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祝!県指定史跡「奈良古墳群」展

奈良古墳群の県の指定史跡化を記念して7月いっぱい市役所2階の歴史資料館に於いて企画展も開催されました。自分が申し込んだ古墳群見学会は豪雨の為中止となり、こちらで参加予定者のみでの解説付き見学が代わりに行われました。

古墳公園内の墳丘は一部石室内の測量等行われた他は現状保存で、遺物の多くは消滅した西側の墳丘からです。
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これは発掘前の航空写真で、遺物の出た墳丘の「残り」は良い状態でもなく、現存墳丘も耕作地の境で削られ方が窺えます。
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出土品も多く展示されてましたが、個人所有のモノが多いので引きの画像で。こちらは鉄鏃や刀子に刀装具などです。
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馬具の出土が多いのも特徴的で、馬の生産に関わる集団の墓域の可能性が考えられてます。鐙吊金具や鞍金具が良好な状態で出土してます。よく写真で紹介される「カ」号墳出土の鉄製壺鐙が写真展示だったのは残念です。
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その両脇には多数の耳環や金銅製飾金具などが並びます。

玉類も170点以上出土しておりますが、同じ種類同士繋がれてしまっていて、個々の出土場所は不明ながら殆どは奈良古墳群出土と推定されてます。
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また平成の発掘調査によって西側の墳丘から出土した須恵器も展示されてました。
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これは左から14・12・21号墳出土の甕で、14号墳の個体は底部穿孔が見え易い様に逆さにしての展示です。
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説明にもある様にみなかみ町の月夜野古窯群で焼かれたものの可能性が考えられてます。
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骨臓器も出土しており、古墳が造られなくなった後も追葬されてたのでしょう。先日発掘された水戸市舟塚古墳群でも平安期の珍しい骨臓器が紹介されてました。

須恵器の中で最も大きい展示が、20号墳出土の大甕です。
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頸部分の模様が見えるでしょうか?

こちらは19・21号墳出土の大刀です。一番奥が19号墳で鉄鏃と一緒に出土した71.8cmの直刀で、切っ先は奥壁を向いてました。
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手前の87.8cmと60.8cmの2振は21号墳で19号墳と逆向きに置かれていた直刀で、最も長い真ん中の個体だけ鞘に収められていなかった可能性が有ります

最後に昭和30年に群馬大学尾崎研究室が分布調査しカタカナで命名した際の分布図です。現存墳丘も号数が異なるので注意が必要です。
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現在までの確認総数は59基とされてますが、平成に発掘・消滅した墳丘を足すともっと増えてしまいますし、先の記事でも一ヶ所紹介した様にそれ以外でも古墳址である可能性の高い場所も散見されます。

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大洗町第3回埋蔵文化財企画展「常陸鏡塚」

大洗町の磯浜古墳群の3墳丘が先月国指定史跡の答申を受けたタイミングで、旧大貫小学校「昔を知る学び舎」に於いて土日祝日限定ながら一か月間限定で、昭和24年国學院教授大場磐雄博士によって発掘・調査された常陸鏡塚古墳の粘土槨が80%大の大きさに復元されて公開されてました。
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昨年と同様最終日は文化センターで講演会があり、その後で来られるように展示時間を2時間延長されました、

向きは教室に合わせられてますが、これは実物でいう北北西側から見た全体の様子です。中に崩れ落ちた粘土を除去した状態での再現です。
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実物は今も墳丘内に残され、残存外寸L約8.95m×W約3.5m、同内寸L約7.85m×W約1mの規模です。

これは反対側より見てます。南端は後円部の削平とともに削られていて、その際朱が出たとも伝わってます。
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断面を見ると、粘土槨でよく見られる半円状ではなくU時形になっており、棺床粘土の下からも朱が検出されてます。

これは四つの区画に分けて一番南側である第四区画の主が埋葬されたと考えられる位置です。
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こちらは第二・第三区画に跨る位置でもう一人埋葬されていた可能性の有る場所です。推定埋葬位置頭部付近で立花が出土しました。
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こちら側は石釧の間隔が狭く、成人ではない可能性が有ります。

約4170点の遺物の一部は実物大でスチレンボードを切り抜いて再現されてます。が、よく見ると・・・
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その中に実物が混ぜて展示されてます。まさか蓋も何も無く置かれてるとは思わず混雑時など気付かずに帰ってしまった人もいるのでは・・・?
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玉類の周りにはビーズや芳香剤の玉(?)が撒かれる手の入れようでした。

これは第四区画左手側の石釧です。
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これは川原石の上にあった内行花文鏡です。国指定に伴い正式名称は「常陸鏡塚古墳」にする様ですが、発掘時点でそう呼ばれる事は無く、展示最終日開催のシンポジウムでも良く御存じの方々は「日下ヶ塚古墳」と言いかけて言い直すシーンが度々見られました。
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これは第一区画で見つかった直刀です。これに続くと思われる切先・茎残片が國學院の博物館に収蔵されてるそうです。
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教室の端には椅子が並べられ、有限会社三井考測によって作成された3D実測図面やドローンで上空から撮影した動画などが上映されてました。
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詳細について、一部誤認が確認され(ガラス小玉)たため近々正式に訂正が発表されるそうですが、國學院大學学術フロンティア構想 大場磐雄博士資料目録常陸鏡塚古墳編に詳しいです。

常陸の玉作り 重要文化財武者塚古墳出土品同時公開

土浦市上高津貝塚ふるさと歴史の広場考古資料館による第22回企画展として12月8日まで開催中の「常陸の玉作り」へ、武者塚古墳石室公開のついでに遺物も見ておこうと行ってみました。武者塚古墳の遺物は重要文化財指定を受け、普段は公開されておらず、地元の方でも滅多に見られないそうです。

常設展示室側の入口から進むとまず正面に勾玉・切子玉・ガラス小玉が展示されてます。
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その背後の展示ケースには大刀などが並べられ、左側には装飾太刀二振。
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手前が銀装圭頭大刀で前室左壁側から、奥は銅装三塁環頭大刀で前室右壁側端から出土しました。

右側のケースには鉄製の鍔付き大刀三振。これも右壁側に手前の二振、左壁側には奥の一振見つかりました。
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装飾太刀の後のケースには珍しい当時のひしゃくである鉄柄銅杓が展示されてます。6例しかない出土例で最も古いそうです。
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銅製の本体に布が付着していた鉄製の柄が付いていました。

その隣には銀帯状金具が展示されてます。全体では長さ49.5cm、幅2.3cmと長いです。全面に透かし彫りが施されて、その模様が法隆寺に残る仏像や斑鳩宮推定地出土の瓦との共通性から聖徳太子一族との関連が検証されてます。
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出口近くには鉄鏃が42点の出土のうち半数の21点が展示されてます。錆で判りにくいですが片刃と両刃のモノがある比較的大型の鏃です。
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その横には埋葬された人物の毛髪が展示されてます。特に注目なのが中央の美豆良(みずら)と呼ばれ左右に分けた髪を耳の所で上下に束ねる男性の髪型が一部ですが残っていた事で、これは2号人骨の左側頭部のもので、
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企画展「海を見下ろす大洗の王墓」

11月17日から一ヶ月間の週末、大洗町の旧大貫小学校の一室に於いて町を代表する遺跡である磯浜古墳群の調査結果を紹介する企画展が催され、最終日の12月16日は連動する講演会終了後時間を延長して展示が行われました。
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床に大きな古墳群の地図を敷いて、一部の遺物は地図上の出土位置付近に実物を展示してとても解り易くなってました。

まずは最も調査の進んだ日下ヶ塚古墳より下部の窄まった長胴化してる壺形埴輪2点。
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この埴輪が立ってる位置はこの前除草した場所ですね。
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そして副葬品の数々。磯浜古墳群では唯一主体部の発掘調査がされてます。
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次に車塚古墳の朝顔形円筒埴輪と葺石の一部。この古墳群の傾向の一つで透かし(四角い窓)のある埴輪が幾つも出てます。
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胴の丸い壺形埴輪2点。
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車塚古墳では長胴化してるけれど底は狭まってない壺形埴輪。
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ちょっとピンボケしてしまいましたが、姫塚古墳の出土品です。
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読み方が難しい坊主山古墳の出土品です。
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最後は今年新発見された仮称五本松古墳の周溝からの出土品です。
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大安場史跡公園 ガイダンス施設

大安場古墳群が発見され史跡公園として整備されるのに伴い建てられた資料館です。建物は円形で、屋根は古墳から出土した「石釧」と呼ばれる腕輪型石製品を模して造られてます。現在は手前の木々が育って全景は見られませんでした。
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資料展示室へ。来場者が30万人に達したそうです。入るとすぐ左に白い壺が。
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この白い方でなく茶色い部分が最初の調査で発見され、古墳だと認定されるきっかけになった壺片です。

序盤は縄文時代の遺物が並びます。一部の本物の土器は手に取ってその重さ・手触り感を体験できます。
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様々な顔や形状の土偶もあります。
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続いて1号墳に並んでた壺で、右側のものは二重口縁壺と呼ばれ、一番左のものは棒状浮文壺と呼ばれてます。墳丘上にはこの2種類の壺が並べられてましたが、統一性は無く、再現した壺の様にそれぞれ違う人・場所で作られ持ち寄られたものと思われます。
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1号墳を築く風景の1/60の模型もあります。
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一番奥にあるコレは原寸大で再現された1号墳の埋葬施設です。1体埋葬説で展示されてますが石釧の辺りに手首が来るように手前にもう一体埋葬されてた可能性もあります。遺物の出土状況も解ります。
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実際は一番奥の様に舟型の木材で蓋をされてたハズですが、朽ちた上に中世に削られてしまってました。

建物のモチーフにもなってる石釧です。これは触れませんがすぐ後ろにレプリカがあり、それは手に取れます。一緒のケースで展示されてる太刀などと共に県指定重要文化財となってます。
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大安場古墳群に続き近隣の古墳や遺跡から出土した遺物が展示されてます。
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これは淵の上1号墳から出土した頭堆太刀です。大昔の装飾品が輝きを失っていないって本当に凄いと思います。
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これは南山田遺跡の24号住居跡からそっくり切り取って保存された竈で、柱も原寸で再現されてます。
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ここは火事になったようで、床や竈は焼けてせんべいの様に固くなったまま残ってました。

出口の横には古墳時代の食器と称して、用途別、時代別の変遷が見てとれる様に並べられてます。最上段がお供え用・二段目が盛り付け用・下二段が調理用で、左から右へ時代が移って行ってます。
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他にも映写室とかあったのですが、いわき市まで移動に結構時間が掛かるのでガイドブックを買って出ましたが、機会あればまたゆっくり見学したいものです。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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