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柏陸軍飛行場跡

柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020でも触れられてた柏飛行場は、つくばエクスプレスららぽーと柏の葉駅の西側から北は常磐道柏インターチェンジ付近にかけて全長1500m、幅60mの滑走路を中心に造られてました。最終時の総面積は約264haに及びました。これは台東区や荒川区の1/4程の広さです。

駅の西南西およそ1.4kmには航空自衛隊柏送信所が在ります。ここは旧飛行場の兵舎が建ち並んだ場所で、その南側正面には営門の跡が残されてます。
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県道47号線に接し、直進すると県道279号線になってるので、この様に通行し辛そうにも拘らず交通量は少なくありません。

東側門柱の脇に設置されてる解説板です。
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掲載されてる飛行場見取り図です。図の右端辺りが現在のららぽーとの場所です。
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営門跡から県道47号線を600m程東へ進み柏の葉公園入口交差点から北へ進むと柏の葉公園通りがおよそ1.3kmの長さでほぼ直線になってますこれが滑走路の名残です。
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上の画像の場所、財務省税関研修所の横から東へ入り、クランクした先の道は東誘導路の跡です。北・西誘導路が消えた後も近年まで良く残ってましたが駅前の開発により柏の葉庭球場北側の約150mを残して消える様です。
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フェンスの隙間から事業予定地内を見てます。徒歩で来た場合はここから唯一見学できる掩体壕の横へ抜けられます。

左回りにぐるっと回ると造成中のエリアで一区画だけ民家が建ってる場所が目立ちます。ここが飛行場脇に造られた秋水燃料庫跡です。
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つい10年程前に遺構が見つかった時は藪の中だったのが嘘みたいです。千葉県の戦争遺跡さんが当時の画像を紹介されてます。

上の撮影位置の150m程北側の交差点から誘導路の続きを反対向きで見てます。一番奥の左右の電柱が先の画像の奥に見える2本です。
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既に舗装も剥がされマンホールだけが残り、横に建ってたホテルも全て解体されてました。

180度振り返って見てます。去年までは左手の土を盛った場所へ真っ直ぐ誘導路跡の道が続いてました。
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土盛りの奥の左側には少し前まで掩体壕も残っていてちょいと気ままに遺跡探訪(たまにレストア)&雑記さんが撤去前の誘導路跡から入って撮影されてます。

視線を左にずらしたここにもかつて掩体壕が在りました。見取り図の1600m表記の右下辺りで、「路」の字辺りを国道16号線が通ってます。
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奥の鉄塔の下は国道の先の香取神社北側で後述の掩体壕よりもやや大きい3基が残っていたとされますが、東側の1基はグーグルマップのストリートビューで削平が確認出来、鉄塔脇の2基もそれを撮ってる道路が廃されて工事囲いの中となり近付く事も出来ません。(多分運送会社の駐車場になってると思われます・・・)

交差点から北西に150m弱進んだ藪です。全然見通せませんがこの中の掩体壕は破壊が確認されてないので、現存してる可能性が高いです。
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ここはホテルも解体して「こんぶくろ池自然博物公園」拡大エリアとして整備されるハズで、もしかしたら5年後ぐらいには藪がなくなってるかもしれません。

更に200m程西へ進むと唯一見学できる掩体壕への散策路入口が見えて来ます。古い解説板の横から入ると二股に分かれていて、左奥に進むと土塁が見えて来ます。
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二股を真っ直ぐ進むと先ほどの誘導路跡のフェンスの脇に出ます。

無蓋掩体壕を南西より見てます。その名の通り屋根の無い形式で、秋水の為ではなく防空に当たっていた戦闘機「鍾馗」用と思われ、高さ約1.5mの土塁が内幅約18mの対角線の正方形の南側角を切り取った様な形になってます。
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79基造られた中で数少なくなった現存する貴重な1基であり、場所は見取り図の1600mの左下の1基です。

すぐ傍に現在の柏歴史クラブによる解説板(入口と同じものです)が有り飛行機の入れ方も良く解ります。
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隣には飛行場の解説板も設置されてます。
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柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020

今度の日曜日まで柏の葉T-SITEで開催中の「柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020」に行って来ました。

中に入った事が無かったのですが中央の廊下沿いに間仕切りで区切られたスペースが並びそれぞれ別なテーマで動いていて、一番北寄りのドッグカフェの向かい側、通常はドッグサロンになってる場所でした。
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区切ってるパネルの画像は秋水研究家の柴田氏が左右別々に撮られた写真を繋いだものがカラー化されたものです。

パネルの裏側は柏飛行場の模型にプロジェクターで映像を流してるのですが、会場は採光抜群なので実際はもっと薄い画像が動いててあまり見易くなかったですし、模型に気付かない(平面に見えた)人もいたのでは・・・?
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もし行かれる方がいたら夕方以降の方が良いかもしれません。

展示スペース中央にはノートパソコンでの映像表示の横に1/10サイズの秋水の模型が置かれてました。
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こちらは写真を撮られたり、一番注目を浴びてました。本を買いに来てた男の子とか真剣に見てました。

機尾側から見てます。普通の飛行機と違って前脚に当たる車輪は離陸後切り離され、帰りは滑空で降りて来て船の様な形状の機首下面で橇のように滑って着地する予定でした(後にB29編隊の中で自爆する計画に・・・)
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壁沿いには木村氏が撮影した貴重な写真とそれをカラー化したパネルに説明書きが加えらえれてます。
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展示は右にも続いていて、こちらのモニターの動画は音声もしっかり出ていて見易かったです。

柏歴史クラブで発行している一般書店では取り扱われていない「秋水燃料庫調査報告書」が欲しかったのですが、模型の横や書棚に見本しか置いてなくてレジでお聞きしたら、前日分まで売り切れて新入荷分を準備中だったとの事でまだ値札付きの袋に梱包されてない一冊を持って来て下さいました。とても詳しい内容だったので、それを参考に秋水 燃料庫跡の記事に5号燃料庫の画像を足した上で追記するなどの変更を加えました。

成毛右田(なるげみぎた)第2遺跡/林西遺跡の塚?

航空機飛び交う新東京国際空港B滑走路の北側延長上およそ2.5km、県道63号線と115が交わる土室交差点の西側に小泉揚水機場が在ります。
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周囲は成毛右田第2遺跡という縄文期と奈良~平安期の集落跡や包蔵地で、塚が有るとされてます。

塚についての資料は見つけてませんが揚水機場の南側に上円下方墳状のマウンドが在ります。南西より見てて、草刈りもされ管理されている一辺約18mの基壇に直径約6mの円形の上段が載って高さは約2.5m程の規模です。
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同様のマウンドは県道63号線沿いに北北東におよそ3.7kmにも見られますが古い航空写真には見えないそちらと異なり、ここは50年程前までは右隣(南東側)に建ってた民家の敷地内だったらしく、昭和49年の揚水機場建設に伴う調査では対象からは外れてたのではないでしょうか?

北西より見てます。同じ角度で8年前のグーグルマップのストリートビューを見ると手前側に一本の木が残っていて、一辺6m程度の方墳状のマウンドが横に写ってます。
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反対側の南東側近くには石碑が頂部に立つ直径約5m、高さ約1.5m強のマウンドが残ってます。
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この右側が先述の民家跡で今は農地になってますが、8年前は農作業で2基の間を車で通り抜けていた様です。

上段の円形のマウンドです。資料を見られてませんが3基のマウンドで中央のここだけが人工の高い場所に築かれてる理由が???です。
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これをそのまま上円下方墳とは考えませんが交差点の東側には土室古墳群が分布してますし、何かを祀ってるでもなくちゃんと管理されてる塚の正体は気になります・・・。


秋水 燃料庫跡

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅の北東およそ1.5km、市立花野井小学校西側の台地斜面にコンクリートでトンネルを埋めた様な場所が見られます。これは第二次大戦末期、ドイツのロケット戦闘機 Me163Bを参考に開発していたB29迎撃用戦闘機「秋水(Wikipedia)」のロケットエンジン用の燃料を駅北西側に在った柏飛行場(Wikipedia)から離したこの地に地下式で建設した跡です。
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ここは花野井3号燃料庫です。戦後一時期庫内に住みつく者がいたので埋められたそうです。

その北側にも草で隠れつつも1号燃料庫の開口してる場所(右)や埋められてる場所(左)が見られます。写真に撮るとただの台地斜面にしか見えませんが肉眼で見てるとそれぞれ残存状況がバラバラな遺構が幾つか見られます。飛行場周囲にも燃料庫の遺構は在り、開発で近年も破壊されてたり工事囲いで見られなかったりでしたが、全て住宅になった模様です。
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これらの中で過酸化水素や水化ヒドラジン等の液体燃料が保管されましたが、結局エンジンの開発は成功しませんでした。

そのすぐ西側に台地上に上がる階段が有り、上がって左手を見ると畑から斜めに逆さの電柱のような物体が突き出てます。
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これが1号燃料庫の通気孔で並んでいるのは幅の広いU字形の底辺の天井です。画像右端、柏ビレジを挟んだ先の台地上にきつね山古墳群が在ります。

これらはヒューム管と呼ばれる鉄筋コンクリートの筒で、現在も土管などで用いられる型枠を回転させながらそこにコンクリを流し遠心力で成型したモノです。
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鉄筋も見え、5本は15度位の角度を保ってますが、最も北寄りの1本は折れてました。

花野井燃料庫群の最南端、花野井交番の裏に在る5号燃料庫は覆土が無くほぼ全体が露出してます。
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L字に曲がった入口は閉鎖されてます。
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2020年12月7日(月)- 20日(日)9:00-21:00(最終日20日のみ17:00まで)に駅の北側、国道16号線沿いの柏の葉T-SITEに於いて「柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020」が開催されます。トークイベントも12月12日(土)15時~予定されYouTubeでLive配信のほか、先着申し込み制で街歩きイベント(受付初日で早々に定員に達したそうです)も企画されてます。

いつもはとんでもなく早く告知される加曾利貝塚の現説が今日行われましたが、秋になっても告知されないのでコロナ禍で今年は無いのかと油断してたら、いつの間にやら締め切られていて今年は参加出来ませんでした・・・。今年は場所を南に移した初年度で本腰は来年以降だそうなので期待します。

横浜市都築区大塚遺跡

横浜市営地下鉄センター北駅の南に建てられた横浜市歴史博物館、建物屋上階と歴博通りを挟んで歩道橋で結ばれた台地上には弥生時代の環壕集落である大塚遺跡と、同時代の墓地である歳勝土遺跡が公園化され保存されてます。
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大塚遺跡は所謂日本の城のはしりとも云える遺跡で、外敵から護る為のおよそ600mに渡る空堀に囲まれたムラの跡です。港北ニュータウンの開発に伴い全体が発掘調査出来た稀少な例となり、遺跡の西側2/3は消滅したものの、残った部分は国指定史跡になりました。
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博物館から橋を渡りスロープを上がると両遺跡の間の広場に出て、地面上に周囲の1/100で地形の模型が造られてます。最初は勾玉の様な形で台地上に堀を廻らせましたが、後に掘り直される際に北側の谷間を取り込むように改変されて長軸約200m、短軸約130mの長円形に近い形状に変わってます。
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台地斜面の木々も再現されていて、撮影前に落ち葉や枝などを掃除するのにちょっと時間が掛かってしまいました。

横に設置されてる解説板ですが肝心の現在地が見えません・・・。
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すぐ北東側に木柵が廻らされており、その中が大塚遺跡保存エリアで復元建築群などが見えます。
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木柵の内側には空堀が続いています。公園内の遺構部分夜間管理の為、堀の外側に高い土塁と柵という防御上では後の城郭と逆の構造になってますが、実際発掘調査では土塁として確認はされてないものの掘った土を外側に出したものが堀内に流れ入ってた状態だった事が判明し、こういう構造であったと推定されてます。
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本物の遺構はこの下約1.5mの地中に保存されており、幅最大約4.5m、深さ最大約2.5mでもっとしっかりした空堀です。

入口の外側には、大部分が失われた遺構の整備状況の説明板が設置されてます。こちらは現在地もハッキリ見えます。
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その平面図部分を拡大・着色しました。青い部分が残存部分で、緑が復元された住居と倉庫で、矢印は消滅部分から移した高床倉庫とY-17号竪穴式住居跡です。
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入口通路のすぐ南側には木橋が再現されてます。こう見ると旧状の入り口の復元に見えますが・・・
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横に設置されてる解説板に書かれてる様に実際の木橋の跡は遺跡の反対側でしか見つかっておらず、歳勝土遺跡に向かう出入口が有ったハズと想定の上造られてます。
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遺跡内には7棟の竪穴式住居が推定復元されており、中にも入れます。遺跡全体では85軒の住居跡が見つかってます。
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これはY-2号住居で、元は小型住居だったものを建て替え時に拡張された大型住居である事が判明しました。

また10ヶ所で見つかった掘立柱建物跡を高床倉庫と推定し、先の図にある様に西側消滅部分に在った1棟を場所を移して推定復元されてますが、こちらは入室出来ません。
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その解説板です。
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復元されなかった住居跡は埋め戻しの上位置表示がされてます。これはY-79住居跡です。
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その説明板には発掘時の航空写真が使われてますがよく見ると堀の内側が掘り直したためかところどころ二段になってるのが分かります。
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1軒だけ珍しい例として消滅部分からY-17号住居跡の発掘調査時の状況が入口近くにコピーして再現されてます。
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2度拡張され、それぞれ別の位置に通路と思われる溝が続いていました。

内側の細い溝が1度目の拡張された住居跡で、その外側が更に拡張された時の跡です。柱穴とごっちゃになるからか最初の小型住居跡は再現されてません。
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その解説板に造り方や材質について書かれてます。
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ちなみに今現在でも地中の遺構の保存は難しいそうで、水気が多い場所などでは掘るまで何百年も保ってた遺構が埋め戻し後短期間で埋めた土砂と混ざって次第に消えてしまう事も有るそうです。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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