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沼田市秋塚9号墳

秋塚古墳群は奈良古墳群から薄根川右岸沿いに北北東へ1kmあまり上流側に分布していた15基以上から成る古墳群で、群中最大規模の9号墳のみが残され市の史跡に指定されてます。

西より見てて直径20m弱、高さ約3mの円墳です。北西側を農道、南東側を民家で削られ、間は15mちょっとの幅で残されてます。
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北より見てます。山寄式に築かれてるので道路側は1.5m弱の高さしかなく、育ち過ぎた雑草で高く見える感じです。解説板の左下から東側はほぼ元の墳裾と思われなだらかになってます。
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雑草が枯れても直線状の低い段差は農道を通した際の余剰土が積まれてる様にしか見えません・・・。

墳頂には石室の天井石の一部が露出してます。
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その為石祠がやや西寄りに祀られてました。
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羨門から天井石を失った羨道と玄門を見てます。南南東を向いた全長8.6mの無袖型横穴式石室は市内でも最長クラスです。
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奈良古墳群の一部の墳丘と同様に羨道は低く玄室だけ天井が高くなります。羨道の残った壁がまぐさ石よりも高く、ここも奈良2号墳などの様に玄門だけ一段天井が下がる形だったのでしょう。

玄室内部の様子です。L約5.5m×W1.7m×H約2mの広さです。雨中の訪問だったので玄門付近以外の壁面が濡れてて、これよりも奥でフラッシュを焚いたら反射して全然写ってくれませんでした(T T)。
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墳丘脇ではなく何故か墳丘上に設置されてる解説板です。町の名の由来として1基は残そうとなったそうで、管理も市ではなく町区会がされてます。
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この古墳群も墳丘の下に6世紀中頃の榛名山二ツ岳の噴火による軽石の層が有り、埴輪が全然出てない事から奈良古墳群と同時期の築造と考えられ、当墳丘は7世紀初頭の築造と推定されてます。
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笠間市御前塚古墳群(その4)


7号墳は藤塚古墳の東側に隣接して築かれて陪塚であると考えられてます。
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北東より見てます。現状東西約18m、南北約7m、高さ約1mの低いマウンドに削られてます。左手舗装の下から幅約2mの周溝が見つかり、その外縁形から推定される墳形は直径約24mの円墳です。

北西より見てます。撮影位置も含め墳丘の2/3程は藤塚古墳の周溝範囲内で、周溝外縁側から埋めて築かれてます。
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8号墳は7号墳の北に20m程離れて築かれた現状直径約10m、高さ約1.2mの円墳で、同じく1・2号墳の陪塚であると考えられてます。北東より見てて、背後は藤塚古墳です。
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手前市道脇より周溝の外縁の一部が検出され、直径16mの円墳であったと推定されてます。

北西より見てます。7号墳と違い藤塚古墳の周溝に重ならない様に築かれてましたが、最近まで手付かずの藪ですぐ横にお住いの方もここに塚が在るとは気付かなかったそうです。
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墳頂にはユニークな形の石塔が2基祀られてます。
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周囲のコの字の市道を7号墳の横まで中途半端に整備し、樹々も伐採されてまさか6号墳の様に宅地化されてしまうのでしょうか・・・。

9号墳は民家を挟んで7号墳の東およそ20mに在り、現状東西裾部を直線状に削られた直径約15m、高さ約2mの円墳です。
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南西より見てて、左手西面は墳丘を削って民家が建ち並びます。教えて頂いた御近所の方によると昔は木も生えず墳丘の上には石が出ていたのをハッキリ覚えていらっしゃるそうです。現状は下草が1m以上伸びて何も見えませんでした・・・。

笠間市御前塚古墳群(その3)

3号墳は藤塚古墳の西南西およそ480mの民家裏に在ります。

探していた時に近隣でたまたま除草作業から昼食に帰るところだった女性に尋ねたところ「60年以上居て古墳という話は出た事は無い」と前置きされた上で案内して頂けました。ありがとうございます。
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現状南北約14m、東西約7m、高さ約1.5mの長方形に削られていて、南に周って見るとなるほど資料にある様に石棺材がって・・・その奥にアレ?
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墳丘南東側に崩れかかってますがこの平面2m四方以上、厚さ20cm以上の巨石は石室の天井石で間違いないのではないでしょうか?
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右下の石が支えて出来てる空間にはホースなどの道具が置かれてます。

4号墳は御前塚古墳の北西およそ380m、六所神社の社殿の北側で蠶影(こかげ)神社の基壇となってます。南西より見てます。
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北より見てます。石で固められた境内側と違って径7~8m程度の円墳状の様子を残しています。
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元は直径約15m、高さ約1.5mほどの円墳であったと推定されてます。

社殿北西側にここを見に来た人が皆気になる塚が在り、怪しい石が置かれてますが詳細不明です。
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やや趣が異なるものの祠の後ろの猿田彦大神(?)の碑に使われてる石も含め石棺材である様には見えます。
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4号墳のモノかも含め怪しさプンプンですが、3号墳を見た後ではどれも小粒の石に見えてしまいます・・・。

5号墳は藤塚古墳の東およそ500mで唯一常磐線の東側に在った墳丘です。泉古市館という中世の土豪の居館跡の北東隅で、遺構を囲ってるトタン囲いがここだけ右手の土塁よりも北に突出してます。古くに破壊されていて墳形・規模は不明とされてます。
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高さ50cm程の残丘上に石棺材が出てるとされてますが、外れたトタンからはもっと高い土の高まりが見えるものの遺構なのか近代に加工されてものかはよく判りません。

この他3号墳と4号墳のほぼ中間の東で御前塚古墳の西およそ100mの宅地にはかつて6号墳が在って、造成時に石棺が出土してます。

もう1回続きます。

笠間市御前塚古墳群(その2)

藤塚古墳とも呼ばれる2号墳は御前塚古墳の南に隣接して築かれてる群中2番目に大きい円墳です。

墳丘北東側より見てます。右手から抜けられるかもと思いましたが途中から草刈りなどされておらず、むしろ北面側を8号墳の横に向かって切り開いてる途中に見えました。
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やや北側に退いて昨日の御前塚古墳を南から見た画像の位置より見てます。手前の市道の舗装工事の際幅の広い周溝外縁が検出され御前塚古墳の周溝とは5m程しか離れてませんでした。
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また画像右端周溝の底からは小型箱式石棺が見つかり、勾玉や土師器杯に滑石製の臼玉が269点が出土しました。

東より7号墳の横より見てます。現状直径約40m高さ約6.5mの規模です。幅16m以上の周溝を持ち、その外径は最大約88mに達すると考えられる事から、元々の墳丘は古くから伝わる様に御前塚古墳よりやや小さい規模だったと推定されてます。
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墳丘の脇が切り開かれて、周溝跡の様に見えますが道路でも造るのでしょうか?

南より見てます。建武の新政からちょうど600年後の昭和9年に後醍醐天皇の側近であった藤原藤房の銘碑が発見されたため、慰霊祭を行った上に翌年石碑が建立され、墳頂まで60m程の参道になってます。一見鳥居から奥の階段までが前方部にも見えてしまいますがこれは地形の様です。
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藤原藤房は鎌倉時代の末に倒幕運動が発覚して常陸国に流された人物で、幕府滅亡後復帰してます。

南面裾部より見上げてます。部分的に草刈りがされてるものの、信仰の対象となり得にくいのか全体的に荒れてる印象です。
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この付近から左手にかけて埴輪片が採集されていて、御前塚古墳と同時期かやや早い時期の築造と推定されてます。

墳頂には社殿はなく藤原藤房卿遺蹟碑だけが建てられてます。
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碑の周囲も含め墳頂は直径約15mの平坦面になってます。主体部は未調査ですが、隣接する私有地内に石棺材が露出してるそうです。
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続きます。

笠間市御前塚古墳群(その1)

御前塚古墳群はJR常磐線岩間駅南西およそ650mの主墳たる御前塚古墳を中心に、ほか8基の墳丘から成る古墳群です。

1号墳である御前塚古墳を北より見てます。撮影位置背後に笠間市郷土資料館という建物が在って、間は駐車場になってます。
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資料館は宍戸の歴史民俗資料館に完全移行してるのか長く使われてない様でした。

市内最大の円墳で、市の史跡に指定されており、北面裾部に史跡碑が立てられてます。
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最も良く見える西より見てます。直径約60m、高さ約6mの墳丘に幅約20mの周溝を廻らし、含めた直径は約100mに達します。
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グラウンドになってて若干裾部が削られていて、なおも崩れそうになってます。

南より見てます。9号墳を探しててこの辺りにお住いの方々とお話したのですが、このサイズでもあまり古墳としては認識されてないのが興味深かったです。
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3段築成と判明してますが、現状段築が見て取れるのは1段目と2段目の間のテラス面くらいでしょうか。
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墳頂は径20m弱の平面になっておりベンチが置かれ、かつては東屋も建ってました。円筒埴輪列が見つかっており、5世紀前半の築造と推定されてます。
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主体部は未調査ですが、築造時期からしてもこの中央の下に有るのでしょうか・・・。

史跡碑の横が墳頂への上り口になっていて、階段途中の左手に群唯一の説明板が設置されてます。
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続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のない40代です。

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