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佐倉市第三工業団地遺跡群その3

最後は工業団地北側の農地内、株式会社ワキタ千葉営業所の東に並ぶ2基です。

西側の1基を北東より見てます。
DSCF5824_convert_20180831224500.jpg

東側の1基を北より見てます。
DSCF5826_convert_20180831224636.jpg
残念ながら保存された墳丘については報告書で触れられておらず、名称等は判り次第追記したいと思います。
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佐倉市第三工業団地遺跡群その2

続いては松向作遺跡の現存分布状況です。
次は大作緑地公園内に残されてる4基です。まともに墳丘が残ってるのは北端の1基のみで、冬場にはかろうじて続く三つのマウンドが見えますが、画像右下の南東部は緩斜面になっており、新市史では段差にも古墳があったことになってますが・・・。

唯一明瞭な北端の松向作古墳です。
A北より_convert_20180831223624

そのすぐ南西のマウンドです。
B北東より_convert_20180831223707

公園がくの字に折れる辺りに在るマウンドです。
C南東より_convert_20180831223744

その南東近くのマウンドです。
D南西より_convert_20180831223805
この辺の公園は工業団地内にあるためか、誰も訪れる事が無いのか夏場は草が伸びすぎて、低マウンドが判別しにくいほどです。

佐倉市第三工業団地遺跡群その1

千葉県佐倉市南部、第三工業団地の周辺には多数の古墳が群を成していましたが、その多くは開発されてわずかを残すのみとなってます。

遺跡は各ポイントごとに別称で呼ばれたため大作エリアのみ「大作古墳群」と呼ばれたりしてますが、正式には○○遺跡◇号墳と呼ぶべきなのでしょうか?遺跡の分け方はこの通りです。千葉県佐倉市埋蔵文化財分布地図に加筆。
遺跡区分図_convert_20180831223533
青い線は谷津で、赤い線は台地上で調査の際に別けられたラインです。図の上でも多数の墳丘が掲載されてますが、調査毎に新発見があったのか個別調査報告書が反映されてませんし、その報告書も最近新たに出た市史とはデータがあってません。
最も新しいと思われる参考データによると各エリアでの墳墓の発見数は
池向   61
大作   47
松向作  23
立山   14
向原   14
栗野   5
星谷津  2
タルカ作 1
向山谷津 1
明代台  1
の計169基としたリストがある一方で、全体で数がもっと大きいのもあるし(ウエブ上だと209基説も!?)、タルカ作は小さい方形の溝が見つかっただけですが、他のエリアではカウントしてない場所もあるという統一性に欠けてる情報ではありますが、おおよそ中央部から北東・南東にかけて古墳が集中してあったことが解ります。

現在古墳が見学できるのは大きく分けて三つで、「大作遺跡」のある池ノ台公園の5基、「松向作遺跡」のある大作緑地公園の7基(?)、そして栗野I遺跡続きながら工場化しなかった農地の中の2基です。

高さのあるマウンドが残ってるのは2基のみで、残りは低い高まりがあるだけです。

池ノ台公園西側の角の近くに在るマウンドです。もっとも墳丘らしい様相を残してます。
A南より_convert_20180831223604

その北東およそ40mに在るもう1基の高さの残るマウンドです。
C南西より_convert_20180831223723

そのすぐ東に並ぶ小マウンドです。
B北東より_(2)_convert_20180831223648

1基目の東に40m程離れてるマウンドです。
D北より_convert_20180831223828

1基目の南南東に在るマウンドです。
E南より_convert_20180831223856
ちなみにこのエリアでは保存区域のすぐ南にあった31号墳で首を落とされた馬犠牲土壙が発見されてます。
続きます。

上総久留里城

千葉県君津市、小櫃川を見下ろす山の上、及びその山麓に武田氏によって築かれ里見氏によって整備された城。
現在山麓部は農地化でほぼ遺構は失われてるものの、本丸へ続く丘陵部は旧状をよく留めています。

ここはかつての大手門の跡で、段差の手前の左右の水田は水濠の跡です。左奥の山の上に模擬天守の建ってる本丸があります。
006大手門跡02_convert_20180830223930

山麓の三の丸内は現在国道410号線が南北に貫いてて、それを越えて東へ進むとわずかに土塁・堀の跡があり、稲作の始まる季節には堀の形のままの水田が一時的に水濠を再現してくれます。
018三の丸南側堀跡02_convert_20180830224000

狭い道を抜け、城山神明社をくぐるトンネルを通過すると君津市森林体験交流センターと共用の駐車場があります。画像の道は二の丸まで続く坂ですが、旧道は火薬庫跡等を抜けて右の壁の上を通ってます。壁の一部にV字状の草が茂ってる場所がありますが、これは尾根を分断するための堀切の跡で、当然往時はこの道路の上にも続いて前後方向の移動を遮っていました。この辺りから上は里見氏が整備した範囲で武田氏が築いた古城は画面後方、駐車場の北西側の山の中です。
047堀切05_convert_20180830224019

更に別の堀切跡を過ぎると二の丸に着きます。ここには君津市立久留里城址資料館が建っており、久留里城の模型や城・地域の遺跡ににまつわる資料や遺物を無料で観られます。また館外には地元出身の偉人である新井白石の像が建ち、君津地方で考案された掘抜井戸の掘削技術を伝える「上総掘り」の足場が復元されてます。
久留里城全体模型_convert_20180831223937

072新井白石像02_convert_20180830224047

二の丸より若干狭い尾根を渡り本丸を目指すとその登り口の脇に「男井戸・女井戸」と呼ばれる溜め井戸が今でも水を湛えています。奈良時代に掘られ、江戸時代には藩士の婚礼の際に夫婦の誓いとしてこの水が飲まれたそうです。他にも久留里城には山の上なのに水を貯える場所が数カ所あり籠城の際大変役立ったようです。
083男井戸・女井戸02_convert_20180830224118

更に階段を上がっていくと目の前に模擬天守が建ってます。昭和53年浜松城模擬天守を参考にして建てた二層三階の建物で、通常自由に出入りが出来ますが、自分が初めて来た時は大雪の被害で瓦が落ち、立入禁止になってました。小さい建物なので下からはあまり目立ちませんが、三階からの展望は素晴らしいです。
096天守06_convert_20180830224308

その左に残されてる基壇、これが本当の天守台です。と言っても小さい二重櫓が建ってただけですが、模擬天守建築計画時に発掘が行われ、ほぼ完存の礎石が検出され残そうという事になり、急遽変更して登り口真ん前である南隣に建てる事になりました。
103天守台北西角_convert_20180830224331

観光で来る人は殆どこの天守と山上の狭い本丸を観たら帰ってしまうのですが、実はこの奥にも遺構は残ってます。これは怒田尾根堀切とよばれ、左から登って来た敵が本丸の裏手である右へ進むのを遮るために尾根を切ってます。実は現在整備されてる範囲の何倍もの広さで山を加工し、守りを固めてるのが解ります。
133怒田尾根堀切03_convert_20180830224355

フィルコリンズ ドゥ・ユー・リメンバー スペシャルパッケージシングル

1990年2月、イギリスのプログレッシブロックバンド「ジェネシス」のボーカル兼ドラマーのフィルコリンズは4枚目のソロアルバム「バット・シリアスリー」をリリース後、世界ツアーを日本からスタートさせました。

ジェネシスは最も好きなバンドで、フィルは最も好きなドラマーでしたので、自分も代々木体育館での東京公演には並んでアリーナのチケットを獲り、23曲・約3時間に及ぶライブを楽しみました。
メリーゴーラウンドを模したステージはアルバムと共に大好評で、ツアーの模様はアルバム・映像ソフトの両方で商品化されました。

そのライブアルバムからシングルカットされたのがこの「ドゥ―・ユー・リメンバー(ライブ)」です。そのイギリスだけで販売された限定版シングルがこれです。
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この曲を演奏中の姿のピクチャーディスク仕様で通常版とカップリングが異なるだけでなく、ステージを模した六角形の箱パッケージでリリースされました。

実際のステージは開演すると壁が各方向に跳ね上がり、各面に付いてるバリライトで様々な演出効果で楽しませてくれますが、CDでは蓋を開けると下へ開く仕様です。
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この形態で何枚リリースされたのかは判りませんが、アメリカの北西の隅っこの小さいレコード屋さんで見つけた時には状態の悪さと楽にアルバム2枚は買えるプレミア価格にちょっと躊躇しましたが、絶対もう見る事も無いだろうと買ってしまいました。

You Tubeにドイツ公演の模様がアップされてました。全盛期の彼のパフォーマンスが堪能できます。

成東山不動院長勝寺本堂

千葉県山武市にある通称「浪切不動院」。国道126号線を走ってるとJR成東駅のすぐ南、緑に囲まれた山に赤いお堂が遠くからでも見えます。

参道から臨んだところ。昭和30年に建てられた仁王門もお揃いの真っ赤っかで間に真っ直ぐ上がる階段が見えますが、すぐ左に折れて続いてます。堂の背後の森は県指定天然記念物の石塚の森です。
03山門と本堂_convert_20180828133859
現在は海岸線も遠退き市街地を見下ろしてますが、昔は船のランドマーク兼海の守り神的存在で、行基が彫った海難避けの不動尊像を弘法大師がこの地に移し、寺を建立したのが始まりと伝わります。
13南東より_convert_20180828134052
たしかに遠くからも目立つ朱色の建物は清水寺の様な懸造りで建てられてて、一見よくありがちなコンクリート寺院にも見えますが市指定文化財に指定されてる古いお堂です。改修・補修を繰り返されてて創建は不明なのですが、残ってる棟札(新築時・改修時などに屋根裏などに貼られる記録・記念の札)には1618年とあり、少なくとも江戸時代初期には建っていた事は確実でしょう。
27懸造り_convert_20180828134139
堂を支える柱は26本で、内2本は本堂内陣まで続く通し柱となってます。貫五段の高さで梁間4間×桁行3間の規模で、この上に3間×4間(背面1間分は地山の上)の上屋が建ちます。昔の建物は規模を柱間の数で表されてて、1間は場所・時代によって、時には一つの建物でも異なりますがおおよそ2m弱だと思って頂けると大体の大きさが掴めると思います。ちなみにここだと正面の梁間は柱6本ですが、両端が0.5間づつで中央が3間の合計4間で数えます。いろいろな保全の仕方があると思いますが、ここでは基礎部を近代的に補修して固め、木造部分をそのままの姿に留められる様にされてます。自分が訪れた際は奇麗に塗り直しされたばかりのようでした。

本堂は閉め切りでしたが窓から中を拝見。
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廻縁は幅半間(0.5間)で参拝所のすぐ後ろは・・・
40懸造り_convert_20180828134202
活きてる文化財なので防護フェンスなどございません。これは自撮り棒ではなく手を出してカメラを逆さに構えて撮影。高所恐怖症の方はこの狭くて、欄干の低い廻縁を信頼してお参りするのも相当勇気が必要です。閑散としてますが、観光地として宣伝してしまうと強靭な網で覆われてしまい興ざめなので、現状維持が望ましいです。
48北面_convert_20180828134255
登り口側からぐるっと廻って反対側へ。もはや海岸線は見えませんがかつては街全域が海で、寺の灯かりが船からも見え、あたかも灯台のような役目も果たしていたそうです。このすぐ背後に石塚の森の解説板があり、階段に戻る際は堂の背面の張り出しの下をくぐって戻れます。

須賀川市団子山古墳第8次調査説明会

8月26日、平成24年度から福島大学によって続く古墳の発掘調査の本年度の説明が行われました。今年は52名の参加者を数え、最も遠くにお住まいの方は倉敷市だったようです。
従来は直径約40mの円墳と考えられてましたが、昨年の調査で全長約65mの前方後円墳の可能性が高まりました。時代的には出土した埴輪・土師器の特徴から4世紀中~後葉と考えられてます。また墳頂には南北主軸約6.2m・東西幅約2.7mの墓壙が見つかり、そこから北東側に扇状に拡がる黒褐色のエリアの上面が見つかったため、本年度から市が主体で福島大学と協同での調査となりましたが、細かい調査内容はまだ検討中・未確定なため調査の進展・精査が待たれるところです。
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前方部南端跡より後円部。前方部はこの辺りから右手に拡がってましたが、残ってたのは基部の先端と南端だけで北側がどこまでだったかは未調査です。
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後円部を背にして東を見てます。テントの先に農道が通ってますが、その手前まで前方部が在りました。
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前方部跡には14~15世紀の建物跡が見つかっており、相当昔に削られてたようです。

墳頂での説明。各ポイントでは福島大学の学生・学院生さんが解説してくれます。特にここは説明し辛い遺構と位置関係ですが写真・図面を使いながら説明してくれました。(使用した写真の一枚)
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画像では把握し辛いですが、左手が墳頂で墓壙が確認されてて、そこから右手裾側に扇状に拡がるように土留めの土手を設け、その間を種類の異なる土を交互に版築(できた上の写真の様な層を互層と言うそうです)しており、特殊な作り方ながら、墓壙埋設土と種類が異なる点や深さがあまりないなど、現在は築造時の一工程ではないかと考えられてます。
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上の画像の左側で、ピンクのテープで扇形を表してます。見辛いですが一番手前の左、ちょうど扇の端を示すテープの真下に見える明るい部分が東側側面の土手状粘度の土盛りです。たしかに土手の高さが低過ぎで、埋葬のために開けてた場所とは考えにくいですね。互層の見易いのが危険な斜面側なのが残念です。
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一応登り口より見たトレンチです。互層の一部が見えます。
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墳頂の埋め戻された墓壙はライン表示されてました。
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直接的な繋がりは考えられないものの、墓壙から扇状に互層が広がってます。

こちらは後円部北側トレンチで墳端と周溝が検出されてます。地山に突き当たるまで設定されてます。
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墳丘裾部は後世の撹乱が激しく、左側の杭より奥では周溝より深く抉られてて墳端が周堤状に残ってました。

周溝もだいぶ幅が狭く、薬研掘状で後世のものの可能性も考えられたそうですが、最深部から埴輪片が19個も出土したため周溝と判断されてます。元々東側の山と地続きだった場所を削って土盛りされて造られてるのでそう幅の広い周溝はないのかもしれません。
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最後は西側トレンチで、以前南西側で確認された2段築成のテラスが続いて来てるのが確認されました。テラス幅は約2mです。テラスの右端で円筒埴輪が発見され(他24点出土)ましたが、状況より、ここではなく墳頂に並んでたものが落ちてきたのではないかと考えられてます。
dango18tuikaA.jpg

テラスの下土が白く乾いてるところまでが墳丘ですが、撮影場所自体が桑畑の耕作のために高くなってる場所で、周溝を確認できるまでは掘られてません。
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すぐ北側では土手を築いて周溝状に水が湛えられてますが、もちろん古墳とは関係ない設備です。ちょっと気になるのが前方部は反対側で基部自体がこのテラスよりも高い位置にあったとすると後円部は斜面を随分と頭を下げてるように築かれた事になります。

埴輪片も数点展示されてました。
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印西市道作古墳群(その5)

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仮称「す」は仮称「し」の南東に並ぶほぼ同規模に見える円墳です。
仮称さ北より_convert_20180825014643

仮称「そ」はティエムファームさんの建物の陰にあるので半分だけ市道から見える円墳で、位置的には群中一番南になります。
仮称し北西より_convert_20180825014712

仮称「せ」は「す」と「そ」の中間に在ります。分布図等でも拾われてませんし、調査もされてないので古墳とはされてない様ですが、現状を見る限り仮称「し」や仮称「す」と同規模の円墳にしか見えません。
仮称す西より_convert_20180825014745

仮称「ち」から仮称「て」の3基は2号墳の南東、旧道を挟んで道沿いに並ぶ未調査の小マウンドで、分布図によって数も位置も異なりますが塚の可能性もあります。

北東寄りの仮称「ち」です。
仮称せ北西より_convert_20180825014818

真ん中の仮称「つ」です。左奥は「ち」です。
仮称そ南西より_convert_20180825014844

少し間を開けて南西寄りの仮称「て」です。
仮称た北西より_convert_20180825014929

仮称「た」は上の3基同様旧道沿いの塚ではないかと思われれた5号墳に隣接する小マウンドですが、平成30年度の現地説明会で配布された資料の分布図では古墳として拾われてます。
道作仮称ち南東より

印西市道作古墳群(その4)

dousakubunpuzu2.jpg

仮称「く」「け」「こ」の3基は仮称「う」の南東・市道側にその主軸方向に沿う様に並んでます。
分布図ではここには小円墳2基が描かれてますが、仮称「く」は外からは見えないので気付かれてないだけかも?

北東寄りの仮称「く」を南より見てます。3基とも規模が小さく古墳かどうか・・・。
仮称き南より_convert_20180825014407

真ん中の仮称「け」を南西より見てます。
仮称く南西より_convert_20180825014524

南西寄りの仮称「こ」は市道からも見易いです。南東より見てます。
仮称け南東より_convert_20180825014551

仮称「さ」は仮称「え」を削ってる道路を挟んで南西に在り、現在確認されてる中では最も西に位置します。分布図では楕円形で描かれてますが、実際見てみるとなるほどただの円形ではないようです。
仮称か西より_convert_20180825014333
未調査なだけでもしかしたら将来掘ったら前方後円墳や長方形墳になるのかもしれません。実際最近の市では方墳扱いです。

仮称「し」は市道を挟んで南東側、ティエムファームさんの敷地内にある円墳で北西より見てます。市道拡幅整備工事の際にこの墳丘のものと思われる周溝が検出された他、すぐ北西側で別な埋葬施設が2基見つかって、直刀が出土してます。
仮称こ西北西より_convert_20180825014616

もう一回続きます。

印西市道作古墳群(その3)

次にもう1基番号を振られてる公園外の6号墳を見ます。
dousakubunpuzu2.jpg

道作6号墳は公園の北東に1基だけはみ出てる全長約37mの前方後円墳です。公園外のため地主の方が桜の季節などに雑草を刈ってくれてますが、夏場などすぐ伸びて見辛くなるそうです。それでも墳丘上の樹木は伐採されたので、以前よりも墳形は見易くなってます。右手前が後円部で、左奥が前方部になります。
6号墳東より2_convert_20180825013938

仮称「あ」は4号墳の旧道を挟んで北西に位置する円墳。
仮称あ南東より_convert_20180825014043

仮称「い」は3号墳の南西で、3号墳同様他の前方後円墳よりやや南を向いてる前方後円墳で、これは北西より見ていて右が前方部で左奥が後円部になります。
dousakukarinainw.jpg

北東より見てます。倒木が邪魔だったりしますがこの向きの方が墳形が見易いでしょうか・・・。
dousakukarinaine.jpg

後円部上から前方部を見下ろしてます。左が明るく見えているのは市道から入る私道が墳丘脇を通ってるからです。
仮称い後円部より前方部_convert_20180825014113

仮称「う」は仮称「い」の南西に位置する前方後円墳で、画像右が前方部、左が後円部です。
仮称え北西より_convert_20180825015218

仮称「え」は道路で半壊の墳丘で道路側断面からはあまり高さを感じられませんが、反対側からみるとしっかりした墳丘が見えます。現状半壊の円墳ですが、この規模だと道路側に前方部が続いてたのではないかとも考えられます。
仮称お北より_convert_20180825014305

仮称「お」は仮称「い」後円部の北西に並ぶ円墳。
dousakukarinao2.jpg

仮称「か」は仮称「い」前方部の北西に並ぶ円墳。ただこの1基は明瞭なマウンドではないので古墳ではないかもしれません。
dousakukarinaki2.jpg


仮称「き」は仮称「う」後円部の北に並ぶ円墳。
仮称う東より_convert_20180825014145

続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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