FC2ブログ

綿貫観音山古墳ちょっとだけ再訪

予定が有るので立ち寄るつもりは無かったのですが、普賢寺から県道13号線に出るのに綿貫観音山古墳の横を通ったら野焼きのすぐ後で真っ黒けだったので急遽撮影しました。
watanukikannonsw.jpg
地元の方には毎年恒例の行事だとは思いますが、ネット上にもこの姿はあまり紹介されてはいないみたいなので・・・。

昨年講演会で墳丘整備における木の伐採と、その後の草刈りは人件費も時間もかかると聞いてたので、古墳公園管理センターにいらした方にお伺いしたら、野焼きはものの30分程度で済むそうです。
watanukikannone.jpg

時間の余裕は無かったのですが、石室の電気を点けてると教えて頂いたのでちょこっと上がってみました。
watanukikannonzentei.jpg
新たに開口部の格子戸には消灯時用にか(?)石室の写真が掲示されてます。左壁側の石が若干動いてる気もします。

前回は暗くて下の方しか写ってませんでしたが、今回は中の照明が点いていて天井や奥壁まで良く見えました。戻り際にお礼を言いに行ったら、管理中に詠まれた誌や配布用の資料を頂きました。
watanukikannonsekisitunew.jpg
自分は見終わっていたので頂きませんでしたが、この大きい墳丘の推薦見学ルート図や綿貫古墳群の簡易分布図も有るそうなので、初めて訪れる方は駐車場近くのトイレの隣の管理センターを尋ねると良いかもしれません。
スポンサーサイト



高崎市綿貫普賢寺裏古墳再訪

不動山古墳と共に、北側に並んでいる普賢寺裏古墳も立ち寄りました。お寺にお願いして駐車場をちょっとお借りして、墳丘をグルグル見学させて頂けました。

前回は前方部しか見えなかった南側より全景を見てます。肉眼で見る分にはこの様に歪んでは見えず、綺麗な墳形を保っているのが見て取れます。
watanukihugenjiuras.jpg

南東より見てます。以前は後円部南面が下草が無くて上がり口みたいになってたのですが、今は墳頂へと続く草刈りされた場所は無くなってました。
watanukihugenjiurase.jpg

後円部東側の周溝跡の微低地を見てます。奥の太陽光パネルを載せた民家は岩鼻村20号墳の址です。
watanukihugenjiurashuko.jpg

許可を頂き墳丘上へ上がらせて頂いて、前方部より後円部を見てます。
watanukihugenjiuraftor.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。
watanukihugenjiurartof.jpg

再度振り返って後円部墳頂の様子です。伐採前よりも下草は増えて引っ付き虫もいっぱい生えてました。
watanukihugenjiurartop.jpg

北側にも回ってみました。前回は岩鼻村20号墳址越しに見たのですが今は民家が建って見えなくなってしまいました。西隣のお宅にお声がけしたのですがお留守で、去り際に一枚だけ撮らせて頂きましたが、冬場でも手前の植樹が邪魔で写真だと良くは見えませんでした。
watanukihugenjiurane.jpg

ちなみにお寺で境内に見られる二つのマウンドについてもお伺いしましたが、残ってる古墳としては裏古墳とこの堀米内1547所在古墳しか伝えられてはいないそうです。
1547nw2.jpg

高崎市綿貫不動山古墳再訪

もう一年前になってしまうのですが古墳探訪記さんが綿貫古墳群で木の伐採が行われた事を記事にされてたのを拝見していて、今までの高崎市の墳丘は全部一日で周ったため1基づつをしっかり撮ってない事もあったので初冬の不動山古墳を撮影しました。

前回群として記事にした際以降の新発見は無いみたいなので、撮ってない角度も巡りながら見て行きます。まず南西より見てます。
watanukifudouyamasw.jpg
下から不動尊堂に石棺の覆屋までも丸見えになってます。

東より見てます。参道の途中へ上がる坂は元から有ったのでしょうか・・・?北面へのスロープはそのまま前方部上へ続いてました。
watanukifudouyamae.jpg

一部に金属で擦った様な跡の見えた参道下の説明板も修復されてます。
watanukifudouyamasetumei.jpg

やっつけで繋げて見ましたが真横からのアングルで見てます。バス停の横の祠は以前は全く気付きませんでした。
watanukifudouyamas.jpg

冬場でそう見えるだけかもしれませんが、周溝跡も整備されて見えます。
watanukifudouyamashuko.jpg

削られた前方部の上より後円部を見てます。切り株の見える辺りが前方部の本来の高さでしょう。
watanukifudouyamaftor.jpg

手摺の奥で枝葉の陰で見難かった参道の階段脇の解説板は少し移動してるように見えますが気のせいでしょうか?
watanukifudouyamakaisetu.jpg

階段上に立つ史跡記念碑です。
watanukifudouyamasekihi.jpg

その記念碑が立つ南端、不動尊堂の建つ中央、土塁状に削り残された北端の3段になってる後円部墳頂もすっかり見開けてました。
watanukifudouyamartop.jpg

なので後円部墳頂から前方部を見下ろしてます。下から見るのと違ってくびれ部が一部残っているのが良く分かります。
watanukifudouyamartof.jpg

石棺の覆屋周囲もこんな感じで、見開けた分逆光になってしまった立て札だけは手持ちの機器では真っ黒に写ってしまいました・・・。
watanukifudouyamartop2.jpg

以前はくもの巣だらけだった石棺も綺麗になってました。
watanukifudouyamasekkan.jpg

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群C群(後編)

六反支群西端で高橋塚古墳の南西側に15m程離れてる美久里地区106号墳を南西より見てます。
mikuri106sw.jpg
ここから102号墳までは直線の道が間を抜けて通され、間近で墳丘が見られます。

高橋塚古墳側の北東より見てます。直径約12m、高さ約2.5mの円墳です。
mikuri106ne.jpg

106号墳の東南東約25mに在る美久里地区105号墳を北西より見てます。
mikuri105nw.jpg

北東より見てます。106号墳とほぼ同じ規模ですが、こちらは礫も露出せず保護の土盛りで形を整えたかの様に綺麗な墳形をしています。
mikuri105ne.jpg
高橋塚古墳後円部と113号墳とは、ほぼ等間隔で南北に真っ直ぐ並んでます。

105号墳の東約15mに在る美久里地区104号墳を西より見てます。
mikuri104sw.jpg
新設された道が墳丘横で丁字路になっていて、左に進むと奥に見えるB-3群の横に着きます。

南東より見てます。やや崩れて見えますが直径約12m、高さ約2mの規模で川原石が全面に見られます。
mikuri104se.jpg

104号墳の南東に30m程離れて在る美久里地区102号墳を西より見てます。奥にB-2群が見えます。
mikuri102w.jpg
ここも保護の為土を盛られて一辺約7m、高さ約1.8mの方墳状になってます。

南南東より見てます。調査時の実測図だと右手前側に造出し状にマウンドが延びていた様ですが・・・。
mikuri102s.jpg

102号墳の北に30m程離れていて共にC群東端に在る美久里地区94号墳を西南西より見てます。
mikuri94s.jpg

北より見てます。周囲を耕作で削られて現状は長軸約13m、短軸約2.5m、高さ1m弱の三角棒状になってしまってます。
mikuri94nw.jpg
農耕機で上がってるのか中央付近から手前側は更に高さも失っており、一見耕作の邪魔になる川原石が寄せられてる様に見えます。

北西より近付いて見てます。逆光で色が飛んでますが埴輪片が川原石に混ざって散見されます。
mikuri94wside.jpg
現状の高まりが主体部に沿ってるとも考えにくく、もしかしたら手前の段差になってる部分が石室跡だったりするのかもしれません。

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群C群(前編)

C群はB-3群の南西側、B-2群の北西側に分布し、各墳丘を少し話して密集させずに築いています。
jindasanbongiCn.jpg
右奥の山の上の鉄塔の少し右奥の山頂に浅間神社古墳が在ります。

C群の中央に位置する前方後円墳で、高橋塚古墳と呼ばれ整備前は美久里地区111号墳と呼ばれてたK‐15号墳を南南東より真横から見てます。
mikuri111se.jpg
この向きだと西南西を向く墳長24m、高さ3.5mの規模も、右が後円部で左が前方部の墳形も綺麗に残されている様に見えますが・・・

残る墳丘でシンボル的存在でもあり位置的にも中心的場所になる事から、この墳丘の横に標柱と
jindasanbongihyochu.jpg

群の解説板が設置されてます。位置的には分布図中央やや右の星マーク(☆)が分散する辺りです。
jindasanbongikaisetu.jpg

南西側から見るとと農地整理時の新しい境界で調査後に主軸線に対して斜めに直線状に北東側を削られ、前方部先端がほぼ失われてます。
mikuri111sw.jpg

前方部より後円部を見てます。調査・整備時に墳丘上の木は伐採されました。
mikuri111ftor.jpg
この左手、後円部の西側およそ30mには1970年代の終わりまで円墳(112号墳?)がもう1基残ってました。調査はされてないみたいですが、当時の航空写真だと丸く土取りされた地面が写ってます・・・。

後円部で180度振り返って前方部を見てます。左側も旧農道だったので若干削られています。
mikuri111rtof2.jpg
ワンチャンで全貌を見学出来た8年前に訪問されてる埼群古墳館別館さんの画像と比較すると・・・・゚・(つД`)・゚・。

整備前は後円部南面に崩れかけた横穴式石室が開口していましたが埋め戻され、後円部墳頂に露出する石材だけがそれを偲ばせてくれます。向きからすると奥壁の石材でしょうか?
mikuri111rtop.jpg
中は凝灰岩の切石積みの無袖型横穴式石室です。

葺石も多く見られます。右上の石が目立たない部分が石室埋戻し跡です。
mikuri111hukiisi.jpg
円筒埴輪や形象埴輪、須恵器が出土してます。

高橋塚古墳の上から北に15m程離れて築かれてる美久里地区113号墳を見下ろしてます。
mikuri113se.jpg
背後に114号墳も見えてます。

西より見てます。直径約15m、高さ約3mの円墳です。盛土で保護されてか葺石等は全然見えません。
mikuri113w.jpg

更に10m程の間隔を開けて北北西側に築かれている美久里地区114号墳を西より見てます。
mikuri114nw.jpg
直径約15mの円墳ですが、この1基は墳丘上が畑になっていたため低いマウンドになっていて、新設された舗装路で北西面を削られてます。

北東より見てます。ここの東面も整備時に買収出来なかった部分だけ直線状に削られてしまった様です・・・。
mikuri114n.jpg
画像右奥の東京電力美九里変電所の下は神田・三本木古墳群A地点として推定4基の円墳が検出されてます。埴輪や須恵器が出土してますが六反支群よりも先の調査だったので別個にK‐〇号墳の名称が振られてます。

神田・三本木古墳群はあと一回続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR