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桜川市仙原塚古墳(?)

筑波鉄道旧紫尾駅の西南西およそ300mの街中に半壊の石室が露出したままの墳丘が在ります。字名・地番からだと仙原塚古墳であると思われますが、すぐ北に在って消滅した北椎尾天神塚古墳の発掘調査報告書では北原古墳になってますし、「北椎尾天神塚古墳とその時代」では仙原塚古墳について、かつて箱式石棺が出土したが消滅と書かれてます。

南より墳丘を見てます。左の建物は道路に面してる中村公民館です。石室は若干南南西を向いているようです。
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手前の3枚の大きな石も元石室材ではないかと思います。前方後円墳ならここが後円部なのでしょうか・・・。

後円部(?)を北西より見ています。周囲は民家と道路で囲まれて痕跡も皆無なので、前方部がどちらの方向を向いていたのか見当もつきません。
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高さは約3mですが、公民館で削られ、北と東側は藪で平面形状も判断がつかない状態ですが、復元径は約20m位でしょうか。

墳頂には祠が並んでいます。
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石室です。レンズによるものか先に訪れてる方々の画像より開口部が埋まって大分狭まってる様に見えますが、見えてる石を数えると写り方ほど差は無いです。
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ただ手前の玄門状の立ってる2個の石以外は動かされてます。開口部正面の角石は右側手前にあったものと思われます。

墳頂より見下ろしています。
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石室の内部です。下部が埋もれてるので奥壁の下は見えませんが、側壁は薄い板状の石を積み上げられてます。
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奥壁と天井石の間に隙間が出来ていて、ちょっと心配です。
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牛久市蛇喰古墳

牛久駅の南東およそ1.4kmの牛久市街地から龍ヶ崎市街地へ向かう交通量の多い女化道(おなばけどう)沿いに、市内で現状では最大規模の古墳である蛇喰(じゃばみ)古墳が在ります。

その道路沿いで南より見てます。右手前が後円部で、左奥が前方部になります。
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全長約45m、高さ約4.4mの北北西向きの前方後円墳です。

西より。前方部と後円部の高低差があまり有りません。
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撮影位置すぐ後ろはカスミフードスクエアになってます。

北西の参道入口より見てます。鳥居が増えたのはごく最近の事だそうです。
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前方部より後円部を見てます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。そう長く滞在しませんでしたが、御利益が有名なのか受験生と親御さんらしき参拝者が数組来ました。
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後円部墳頂に鎮座する神谷稲荷神社です。日本初のバーと言われる神谷バーを開店させた神谷伝兵衛の出身地愛知の豊川稲荷を勧請したもので、墳丘周辺から市役所隣の牛久シャトー周辺まではかつて広大な葡萄園が広がってました。
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有限会社三井考測という企業の業務内容に三次元測量図が紹介されてて墳形が良く解ります。

成田市かのへ塚古墳群

東関道大栄インターの北およそ2kmの台地上に分布する古墳群です。全基調査歴は無く、時代も特定できてはいません。以前は群のすぐ北西に字名の元になったかのへ塚群や堀の畑塚群が分布していて、内1基が発掘され墳形不明の古墳転用の塚と判明し、村田雷塚古墳と名付けられてます。それとは別にこの西方に墳形不明・石棺露出の1号墳が在りましたが、行ってみたら建物が新築されたばかりのようで・・・。

古墳群を南東の農道より遠望してます。右から6・5・3号墳が見えてます。
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2号墳を後円部側東北東より見てます。現状全長21m程の西向きの前方後円墳とされてます。
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右側の道路は北へ下がる斜面下に通っているので高く見えてますが、墳丘自体は上の方の約2mだと思われます。

前方部より後円部を見てます。かすかにくびれている様にも見えますがそれよりも朽ちた切り株や鳥の死骸が気になりました。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。この主軸方向ずっと奥に1号墳が在りました。
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前方部奥の墓地が元墳丘ならば30mクラスという事になります。

2号墳の南およそ35mに在る3号墳を南東より見てます。こちらも全長約20m、高さ約2mの西向きの前方後円墳とされてます。
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南側は墓地の出入り口で真っ直ぐに削られています。

北西より。左奥の後円部が僅かに高くなってて少し前方後円墳らしいですが、改変が激しくこの様にL字状になって土手の様です。
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3号墳のすぐ北東にある4号墳を3号墳の反対側、北東より見てます。
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南西より見てます。直径約7.5m、高さ約1.8mの円墳です。
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4号墳の南に並ぶ5号墳を北より見てます。
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東より。直径約10m、高さ約1.8mの円墳ですが、この角度だと西向きの小前方後円墳にも見えます。
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5号墳の東南東およそ50mに在る方墳の6号墳を西北西より見てます。一辺約19m、高さ約3.5mの方墳でここのみ測量はされてます。
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南より。裾は耕作で削られてますが畑に対して斜めで邪魔だと思われる割にはよく残されてるのではないでしょうか。
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南東より。墳頂に「安産上人」銘の石碑が建ってますが全く見えませんでした。
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この他に南の畑や、南西の今は台地ごと削られて工場になってしまった場所から石棺が幾つか見つかってます。冒頭の古墳転用の塚以外にも周囲委は小古墳群の密集地で、実際にはもっと多くの埋没古墳が在るものと想定されてます。

秦野市菩提馬場古墳群

秦野市北西、県道705号線菩提の交差点の東方およそ180m付近の葛葉川と花鳥沢に挟まれたエリアに分布する円墳6基から成る古墳群で、内4基が現存しています。

1号墳を南より見てます。分布域中央に位置する直径約5.8m、高さ1mの円墳です。
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東より見てます。後方の屋根の更に右奥にもかつてもう1基在りましたが、現在は民家が建ってます。
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1号墳のすぐ北に在る2号墳を南より見てます。農地の境界近くの為か南北約10m、東西4.5m、高さ約1mと細長い状態で取り残されてる様になってます。
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2号墳の北北西およそ40mに在る3号墳を南東より見てます。ここだけは夏場でも草を払われて大事にされています。
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真東に近づいて。現状南北8.5m、東西5m、高さ約1mの楕円形です。墳頂や裾に大きい石材が露出してるのが見えます。
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1号墳の南東およそ120mに在る4号墳を北西より見てます。現状南北6.5m、東西4m、高さ0.8mとここも南北に長い楕円形になっています。
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資料ではこの右奥にもかつてもう1基あったそうなのですが、地主の方は覚えてないなぁと仰ってました。

駿府城平成30年度発掘調査現地見学会

平成28年度より始まった静岡市の中央に築かれていた駿府城の本丸天守台の発掘調査の見学会が昨日も催され大勢の見学者で賑わいました。今回の目玉は天守台北東部の堀跡内に下りる事が出来るというものでした。

堀の中の公開範囲全景です。
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二の丸より堀越しに天守を北東より見てるアングルになり、本丸は左手に続いていました。

堀の中へ下りました。天守台北東隅で、この上には天守を囲う4基の隅櫓の一つが建っていました。
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目線よりちょっと下の石垣が変色してる高さが本丸堀の水位です。

その右を向いて。人が立ってる高さが二の丸の高さで、後ろのポールは旧天守台上端の高さを表す為に昨年末設置されました。
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ポールと見つかった石垣上端の差や堀を埋めてる土砂に混ざってる巨石で、明治になって陸軍に本丸・天守台上部を徹底的に破壊され均されていた事が解ります。

天守台の東は天守下門の跡で、ロープを張られた内側に木橋が架かってました。
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堀中の人数を規制して調査員の解説が始まる頃には大勢の見学者で溢れていました。こちらでは事業の経緯、石垣の傾斜角度や基礎など下部で発見された事などの説明を増山氏から受けました。
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これは本丸の石垣のコーナー下に柱穴が見つかったと説明をされてる模様です。

その柱穴です。丸い方が本柱の在った場所で四角い方は控え柱であろうとの事ですが木橋より東に寄り過ぎで、絵図には載っていない事から幕末の改変だろうと推定されてます。
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ちょっと引いた場所より。重量物の多聞櫓が載る奥の石垣と、門や塀の比較的軽い建築しか載らない手前の石垣の勾配の違いが良く解ります。
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木橋が架かっていた場所を二の丸側より真っ直ぐに見ています。幅30m以上で、本丸堀でも最大幅の地点になります。
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天守台北辺、公開エリアの西側の天守台基部を西側より見ています。根石と思われてた更に下を掘ったところ、石垣の沈下を安定させるために通常置かれる胴木に代わり、この巨大すぎる天守台では大きな石を配して支えてる事が判明しました。
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堀底での解説の次は上に戻って天守下門と、新たに見つかった豊臣時代の天守台について松井氏から説明を受けました。
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窪んでる場所には右を向いて高麗門が建ってました。

やはりこちらも破壊の為全ては残っていないものの絵図とは一致しています。3回折れて進む進入経路を書き込んでみました。
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左側柱穴から続く石垣は枡形を構成する多聞櫓の跡ですが地下に最低もう三段、もしかしたら堀と同じ深さまで続いてる可能性があるそうです。理由としては豊臣の時代には恐らく水濠で地盤が良くなかったからではとの事でした。

見学者から見て手前、多聞櫓跡の隅から出た井戸状の遺構ですが、深さが無くて用途は不明です。
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天守台中央から小天守台にかけての地中からは絵図に残ってない豊臣時代の天守台が発見されました。大きなニュースにならないのは家康が関東に飛ばされた時期に築かれた遺構だからでしょうか・・・。
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規模は南北約37m、東西約33mで大坂城にも匹敵する当時最大規模の天守台が眠っていました。

ここは上の図の赤い破線の左上に当たります。マンホールの奥に左右に続く石垣が天正天守南端のラインで、手前は本丸西端のラインと考えられ多くの金箔瓦が出土しました。
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徳川時代の小天守台の西側から両者を見比べられます。緑が天正(豊臣)期、黄色が慶長(徳川)期の石垣のラインです。
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前者も大き目の石は使ってますが、それでもこう比べると全体的には小振りに見えてしまいます。

現場内常設の発掘情報館きゃっしるでは出土した金箔瓦も展示もされてます。
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最後に家康の天守台南西隅をきゃっしるの前より見て。赤い矢印が天守台上端を表しており、天守台と内堀水位を書き込んでみました。
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天守台は南北約68m、東西約61mの規模で、本丸堀水面から19mの高さでした。

柏市権現古墳 大井浅間古墳

権現古墳は国道16号線大津ヶ丘交差点から西へおよそ400m入った大津ヶ丘前原公園に保存されてる円墳です。
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墳丘南東側には団地造成に伴い近隣の道標や庚申塔など11の石仏・石碑・石塔が集められて並んでます。

西より見てます。直径21m、高さ約2mの円墳です。
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北より見てます。発掘調査はされずに現状保存となってます。
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柏市に合併される前に沼南町が設置した公園の標柱で、古墳についても軽く触れられています。
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権現古墳から北北西におよそ1.1km、国道の東側に浅間神社の入口の階段が見えます。階段を上がると大井浅間古墳の後方部が残っています。国道建設のために前方部は地山ごと削られました。
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参道も谷状に大きく抉られています。左手に前方部が続いていました。

墳頂には木花開耶姫命が祀られており、くびれ部には浅間神社が鎮座してます。
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墳頂から北側の角を見下ろしてます。北西に伸びる台地先端に築かれていて、下は手賀沼が退いて大津川となった谷津です。
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墳頂から後方部南側の角とくびれ部を見下ろしてます。鳥居の辺りがくびれ部で参道右側は国道直上にかけて前方部が伸びてました。
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後方部南南東より。全長約46m、高さ4mの南西向きの前方後方墳で、現在は後方部が一辺26.5mの方墳状に残ってます。
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佐倉市馬渡坊山台古墳群

東関道佐倉インターから国道51号線に出て、およそ2.6km千葉方面に進んで信号を右折すると旧道との角に八坂神社が在ります。神社の裏に展開する下総まわたし宿百観音の奥に2基の円墳が在ります。2基とも測量のみ行われていて主体部は不明です。

1号墳を北東側参道より見ています。直径22.5m、高さ3.6mの規模で墳頂に大日如来が祀られています。
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南南東約20mには殆ど誰も訪れない2号墳が在ります。

墳頂の大日如来です。百観音は案内看板2枚が大破したまま放置されてる感じなのに対して、こちらは毎日お参りする方がいるようでお花が供えられますし、お線香の灰が奇麗に積もってます。
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それでも夏場に来た時には階段中蜘蛛の巣だらけで、払われてて綺麗な墳頂の覆屋との差に妙な感じがしました。

階段最上段の左側足元にある小さい大日如来についての説明書きです。古墳については触れられてません。
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意を決して藪に入り東側より見てます。墳丘の周囲には周溝の痕跡と思われる窪みが見られます。
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南に進むとすぐ2号墳が見えてきました。1号墳と比べるとかなり小振りな円墳で、直径7.8m、高さ0.9mの規模です。
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南側に周り込んで。南から西にかけて墳丘周りが窪んでる様にも見えます。測量図だと同じ高さの線が並んでるので20cmも低くなってはいないと思いますが・・・。
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北西より見てます。表面は落ち葉がびっしりで、何ら遺物らしきものも見えませんでした。
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千葉県所在古墳群詳細分布報告書だともう1基は15m級と記されてますが削られた様子も、他のマウンドも見られませんでした。

陸奥白河小峰城(その2)

今日は公園外で引き続き石垣の整備の続く公園外部や復元された建物についてです。

大手門礎石の西側には(震災によるものではなく)崩れかけた会津門の跡が残ってますが、まずそちらから水濠沿いに北側へ周ります。

公園西端近くの会津門跡付近より見た本丸と帯曲輪の西側です。建築復元前の古城感が今でも漂ってます。
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北側はこの通り樹木に隠され、石垣も全然見えないまま搦手口まで来てます。
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搦手門跡です。尾廻門とも呼ばれた城の裏口になります。
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枡形を左に折れると城内側と花畑門側へ分岐してます。

狭い花畑門跡を抜け三の丸北側へ抜けると門南側の石垣は崩壊したままでした。ここは三の丸に侵入した敵から搦手門を護る石垣です。
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このエリア、城内側からはフェンスで規制されてますが、このルートだといきなり工事現場内に入ってしまいます。

工事事務所前より三の丸内に続く丘陵上部に築かれた石垣です。公園外で民家も建ってますが左画面外の東側にも石垣が続いています。訪問時は整備工事は左手蛇尾堀跡沿いの下段の石垣周辺が作業中でした。
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二の丸東側の堀は舗装路になっており、そこを通って藤門脇まで戻ると石垣は積み直してまだ時間が経ってないようで、微妙なポジションを揃える墨出しの縦横のラインがまだ残ってました。
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福島地方裁判所白河支部の北西にひっそりと移築されてる太鼓櫓です。二度の移築で改変された上に私有地内で近づく事も出来ませんが、唯一残った建築で市の重要文化財です。
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手前の北小路跡碑と一緒に設置されてる解説板です。
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建物を見に戻ります。

白河城御櫓絵図や遺構を元に復原された建築を見て行きます。まずは南南東より、旅行ガイド等で良く見る角度で。
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前御門手前の多聞櫓は、往時には南側石垣崩壊部まで折れて続いていました。

南西、桜之門跡より。この角度も良く見かけます。三重櫓は高さ14mで再建当時の法律では旧状に基づく復元は不可能でした。
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前御門を正面より。平成6年に三重櫓に続いて復元されました。
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門の内部の様子です。大手門の礎石も往時にはこの様に柱を支えていました。
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三重櫓に入ります。平成3年掛川城よりも3年早く復元された木造天守建築の走りですが、江戸幕府の政策で天守と呼べず御三階櫓と呼ばれていたため、木造復元天守1号を名乗っていません。
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平成5年の建築基準法改正前の再建で建築物ではなく工作物として認可を受けたため、竣工当初内部を公開したものの法令違反になってしまいましたが、対処して再公開したのも20年前の話です。

一階内部の様子です。六間四方の規模で、南北と西面に張り出しを持ちます。
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層塔型天守の走りで、内側の四間四方の柱が、そのまま二階の規模になってます。

復元に際して木材は戊辰戦争の激戦地である市内松並の稲荷山の杉が用いられ、順路数カ所で撃ち込まれた弾痕が見られます。これは床材の弾痕の一つです。
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その解説板です。現存建築ではないのでここでの銃撃のものではありません。
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北側の張り出しは石垣の外にせり出て石落としを兼ねています。
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石落としと言っても石を投げてただけではなく、実際の戦では銃・弓・熱湯・糞尿などあらゆる手段が講じられました。

二階の様子です。四間四方の規模で東面に張り出しを持ちます。
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階段の間の柱は基礎から三階の床まで続いて支える通し柱になってます。

南側窓より、二の丸跡と市街地を望みます。白河駅が二の丸のすぐ先に見えます。
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櫓内の階段も旧状の通りに急な角度で復元され、混雑時は人数制限が掛かります。
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知名度故か姫路城や名古屋城の様にエレベーターを付けろとかは騒がれてないみたいです。

三階の内部の様子です。二間四方で天守建築の最上階としてはミニマムなサイズです。
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上を見上げると天井が張られていないので棟札が見えます。
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駐車場といい、この三重櫓といい、公開・維持・修復に多額の費用が掛かってるのに、無料というのはちょっと頑張り過ぎな気もする充実度です。(集古苑のみ有料)

陸奥白河小峰城(その1)

白河小峰城は阿武隈川右岸の独立小丘陵を中心に築かれた南北朝時代の城を1632年に丹羽長重が改修して今の形にさせた平山城です。

JR白河駅は半分くらいが小峰城の三の丸城内に当たり、城山公園がホームの目の前で三重櫓も良く見えます。 昨年東日本大震災で崩落した石垣の復旧工事が終わったとの事で行ってみました。実際は城山公園主要部崩壊部分の復旧が終わっただけで、整備は続いています。

JR白河駅沿いの三の門跡付近の無料駐車場から公園に入る横に設置されてる国指定史跡小峰城跡の解説板です。
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二の丸の入口だった太鼓門の跡より二の丸跡を見ています。復旧工事中は真っ直ぐ作業車通路が設定されていたので、撤去後の芝生がまだ養生中でした。
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二の丸の北寄り、各門から来た人が集まる辺りに「東日本大震災からの復旧」という復旧工事の概要を紹介する説明板が設置されてます。
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工事を担当した鹿島建設HPや文化遺産の世界の特集ページがとても詳しいです。「白河小峰城 被災」で検索すると両サイトがトップで出て来ます。

本丸正面口の清水門跡です。正面の石垣が崩壊した様子を見た驚きは熊本城の比ではなく、東北地方の石垣積みの城郭への絶望感が今でも忘れられません。
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熊本城は現存建築が大破した事の方がショックでしたし、明治以降整備した石垣が江戸時代のままのものよりも崩れた前例は他にも有ったので・・・。(復元建築の石垣が軒並み崩れたのは保護のために石垣に荷重が掛からなくし過ぎたための気がします)

清水門脇の内堀です。
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復旧成った本丸南面全景です。上にいる人物との比べると高さなどが分かります。崩落した石はコケやカビが落ちて綺麗になってるのですぐ判ります。更にどうしても交換が必要だった石は白くて見分けがつきます。
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場内あちらこちらで見られる小峰城独特の弧を描く様な積み方も完全に復元されていて、ちょっと感動モノです。

本丸最後の護りの前御門横に広がる竹之丸跡より門や三重櫓を見ています。
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解説板が設置されてます。
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前御門を潜って本丸へ入ります。
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本丸跡です。前御門すぐ横の本丸東端より見ています。芝生は御殿跡で、西から北にかけては高くなって城外からは見えない構造になってます。独立丘陵を削って築いたと思われ、丘陵は公園外三の丸まで続いています。
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上段には富士見櫓、月見櫓などが建ってましたが、丹羽長重公築城址の碑やトッド博士の皆既日食観測地跡ともどもまだ立入禁止解除が遅くなってました。現在は規制解除されてます。

本丸御殿跡についての解説板のアップです。
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本丸上段東端に建つ復元三重櫓です。往時は御三階櫓と呼ばれていた実質天守です。
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上に行くと二間づつ逓減(小さくなる)する造りが、この角度だと良く解ります。

解説板では跡として紹介されてます。復元や櫓に関してなどは櫓内で解説を見るようになってます。
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本丸からの帰りは南西口の桜之門跡より下るとすぐ横は帯曲輪門跡ですが、震災で耐えた石垣が孕んで来ていて、立入禁止になってます。帯曲輪のバラ園も再開はまだまだのようです。
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崩れた石垣の修繕は終わっても、まだまだやらなければならない事がいっぱいです。

二の丸西側元太鼓門と会津門の間に資料館の白河集古苑が建てられてます。その入り口前に大手門の礎石が移設されてます。
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解説板もすぐ横で、発掘の状況や元の位置も図示されてます。
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大手門跡は駅の南側で三の門跡から、この城門のような歩行者用ガードを抜けて少し歩いた場所です。
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大手門跡を南より見てます。奥の道を左に進むと駅南口がすぐです。観光案内所では聞かれる事もないのか誰も知らないようでしたが、この通りにお住まいの方が教えてくれました。礎石の有った櫓門の跡がちゃんと表示されてます。
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先ほどのガードは電車で来た人の来城通路でもあり、復元図のほか城についてや震災についてなど、いろいろな解説が読める様になってます。
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また駅の南口広場には発掘された道場門の跡も現状保存されてます。後方は駅のホーム越しに本丸石垣です。
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枡形内の櫓門跡です。
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その脇に設置されてる解説板です。
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続きます。

稲敷市佐倉原古墳群

県道49号線と206号線の交差する東側台地上に分布する円墳6基から成る古墳群ですが古墳自体は未調査で、2基は既に失なわれています。楯の台古墳群がすぐ東に隣接してましたが、そちらも多くが土取りで調査の上湮滅してます。

群中最北の墳丘を西より見てます。近くで見るより墳形が良く見えます。規模は直径約12m、高さ約4m程でしょうか。
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資料を読む限り3号墳か4号墳のどちらかなのですが、湮滅したもう2基など詳細は今の所調べられてません。

すぐ脇の未舗装の農道に入って北西より近影。夏場はこの大量の枯れ草が元気に生い茂って見学には不向きです。
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南より。墳丘南面が露出してますが、中央の木の根辺りが徐々に崩落してる様に見えてちょっと心配です。
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1基だけ西に離れコンビニや倉庫の近くの墳丘を東より見てます。直径約10m、高さ約3mの円墳ですが角の丸くなった方墳にも見えます。
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3号墳か4号墳のどちらかなのですが・・・。

南より。墳丘周辺は耕作地でないため、年中藪か枯れ草で覆われてますが樹木が生えてないので墳形は見易い方です。
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1基目横の農道を南に110m進んだ脇の墳丘を北東より見てます。写らないように撮ってますが、すぐ左に5号墳が在ります。
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南東より。現状直径約5m、高さ約1.3m程の小さいマウンドです。
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唯一号数の判った5号墳を北西より見てます。墳頂に三角点が設置されてるのでこの一基だけは地図で確認出来る事が多いです。
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南西より。直径約15m、高さ約3.5m程と思いますが、木の根に侵されかなり平面積が小さくなってる様に見えます。
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プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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