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秦野市岩井戸横穴墓群

欠ノ上横穴墓群から用水路沿いに北西へおよそ150m、下大槻団地が建ち並ぶ台地下に分布するのが岩井戸横穴墓群です。50基以上で構成とされますが、民有地となってて自由な見学は難しい上に後世に採石などで掘られた穴も有って、度々確認調査が行われてます。

7~8世紀前半にかけて営まれた横穴墓よ考えられ、人骨や直刀、須恵器、土師器などが出土してます。市役所の紹介ページに一部出土品が掲載されてます。

こちらはマンション裏手で、住民の方がわざわざ車を移動して撮らせて下さった西寄りの1基です。どうもありがとうございました。
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見辛い画像ですが、御厚意に甘えた上に散らかす訳にもいきませんので・・・。

その右手の1基です。駐車場やタンクを設置のために台地を削っているので、奥側の一部のみ残った状態です。
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更に右手の1基です。
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近くの民家の敷地内には市道からも数基並んでいるのが見えましたが、お留守の様子だったので外から見えた最も大きい1基を。
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基本的に一般に公開はされてませんが、状態の良いところは棺座や専門の石積みも残ってます。oobuta日記さんがその中の貴重な数基を撮影されてます。
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秦野市欠ノ上横穴墓群

欠ノ上横穴墓群は小田急東海大学前駅の南南西およそ1.8km、金目川沿いの県道62号線から歩行者だけ川を渡れる欠の上人道橋北側の用水路脇に分布する8基から成る横穴墓です。
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この2基の左側は護岸工事によって固められていて、旧状は偲べません・・・。

左下の1基です。開口部に土砂が堆積してます。撮影後程なくして上部の岩盤が崩落したみたいで、現在はその上で落ちた岩が更に開口部を塞いでいるようです。
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何故こんなフェンスが設置されてて大きく曲がってるのかと思いましたが、群の上を通る道からここまで見学出来た時もあったのでしょうか・・・?

右上の1基です。同じく開口部が埋まりかけていて、上部は崩落し始めててヒビも見えます。
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やや離れて南側にもう一ヶ所らしい場所が見えますが、手前が草で隠されゴミも落ちててよく見えません・・・。
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横浜市綱島古墳

東急東横線綱島駅の北およそ200m、鶴見川左岸の台地上の綱島公園南端の斜面に在る古墳です。

駅から公園坂通りを北上し綱島稲荷社の鳥居の横から墳丘脇へ上がって行くと墳丘北東側に標柱が立ってます。
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以前はちょうしん塚とも呼ばれ円墳であると考えられてましたが、市史編纂に伴う測量調査の結果この左奥に張り出し部が確認され前方部の発達してない前方後円墳の可能性が高まり、市内の冨塚古墳ともよく似た墳形と考えられてます。

南西より見てます。このレベルで右奥に10m弱の張り出しが有って、それを含むと全長約27m、高さ約3mの規模になります。
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柵で区切られた手前には戦後茶道研究家の粟田添星が初めて設計した茶室の桃里庵が建てられてました。基礎が残っていて撮影しようと戻ったら熟女系のアダルティな撮影が始まってしまい断念。休日の日中にこんな場所で・・・。

北西より見てます。平成になって試掘調査が行われ墳頂に木棺直葬と思われる主体部が見つかり直刀・刀子・鉄鏃などが出土しました。
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後円部北側に設置されてる解説板です。標柱もですが空気銃での悪戯が痛々しいです。
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笹藪化する前の解説板の写真です。汚れも酷いので加工してます。左手前が新たに見つかった張り出し(前方部)です。
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裾部からは円筒埴輪や須恵器甕、土師器坩などが出土し、それらから5世紀末の築造と推定されてます。出土を記念した(?)埴輪型モニュメントが設置されてますが、すぐ脇に解説のものと思しきパネルが固定されてるのに帰宅後気付きました・・・。
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PCの調子も悪い上にブログ開始後4っつの記録媒体が壊れてデータを失い、更にこのご時世でもう3ヵ月以上資料収集・確認模してませんので更新が途切れてしまうかもしれません( ノД`)。

逗子市/葉山町長柄桜山古墳群(後編)

2号墳からふれあいロードを東へおよそ500m進むと右手に1号墳が見えて来ます。
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こちらは発見後発掘調査されいろいろと判明しましたが、その為か墳丘の土が流出し易くなっていて、保全のため周囲は立入禁止になってます。

その左側には自然の回廊プロジェクトによる解説板が設置されてます。
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後円部からは2号墳と同じく円筒埴輪や壺形埴輪片が出土し、墳頂では埴輪列が確認されやはり4世紀後半の築造と推定されてます。

北西より真横から見てます。全長91.3m、高さ7.7mで南南西向きの県内最大の前方後円墳です。
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後円部は3段、前方部は2段で築かれ、地山を削って形を出してその上部に1.5m程土を盛って仕上げ、葺石は施されていません。

北北西より見てます。シートで護られてるのは主に後円部西側と段築のテラス面付近のようです。地滑りによって東側に墳丘が傾いてもいるそうです。
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古墳発見後開発には規制が入りストップしましたが左端の木の陰、後円部の一部は団地造成で削られてしまってます。

こちら側には市教育委員会による解説板が設置されてます。図にある様に後円部墳頂で未盗掘と思われる粘土槨の主体部が1基確認されてますが、発掘はされてません。
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保護シートの場所やこのお願い書きを見ると斜面が弱くなってしまってるのは人が頻繁に上り下りしたからかもしれません・・・?

おまけ

北側の六代御前まえバス停からの登り口の横に鎌倉時代の墳墓と伝わる六代御前の墓伝説地が在ります。右側が古墳群への登坂路です。
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古写真では坂が無いので石柱の有る段が高いまま右へ続き、その下にもう1段有って参拝の階段を挟んで綺麗な対称形をしていたようです。

直径12~3m程の丘陵から六代御前が処刑された田越川側へ突き出たマウンドを改変した様な状態です。
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上の画像で写ってる由緒書きにも墳墓と明記されてます。真偽は兎も角頼朝死後の権力争いは相当暗黒だった様で、どの説を読んでも気分の良いものではありません。
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その横に立つ石柱にもお花を供えられる様になってるのは日本らしいところでしょうか。正面でないのは墳頂の墓碑と向きを合わせてるものと思われます。
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その一段上に市教育委員会による解説板が設置されてます。六代御前とは平清盛の曾孫の平高清の事で、平氏を盛り上げた清盛の祖父正盛から数えて六代目の、平家最後の嫡流であったとされます。
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墳頂の墓です。墓碑が幹回り5mの欅に取り込まれ浮いてしまってます。
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木の成長に伴って囲いも拡張されてます。

南面、参拝路の反対側は丘陵から独立した塚状のままです。
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古写真でも北面は石で固められてるのですが、元は三段築盛で直径15m程の円墳の様な姿だったのではないでしょうか。

逗子市/葉山町長柄桜山古墳群(前編)

京急新逗子駅南方の葉山町との境になってる丘陵上でほんの20年ほど前に古墳と判った県内1、2位の規模を誇る前方後円墳2基から成る古墳群で国指定史跡になってます。

明治期の地形図なんかを見てると東の葉桜公園辺りにももう1基あったのではないか?と思ってしまいますが、携帯電話の基地局建設に伴う工事の際1号墳で埴輪片が見つかり、そこから桜山トンネル直上の地形も怪しいのではないかという地元研究家の意見から2号墳も確認されました。

丘陵上は発見以前から散策ルートとなっていて、現在は「ふれあいロード」として親しまれています。途中がカットされてますが両墳丘の間の道のりはおよそ500mです。
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図と現状異なる点として2号墳前方部に北西からアクセスする道と後円部から県道311号線へ下りる道が出来て、郷土資料館は閉鎖されてました。

田越川側から登って上の周辺マップの少し手前で1号墳と2号墳への分かれ道になってますが、皆さん墳丘上のルートを選ぶのか1号墳へのショートカットは訪問日は荒れて通り辛くなってました。
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まず左手に発掘調査時の写真を載せた自然の回廊プロジェクトによる解説板が見えて来ます。
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そこから前方部の北西隅を登る様に進むと樹木が多いものの墳形が見えて来ます。
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全長約88m、高さ8.7mの西向きの前方後円墳で、中央が前方部、左奥が後円部です。

下草が生えてない場所では葺石があちらこちらで見られます。
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前方部の端に上がりきると遠く9km先の江の島と湘南の海が良く見えます。
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前方部より後円部を見てます。やはり昨年の台風の影響か、危なそうな枝は皆切り落とされてて、航空写真では想像出来ない程上が開いてます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。墳丘として前方部は後円部よりも1.4m高さが有るのですが、墳丘自体が後円部側に傾斜してるため、標高差はその半分程です。
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後円部墳頂の様子です。標高がちょうど100mになってて、左手墳頂北側に後世のものと思われる塚が有ります。
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北東側にふれあいロードを下りると標柱と市教育委員会による解説板が設置されてますが、解説板は落ちてボロボロでした。
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そこから南に周って後円部南西側より見てます。真横から撮りたかったのですが、尾根の地形を利用して築かれてるので叶いませんでした。
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反対側も伐採した枝を積んであって後円部が写せず断念・・・。

そこから南の県道交差点に下る階段の近くに、市教育委員会の解説板がもう一枚設置されてます。
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古墳と確認するための調査しかされてないので、円筒埴輪や壺形埴輪のかけらが採集されてるだけで主体部も不明ですが4世紀後半の築造と推定され、南関東では初めて見つかった葺石と埴輪を持つ古墳とされてます。

続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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