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北区赤羽台古墳群3号墳移築石室

赤羽台古墳群はJR京浜東北線赤羽駅の北、星美学園周辺の荒川を北に見下ろす台地上に分布する古墳群ですが、学園敷地内最も奥の1号墳(直径約10m)を残して全て削平されてます。その1号墳も女子短大に付属の小中高と幼稚園と見学にはハードルが高い場所ですが、外からは少しも見えません。古墳なうさんが学園内を取材され、1号墳の画像を紹介されてます。

一般で見学出来る遺構としては群から南南西におよそ4km、区中央公園文化センターの東側に東北新幹線のトンネル工事の際の調査で発見された3号墳の横穴式石室が移設されてます。
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石室は覆屋で保護され、東京砲兵工廠銃包製造所のボイラーの部品や耐震煙突の銘板と一緒に展示されてます。

石室はのぞき窓と、天井の明り取りや奥壁側の小窓から入る光だけが頼りで、肉眼ではもっと暗かったです。しかも固定されたのぞき窓の内側に蜘蛛の巣が・・・。
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群中北端の台地が張り出した先端で見つかった推定直径12mの円墳と考えられる円墳に東北東向きで開口する石室でした。

蜘蛛の巣の薄い範囲で目線を上げてフラッシュを焚いてます。内寸L約4m×W約1mの広さで、大小の礫を敷いた上に貝殻を敷いたと推定され、残存状況の良かった奥壁側ではマガキの殻が良く残ってました。その為か4~6人分の人骨と歯が見つかってます。また副葬品として貝床付近で直刀や弓金具・刀子・耳環・鉄鏃・管玉・ガラス小玉などが出土してます。
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60m程南東で見つかった4号墳の石室と共に6世紀後半の築造と推定され、北東向きで凝灰質砂岩の自然石を積んだ長方形の玄室の特徴が一致します。

保存施設の左側の壁に解説パネルが並んでます。ちょっと横長になるので分割してまずは左側から。
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円墳は直径約23mの5号墳から直径約9mの15号墳まで15基が確認されてます。南東の八幡神社南側斜面からは18基の横穴墓が確認されました。

次は中央部です。4号墳では同様の副葬品が出たほか、群中で唯一円筒埴輪や人物・家形・馬形などの形象埴輪が前庭や周溝から出土してます。
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人物埴輪は埼玉古墳群の白山2号墳のモノと良く似ていて同時期に同じ場所で生産された可能性が有ります。

右側です。光沢の有る陶器のパネルなので調査中の写真が・・・。4号墳の石室はこれよりもやや幅広でしたが現物の保存は叶わず、型取りしてレプリカが造られてます。
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一方2基の南側で見つかった5~7号墳は切石積み(6号墳は石は抜かれてました)の胴張形の玄室で、刀・鉄鏃・耳環・金銅製金具・須恵器などの副葬品が出土し、7世紀前半の築造と推定されてます。それ以外の墳丘では主体部は確認されてません。
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文京区富士神社古墳

JR山手線駒込駅の南およそ650m、六義園の南東側はす向かいで本郷通りの一本裏手に富士神社が在ります。その境内北端に前方後円墳とされてる富士神社古墳が在り社殿を載せた富士塚として今に続きます。

南より見てます。現状全長約50.6m、高さ約5.5mの規模で、左手の社殿を載せ上り階段の見えるのが後円部で、右手のやや低く下り階段の見えるのが前方部と推定されてます。
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いつものやっつけ画ですが実測図を素に南西から見下ろした図を描いてみました。北面が早くに直線状に削られて更に社殿の西側が変形していて、前方後円墳に見えますが直径50m級の円墳の北端が削られてる様にも見えます。
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勿論学術的発掘調査をしない限り墳形は不明ですし、そもそも文京区では幾つかの古墳、または古墳址と伝わる場所で古墳と認められる遺構は全然見つかってない現状では後世の塚の可能性すら有ります。古墳なうさんではそれを踏まえてトーンを落とした表現でここを再訪問されてます。

墳丘北面はとても真横から全景は見られませんので無理やり合成してみました。しかし道路で直線状に削られて固められてるので元の墳形をこちら側から想像するのは難しいです。
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上の画像では歪んでますが、斜めから見るとこの通りです。北東より前方部の角から見た形になります。
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現在は裾部は石垣と擁壁によってほぼ垂直に立ち上がってますが、南西側道路脇にかつてのなだらかな裾部形状を偲べる場所が有ります。
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境内西側の道路が早くに通され斜めに擁壁が立ち上がっていて、かつてはそのまま右手の参道へ弧を描いてましたが後に神輿庫建設の際に間に通路が確保され削られたり盛られたりと改変されてます。

南面くびれ部の中腹に胎内洞穴が開いてます。古墳としたら怪しい場所なのですが立ち入り禁止で、祟りに怯えつつも区役所の方が記録撮影された画像を見せて頂きましたら、奥行きも無く古墳の石室でもその転用でも無さそうです。
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前方部より後円部を見てます。どちらも平らに均され1.5m弱の高低差しか有りません。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。左手に十五朗穴でも出てきた曽我兄弟を祀る曽我御霊社、右手に富士講の小御嶽社が並びます。
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東北東の主軸線で見ても15m程の長さで、現状を復元したとしても帆立貝形の造出し程度の広さです。すぐ隣接する民家が墳丘を削っている可能性も有ります。

後円部墳頂に鎮座する富士神社です。グーグルマップなど地図によっては胎内洞穴周辺の石塔が集まる場所を駒込富士神社と併記してます。
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神社は17世紀の寛永期に赤門の残る旧加賀藩上屋敷の中に在った椿山古墳とされる塚上より移転されて来ましたが、墳丘はそのずっと前から富士塚と呼ばれていたとも伝わります。

後円部南側に立てられてる神社の説明板です。一応前方後円墳の可能性についても触れられてます。
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北区十条富士塚現状

北区中十条の都道460号線(旧岩槻街道)の拡幅工事も進み富士塚(古墳)の木の伐採や塚に配された石のチェックもあらかた済んで、いよいよ石を退けたら学術調査をしながら削り始めるとの事で、再訪してみました。

また参道の有る東より見てます。石碑から階段の一つ一つまで移動後も把握出来るようチェックされ、解説板や柵、ブロック塀などは撤去されてました。
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北東より見てます。西隣の王子消防団第五分団本部と横断歩道左側のポールが撤去されて、工事囲いに工事の説明などが告知されてます。
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北西より塚の背面を見てます。電柱の右が消防団本部跡で、この後元の塚頂の高さに合わせて階段付きの塚本体が建設され、祠を移設します。
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これは道路越しに塚の北側に掲示されてるお知らせです。
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お知らせは南向きで日光の反射がキツイので工事囲いの方の行程説明より。てっきり拡幅部分から新しい塚頂にかけて斜めに削るのかと思ってましたが、これを見ると一度ほぼほぼ全部を削平してしまうようです。これでは古墳にしろ塚にしろ消滅に近いですね・・・。
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まさに現状を表すCGです。
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そして整備後のイメージのCGです。図的に鳥居の位置が同じに見えますが、勿論西側へ移動してます。新設される登山道は模擬で通行は禁止でしょうか・・・?
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またこれを見て初めて知ったのですが、社務所を建てる為に南面も大分小さくなります。

最後に南東側の歩道橋の上より見てます。今コーンの列の横に立ってる鳥居は左の建物前面と並ぶ位置まで退がります。
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文京区曙町古墳?

曙町古墳は白山神社古墳の北北東200mあまり、旧白山通りが白山上交差点から緩やかな坂を下り西へカーブしていく右手、下総の地を治め老中まで務めた土井利勝の下屋敷跡に在ったとされ、民俗学者の鳥居龍蔵氏が円墳と主張した詳細不明の古墳(?)です。

およそ50年前には墳丘らしきものは既に見つからなかったとされてます。旧白山通りも墳丘址を挟んだ一方通行の裏道も戦前にはほぼ現在と同じ道筋になっていた様で地形もそう変わってないものと考えられ、谷間へ下る台地斜面下方の墳丘推定地はもっと斜面の上の方だったのではないか?と思い、怪しく見える場所を訪問してみました。なので今日の記事は勝手に私が怪しいと思ってるだけの妄想的内容になります・・・。

一方通行路の北側、龍光寺の墓地内には微妙な高低差が見られ、その南東端はお寺の歴代墓所とされる東西約15m、南北約7m、高さ約2mの高まりが在ります。
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訪問時は御住職が外に出てて、外人女性の修行僧さん(?)しかいらっしゃらなかったので歴史的な事は分かりませんでした。

南と東側は削られて建物が隣接し北と西側は石垣で直線状に固められてますが、南側で削られてるギリギリの部分だけ元の塚状を思わせるスロープ状になって歴代住職の墓の奥へ行けます。
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すると高まりの最も奥に、拳大~人の頭部ほどの大きさの川原石や割石が如何にも怪しい感じで南北の向きに並べられてます。全体で長さ約2.5m程で、玄室っぽい膨らんだ部分は1.7m程でしょうか・・・。
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手前のくびれてる側が南です。

現在は石列も一重で、残りは周りに散らばってる印象ですが、グーグルアースで見るともう少ししっかりした石積みだった様にも見えます。都市型のこの墓地に似合わないこれらの石は何なのでしょう・・・?
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土井氏の屋敷には曙町の地名の由来にもなったとも伝わる鶏声塚が在ったと伝わり、古墳なうさんが詳しく書かれてますが、屋敷内のどこに在ったのかは不詳の様です。勿論このマウンドがそうである根拠は全く無いですし、寺院の境内なので区が勝手に調査する事も無いのですが、物陰に在ってずっと認識されず南と東に隣接する建物の新築時にも調査される事も無かったマウンドが消滅したとされる古墳の残りだったら・・・とか考えてしまいます。

府中市武蔵府中熊野神社古墳

中央道国立インターから国道20号線(甲州街道)に入って新宿へ向かいおよそ700m、西府町二丁目交差点の北東側に築造時に復元・整備された上円下方墳が在ります。

東より見てます。三段築成で、切り石で囲まれてる基壇は一辺32mですが50cm程の高さでこの画像でも上面しか見えてませんが、コンクリートの土留めにしか見えず、言われないと上の二段だけが墳丘に見えてしまうかもしれません。
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その上に一辺23mの中段、直径16mの上段を築いて葺石を施しており、調査前は約5mの高さでしたが復元高は高麗尺を用いたと想定して約6mになってます。

北面を見てます。調査前は神社裏の円墳と思われてましたが、参道・社殿・鳥居を結ぶ南南西向きのラインと揃ってない南南東方向に主軸を振った上円下方墳と判明しました。
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築造は7世紀中葉の武蔵国府が置かれる直前と推定されてます。

西より見てます。右側は甲州街道を向いてる熊野神社です。本殿は基壇に載る形で建てられてます。
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この様にすべての角度で基壇は把握し辛いです。古墳なうさんが発掘前の状況とともに西面中段の旧来の葺石と、復元時に用意された葺石の色の違いを紹介されてたのですが、夕陽で全然区別つきません・・・。

L約8.7m、×W約2.8m×H約3mの広さで3室構造の横穴式石室が中段南面に開口し、鞘尻金具、刀子、玉類などが出土してますが埋め戻されてます。甲州街道沿いに建てられてる武蔵府中熊野神社古墳展示館でレプリカの見学は出来ます。
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関東大震災前は石室に入れたとも伝わりましたが、埋まってから久しく、調査前は近世の塚の可能性も考えられてました。

来る新年が皆様にも良い年になりますように・・・。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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