に階段が設けられてます。
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直径約18m、高さ2.8mの円墳です。集められてる石塔は殆どが1800年以降のものです。

北西より神社背面側を見てます。この角度だと円墳に見えますが、実測図では社殿と同じ向きの長方形に見えます。
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手前側が開けてて、将門の愛妾である桔梗御前が住んでた朝日御殿跡地と伝わり、参道下った南側の元沼地は将門が討死した際に桔梗が入水したとも伝わってます。御殿跡と共に周溝の調査もされましたが見つかってません。

墳頂の岡神社社殿です。地元では平将門の墓として大切に遺されてる様です。
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墳丘東側に設置されてる解説板です。権現山古墳をはじめ数基の墳丘が削平され、付近で見つかったとされる遺物もこの墳丘のものとは確定されてません。
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大日山古墳の北およそ175mに在る仏島山古墳とされてたマウンドを東より見てます。実際には昭和の岡堰改良工事の際に大規模に台地ごと削平されてしまいました。
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元はこの辺まで続いてた台地上に先端を周溝で断ち切って築かれた円墳だった様です。

畑と水路で近付けないので西からぐるっと回って現墳丘を南南東より見てます。現状は直径約15mの円形の基壇に直径約8mの塚が築かれてます。
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現墳丘左手前にトレンチが設定され埋め立てた場所ではない事が判明し、基壇の外形は台地先端だったと思われます。

企画展の講演で見せて頂いた石碑の下の現主体部です。石棺材の板石を4枚箱組し、その中央に出土した骨片を入れた笠間焼か益子焼の壺を据え、もう一枚の板石で蓋をされてます。余った板石はその上に積まれてました。
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解説板です。そんな訳で旧藤代町時期は史跡でしたが、現在は除外されてます。
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今昔マップで明治期の地形を比較出来、南東から現墳丘付近に台地がせり出してるのが解ります。

このマウンドは民家を挟んで仏島山古墳のすぐ北西に在って、正面の地蔵のほか左手私有地側に仏島山古墳周囲に在ったと思われる石仏等を集めて並べられてます。
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ここも元は台地の端で、北西の「岡台地と平将門」の標柱の辺りへ続いたいました。

その解説板です。重要なのは最後の一行で、昭和8年まで平地でなかった事に触れられてます。当然今お住まいの方は土取りの後に来られたのでしょうから調べ返すまでは誰もが元々の地形だと疑う事も無かったのでしょうか・・・。
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延命寺は墳丘横から北西におよそ300mの堰の近くの場所へ移ってます。

その延命寺には群の1基である駒形古墳を転用し、将門の愛馬を葬った駒形様と呼ばれる塚が在ると伝わります。

お寺の方にお尋ねしたら、この将門の名の彫られた石祠の下が駒形様だそうです。寺の入り口横にも石祠を祀った塚が在ります。
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学芸員さんはどちらも古墳・もしくは元古墳の塚ですらないと断言されており、となれば残るのは大日山1基のみという事になります。
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横浜市市ヶ尾横穴墓群(その3)

B群の中央の3基を南より見てます。B-3号墓は隠れててB-1号墓が見えてますが・・・。
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B-3号墓です。見学窓付き閉塞墓はこの様になってますが、やはり湿度が高いのかワイパーが錆びてつまみが落ちてます。
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中はこうなってるみたいですが、ちょっと乾燥した日が続かないと見えそうに無いです。
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B-3、4号墓前には竹林に向かって、公園化当時見えてた眺望が描かれてますが、今は・・・全く見えません。
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B-4号墓もワイパーが壊れてて、しかもこれだけ窓に水滴が付く程蒸れてる様です。
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排水溝はA-12号墓の様に一番凝った作りの様ですが・・・。
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B-5号墓は訪問時は中に入って見学が出来ました。ここも深いので玄室が見えません。
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中に入ると奥壁が崩落しだしてました。ちょっと前に小さなお子さん連れで散歩されてる方もいて、危ないと思いました。
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訪問日に行く用のあった某施設でお話ししたところ市の職員さんを紹介され、この画像を見せたら後日対応をして下さったそうです。

解説パネルです。側壁も一部落ちてて、工具痕は判りませんでした。
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南に少し下がって南端の2基を見てます。
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B-6号墓です。A群の年表にも出て来てましたがこの1基が最も古く、玄門状に出っ張りを残して玄室と羨道を明確に分けてます。
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パネルだと羨道には排水溝が描かれてません。他にも同様の墓が有りますが、図に載ってない溝は保護の為に新設されたのでしょうか?
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B-7号墓です。ここだけ経年崩壊を防ぐ為に発砲スチロールを置き、発砲ウレタンを充填して埋め戻されてます。
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解説パネルは蓋の上に設置され、遺構の状況ではなく埋め戻し状況が図示されてます。
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横浜市市ヶ尾横穴墓群(その2)

A-9号墓は隣の8号墓と同様に中に入って見学できる様にされてましたが立入禁止措置が執られてました。
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パイロン越しに覗くと天井や壁の一部が崩壊していました。
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見た感じでは地震やいたずらではなく、地中を伸びてきた草木の根が原因に思えます。

パネルはA-8号墓と同様遺物併記ですが、設置場所が開口部向かって左側なので三面図の向きが変わってます。
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ウィキペディアでは崩壊前の面白い形状の天井画像が掲載されてます。

A-10号墓は閉じられてます。A-5号墓を先に見てないと閉塞石をモルタルで保護してる様に見えてたと思います。
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A-11号墓も同様です。A-2号墓からここまで横にずっと連なってます。
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A-11号墓から少し離れて、前庭を共有せず南を向いてるA-12号墓は見学窓から。
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棺座が復元され遺物も並べられてるのですが・・・天井の一部が落ちだして復元展示にかかってしまってます。

敷石や排水溝の状況も良く見て取れるのですが、照明も壊れたままで湿度が高いと横に落ちた須恵器瓶くらいしか見えません。
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A-12号墓のパネルにはその復元時の状況も図示されてます。
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A-12号墓の南側の横穴墓が無い場所は(?)展示スペースになっていろいろ学べます。こちらは古墳時代についていろいろな解説が書かれてます。
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ここは上の画像の右側に繋がってる市ヶ尾横穴墓群の整備についての説明パネルです。
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こちらのパネルは周辺地域の遺跡や公園内に植生してる樹木を紹介してます。
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A-12号墓から南に40m程離れてB群が分布してます。
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B群の北側の2基を見てます。訪問時は倒竹が酷く、B-1号墓前の竹を全部退けてから撮影しました。
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B-1号墓は閉塞されてますがA群より湿度が高いのか中は全然見えませんでした。
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パネルにワイパーの使用について書かれてますが、照明だけでなくワイパーも壊れて落ちてる場所も有ります。
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B-2号墓は中に入れます。玄室まで入って棺座を見てます。奥壁は補修部分が広いものの、開口したままの穴の中では最も状態が良いと思います。
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パネルです。出土した小玉の数が群を抜いて多いです。
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続きます。

横浜市市ヶ尾横穴墓群(その1)

稲荷前古墳群の東南東およそ750m、大場川を見下ろす舌状台地西面に6世紀後半から8世紀初頭にかけて築かれた19基の横穴墓群が県の指定史跡となり、遺跡公園として整備・保存されてます。一部サイトに紹介されてるC群1基はオフィシャルな記述が見つかりませんでした。

国道246号線市が尾駅前交差点より旧大山街道を北西に進み、およそ380m先のマンション前の丁字路を右折、そこから250m進んだ右手の階段の上が公園です。これは公園の南端の入り口横、全ての横穴墓より低い場所に建てられてる史跡表記です。
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これは両方の入り口から見学路を通ってくる合流点付近に設置されてるベンチの背もたれが群全体の解説パネルになってます。
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年季が入って破損が激しいです。

公園中央の広場の北側に築かれてるA群を見てます。
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こちらは広場北西隅のベンチ背もたれ解説パネルで、A群の分布状況や推定築造順、整備前の写真などが紹介されてます。
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最も西側のA-1号墓は開口部が寝そべる形の斜面に築かれ、保護のためコンクリートで蓋をされてます。
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隣のA-2号墓も同様です。パネルではA群では最も古いとされてますが、その構造から横浜市域の後期古墳および横穴墓についてでは4番目に築かれたとも推定されてます。
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リンク先の変遷表では今のA-3号墓からB-7まで1~17の通し番号が振られ、A-2号墓が18号、A-1号墓が19号とされてます。

A-2号墓右手からは崖部の垂直面に開口していて周囲をコンクリートで補強され、A-3号墓開口部は閉塞石を表す様な閉じ方をされてます。
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A-1号墓とともにA群では一番新しい時期のものと推定されてるA-4号墓も同様です。
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ここの開口部前には須恵器甕片が並んで出土しました。

A-5号墓も同様です。閉塞石表現は薄い石を貼ってたんですね・・・。
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A-6号墓は見学窓付きの蓋が造られてます。訪問時は雨上がりで、付属のワイパーでガラス目を拭いて見ています。
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横のパネルに整備状況が描かれてます。
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A-7号墓は4、5号墓と同様です。
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A-8号墓は間仕切りに注意しながら中に入って見学できます。
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前室より奥室を見てます。
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コンクリートで固定されてるのは間仕切り石だけで、人が入るからか整備された敷石はゴミと混ざって壁側へ偏ってしまってます。
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手前に見えるのは刀子・・・・ではありません。

A-8号墓のパネルには三面図のほか、豊富な遺物の詳細リストが併記されてます。
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続きます。

八千代町若(神社)古墳 歴史民俗資料館所蔵石棺

若(わか)古墳は町役場の東およそ450m、若行政区運動広場の南端に残されてます。

未調査ながら古墳時代後期の古墳群の1基と想定されてます。
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開かれる以前、山林だった時には未確認の墳丘が周囲に在ったと伝わりますが、墳丘のすぐ北側で安楽院の背後の大きな円墳状のマウンドは古墳ではないそうです。

北北西より真横から見てます。全長約21m高さ約1mの前方後円墳です。町指定史跡表記の看板が無いと古墳には見えません。多分右が後円部で、左が前方部の、北東向きだと思われます。
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町役場の南西、常陽銀行の向かいに建てられてる歴史民俗資料館は委託されてる資料も多く館内撮影禁止ですが、建物北側の屋外に町内出土の箱式石棺が2基展示されてます。

これは若古墳の東南東およそ1.7kmの畑で発見された太田古墳の石棺です。
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太田古墳は農耕の邪魔で削平され遺跡として登録もされてなかったのですが町営水道工事で発見され公になりました。

元の向きで南側から見てます。遺骸は東北側(右奥)を頭にして埋葬された模様です。
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石棺周囲に調査した範囲では周溝などの遺構が全く見つからず、元の墳形・規模は不明となってます。

石棺内部の様子です。L約2m×W55~72cm×D65cmの広さです。微かに弁柄の赤みが残っている様に見えます。
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中から成人男性2、男児1、成人女性2の5体分の人骨と銅鏡、金環、勾玉ほか玉類、直刀、刀子、鉄鏃などの豊富な副葬品が出土し6世紀後半の築造と推定されてます。

報告書が奈良文化研究所の全国遺跡報告総覧で紹介されてます。

こちらは町役場の南南東およそ4.8kmの畑で見つかった城山古墳群の矢尻古墳の石棺です。
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元の向きで南側から見てます。2基とも北東に頭を向けて埋葬されており、現在は180度向きを変えて復元されてます。
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こちらは調査の結果直径24mの円墳で、その周りに幅約2mの周溝が巡っていた事が判明してます。

石棺内部の様子です。L190cm×W約48cm×D約50cmの広さです。こちらも発見時弁柄が残っていて、先に塗った面を内側にして組まれた事が判明してます。
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中から副葬品は見つからなかったものの5~60代と30代の男性2体分の人骨が出土し、内1体の頭蓋骨は残りも良く刀による直線状の切断面が有り、調査後地主の方の祖先として墓地に再埋葬時も再び研究に使えるように分けられてます。

この様に地表下の所謂常総型の箱式石棺が消滅した墳丘も含め、まだまだ町内に多数埋もれていると考えられてます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のない40代です。

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