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我孫子市水神山古墳

我孫子市役所の南東およそ700mの南に手賀沼を見下ろす標高20m程の台地縁に、周辺では一際大きく、築造も早い前方後円墳が在ります。東西には一つの古墳群に括られてませんが複数の現存・埋没古墳が並んでます。

県道8号線から手賀沼ふれあいラインを東に向かい、水生植物園の看板から北へ坂を上がって、舗装が赤くなったら左にV字に折り返して突き当りまで直進すると墳丘に辿り着けます。
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北東より見ていて、左が前方部で右奥が後円部になります。

反対側南西より。「房総の古墳を歩く」によると以前は説明板が後円部側で、左手画面外の民家脇の崖っぷちを抜けないと読みに行けなかったようです。
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北側が住宅、南側が急斜面で、真横からとはいきませんでしたが、南面の墳形です。全長約69m。高さ5mの東向きの前方後円墳です。
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くびれ部はほぼ旧地表で、元々台地縁にあった高まりを利用して築かれています。

前方部より後円部を見てます。丁度50年前に東大考古学研究室中心で発掘調査が行われ、後円部墳頂主軸線上に粘土槨が確認され割竹形木棺で埋葬されたものと推定されてます。また後円部は四角く芯になる基礎に突き固めながら層を重ね、あとから斜めに削って型崩れし難く築かれています。
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ガラス小玉は大量に出たものの盗掘を受けてたため他には刀子や玉類が僅かに出ただけでした。武器の類が無いため被葬者は女性でないかとも考えられてます。

後円部主体部横で180度振り返って前方部を見てます。前方部墳頂では土師器の甕か壺と思われる土器片が出土してます。
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前方部北側に設置されている解説板です。墳形や遺物などから4世紀終盤の築造とされ、県指定史跡となってます。
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教育委員会の入ってる建物のロビーに遺物が展示されてました。
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川崎市有馬古墳

横浜国際プールの北北東およそ250mの、横浜と川崎の市境を越えた川崎市側に在ります。

南西より見てます。以前は他と同じ普通のフェンスで囲われてましたが、この辺だけ近年駐車場(?)と高いフェンスに変わってました。
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手前の道路が市境になります。

北西側のたぬき公園より。有馬大塚とも呼ばれる未発掘調査の円墳で、直径26.5m、高さ4.2mを測ります。
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北東より。公園の裏側の入口になっていて、その名の通りたぬきがいます(^∇^)。
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墳頂の稲荷社の様子です。ぺんの古墳探訪記さんによると祟りの話が伝わり、墳丘周辺での耕作を避けられたためよく残ってるそうです。
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「新編武蔵風土記稿」には古墳として掲載されてますが、立地状況やすぐ近隣に古墳が無い(中世の墳墓は在る)ことから、一里塚や境界を表す塚などの説も有ります。

芝山町小池古墳群

芝山町役場から南東におよそ400m、芝山古墳・はにわ博物館に向かう途中県道45号線を挟んで両側に削られた古墳が見えます。

左手の大きな墳丘が小池1号墳です。南西より見てます。右側(南側)は道路で削られ急斜面になってますが、その際横穴式石室が出ました。
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南東より見てます。恐らく電柱後ろの削られた場所が石室跡ですが痕跡は見えませんでした。
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砂岩切石積みの石室からは人骨片、鉄鏃、須恵器片、ガラス玉が出土してます。

墳丘は北面だけが削られず元の形状を留めていると思われ、復元推定規模は直径30m、高さ6mに達します。
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墳頂には宝篋印塔が造立され良好に残ってます。
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1号墳のすぐ南東に在る2号墳は2軒の民家に挟まれて著しく変形した一部が残ってます。北東より見てます。
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北西より。復元推定規模直径約10m、高さ約3mの円墳で、中心部がリンゴの芯の様に右奥方向に残っています。
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ただ写ってる部分が墳丘端には見えませんので実際はもっと大きく手前側県道の方まで墳丘だったと思います。

1号墳の真向かいのお宅の庭には3号墳が残されてます。西側の道路から見てますが、手前に隣家との境が土手状に盛られてます。
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直径約10m、高さ2.9mの円墳で南側が若干削られてます。

4・5号墳は3号墳の南におよそ300m離れてます。4号墳を北より見てます。
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南より。東側は宅地で大きく削られています。直径15m、高さ2.7mの円墳です。
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4号墳の南側道路の向かいに在る5号墳を西より見てます。直径約16m、高さ2.3mの円墳です。ぱっと見手前の道路側以外は良好に残存してる様に見えますが・・・
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反対から見ると、またしても中央部を残して東西を大きく削られた楕円形状の残り方です。
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資料では(調査時には)もっとも良好に残っているとされてた6号墳は5号墳の南およそ100mなのですが見てアングリ。
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直径12.5m、高さ2.6mの円墳だったのですが、奥までキャタピラの跡があるって事は耕作の為でもないのでしょうか・・・?

光が透けてるので判かりますが左の藪は隣接する墓地に生えてる木で、墳丘は南側の一部を残して重機の餌食になってしまった様です。
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2000年頃までは南の墓地からポコッと北にはみ出てる姿が写ってますが、10年後までには畑が扇状に南に拡張されたみたいです。恐らく埴輪を持つ墳丘で、断面には砕かれたような小さな破片らしき物が多数見られました。

柏市布施新田古墳

柏市弁天古墳の南西およそ1.4km、布施弁天通り沿いの布施新田ふるさと会館敷地内に、一部宅地の下に取り込まれながらも残る古墳が在ります。

現況宅地とされてる上に手前の滑り台が目立ち過ぎて、墳頂の木が茂ってたらきっと全然気付きませんでした。
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埋まった部分は不明ですが直径約10m、高さ約1mの円墳だと思われます。

北より見てます。周りの地形を見るとほぼ平坦で、背後の民家だけが墳丘を削らず上に土を盛って建てられてるのが解ります。
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墳丘西側には多くの石碑や石仏が並べられています。
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未調査の古墳ですが、墳丘を良く見るとこんなのが表面に出てたりしました。2枚目の画像の範囲内です。
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酒々井町墨八石古墳 墨六所神社古墳

墨小盛田古墳から南西におよそ530m、県道77号線から見た墨八石(すみはちこく)古墳です。1辺約20m、高さ約3mの方墳ですが、年中藪に覆われ裾の一部しか見えません。
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現状木立から張り出す円墳状ですが、周溝の確認だけ行われてます。

墨八石古墳から県道を南下して南南東におよそ850m、墨の六所神社の社殿の脇に円墳が1基在ります。
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北東より。直径約15m、高さ約2mの円墳です。
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東側平成に建て替えられた社殿の脇より。こちらは全くの未調査墳丘です。
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墳丘上に祀られてる石祠のアップです。
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墨六所神社の南およそ300mの森の中に未調査の上円下方墳の墨広畑古墳が半壊で現存するらしいのですが、アクセスする道が完全に消滅して近付けませんでした( ノД`)。

秦野市念仏塚古墳


秦野市市街地北西部、複数の工業団地が集まる中央のカルチャーパークから水無川を渡って北東におよそ300m、やはり工場に囲まれるようにして1基の円墳が保存されています。

東南東より見てます。背後はクアーズテックの事業所で、敷地の隅でもなく絶対邪魔だと思える墳丘を避けてくれてます。
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北東より。直径約15m、高さ約2mの規模で発掘調査は行われていません。
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墳頂には字の消えかかった石碑が建ち、周囲には石もチラホラ見えます。
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裏より。道路の向かいにも頂に石碑の建つマウンドが見えます。かつては周囲に他にも墳丘が在って念仏塚古墳群を形成してたようですが、このマウンド自体は神奈川中央交通が来るまでは何も無かった場所なので古墳ではないでしょう。
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塚の可能性が有りつつも20年前に後期古墳とする標柱が設置されたハズなのですが、撤去されたのか見当たりませんでした。

頓化原古墳平成30年度現地説明会

10日前の記事でもお知らせした通りに24日晴天の中現地説明会が行われ、約90人の見学者が来場しました。

まずはいせきぴあ茨城正面で高岡教育長の挨拶と、茨城大田中教授の概要説明の後、3班に分かれて調査中の墳丘を各方向より見ます。

北西より。見えてるのが第1トレンチです。
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北東より。溝は見えませんが右が第2トレンチ、左が第3トレンチです。画像左端辺りが東側周溝の位置になります。
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南東より。北方小学校建設で削られた面にはブロック塀で土砂の流出を防いでましたが、強度が無いので調査に先立ち補強されてます。
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南西より。墳丘横は調査が済むまでこの状況と思われますが、西側は土嚢ではなくコンクリブロックで補強されてました。
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石室の解説板と標柱は開口部西側に移設されてます。

続いて調査状況を周ります。これは西面に東西に設定された第1トレンチ全景です。手前のプラスチックケースは遺物展示です。
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トレンチ解説中の模様です。墳丘に辿り着く前に後世の遺物が大量に出土したため今回はここまでの調査に留めるそうで、長軸長は判明しませんでした。(五月連休中に掘り下げる予定ですが公開の予定は無し)
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トレンチ手前端と中央付近の墳端下に石敷き遺構が出て、切り株手前側からはかわらけが、奥側からは瓦が大量に出土しました。

マウンド側の石敷き遺構の脇で、瓦がまだまだ埋まっています。瓦は既に100枚以上確認されてます。
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出土した瓦は山積みになってましたが、一部洗浄して展示されました。
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左下の寛永通宝はその上の封土から出たそうです。

同じくかわらけも展示されました。かわらけ(片)も50枚以上出てるそうです。
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次は石室の北側に南北に設置された第2トレンチです。切り株の奥の溝が周溝で、前後のやや薄い赤土が関東ローム層になり、奥の黒い斜面が墳丘表面です。周溝が墳丘から離れてますが、外側も同じ高さなので基壇とは言えないのでしょうか・・・?
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旧表土は無く、墳端手前の(関東ローム層より少し高くなって見えてる)今市・七本桜軽石層という縄文時代の火山灰の赤い堆積土まで一度削り取ってから、集めておいた黒土だけを用いて築造するという手間のかかる工程が判明しました。

前にも見た様な光景ですが、筑波大学の学生さんが周溝内の堆積土に後世に掘り直された薬研掘状の遺構の説明をしてくれてます。
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後世の溝の断面が良く見えます。石室の主軸線上に北に向かって6ヶ所のビットが検出されており、築造に伴うものとも考えられますが、古墳がほぼ正確に東西南北を意識して築かれてるのと併せて興味深い遺構です。
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周溝底の黄色い土はいわゆる鹿沼土の層です。

次は東面に設定された第3トレンチです。手前トレンチ端から周溝が出たので、向かいの第1トレンチの調査が進めば東西長も正確に判明します。
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黒土だけで盛土をされてたので、このトレンチはやや掘り過ぎて墳丘内も掘り下げてるそうで、見辛いですが下方に掘った墳丘表面の位置か線刻されてます。
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墳端は右端の切り株の辺りで、第2トレンチと同様に周溝とは離れています。
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周溝内から後世の石組み遺構が見つかりました。現況も東の民家側に落ち込む地形なのですが、これは南北に伸びて境界を表してるのではないかとの事でした。
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今回望外で嬉しい事に、東日本大震災で破損し立ち入り不可になっていた横穴式石室を公開してくれました。
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良く見るとブロックより少し高い位置で左右の羨道側壁上部が削られてます。ここには後世梁などが架けられ祭事等で使用されてた可能性が推定されてます。天井石も位置を揃えて削られてる様に見えます。

まずパイプとネットで正面から撮影出来なかった奥壁と
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床面です。
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羨道左壁側壁と玄門袖石の間に隙間が開いてます。
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まぐさ石の傾き具合も下から。奥が浮いて羨道の側壁も押してるのが解ります。
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石組が歪んでるのは震災の為と思ってましたが、実は1980年代に天井石が落ちて石室の積み直しがされた際にちゃんと元位置に戻されてなかった事が原因だそうです。

玄室の右壁にはしきみ石の真上に切り欠きが有り、玄門全体が外側にズレてると考えられてます。
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また右壁は切り出した際に左壁と高さが揃わなかったのか上部に石を挟んで天井石の水平を図ってます。天井石には震災によりヒビが入ってます。
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別の班に分けられ先に撮影された週末は古墳巡りさんの画像ではここにコウモリがぶら下がってます。

まぐさ石裏でも天井に大きなヒビが。石の摩擦力だけで支えられてる部分もありとても危険です。
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ゴールデンウイークの継続調査に続き、9月にも主軸斜め方向の調査等が検討されていて、両方の成果を発表する機会も考えられてるそうです。

かすみがうら市~石岡市井関・風返古墳群(その4)

最後に27号墳の北から北西にかけて分布する墳丘を巡りました。このエリアで発掘調査は行われていません。

27号墳の北およそ70mにも大円墳が在ります。25号墳です。北東より全景を見てます。
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北西より。直径約43m、高さ約6mの円墳で、スクボ塚古墳と呼ばれてます。
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東面で道路に面してる鳥居より見上げています。円筒埴輪が出土してて6世紀終盤の築造と推定されてます。
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墳頂にもう1基の鳥居が建ってて、広い平坦面には小さな祠と、何故か参道と向きがズレてるこの稲荷塚の祠が鎮座してます。
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参道は石段ではなく、木やソフビのパイプ等で整備されてるようです。木が朽ちた段を差し替えてまだ新しいのか綺麗なのですが、5~7段目のちょうど踏む場所に埴輪片がゴロゴロしてて、パイプが歪むと割ってしまいそうな気がします。
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並べて撮影した後段の右側に避けて置いておきました。

全然見えませんが25号墳の北東側、ガードレールが途切れる場所に直径約20m、高さ約2.5mの円墳の26号墳が現存してます。
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ガードレール脇から藪に一歩入って北側を見ると、道路脇で見えないとは思えない規模の墳丘が確かに残っています。
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25号墳の西およそ170mの畑の中央に石棺材が露出して板石が積まれています。
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北東より。その数と状況から運ばれたものではないと考えられ、墳形不明の34号墳とされました。
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北隣の大工さんの敷地内からも石棺が露出し33号墳とされてますが、そちらは埋め戻されたのか全く見えませんでした。

34号墳の北西およそ45mの道路脇に在る24号墳を南西より見てます。
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北より。直径約25m、高さ約2mの円墳で、以前は墳頂に八坂神社が祀られていたそうです。
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25号墳の北西およそ250m、現在は道路が変えられて少し奥まった場所に瓢箪塚が在ります。その名の通り地元では前方後円墳と捉えて保存されていましたが、分布調査では2基の円墳とされ、このマウンドは32号墳とされてます。南南西より。
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北東より見てます。直径約2m、高さ約1m残存している円墳とされてます。前方後円墳なら前方部に当たります。
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左奥の墓地の横にはこれよりも少し立派なマウンドが在って墓地も宅地も避けてますが詳細不明です。

北北東に隣接する23号墳を北より見てます。
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南西より。直径約22m、高さ約3mの円墳とされていて、前方後円墳なら後円部に当たります。
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墳頂には山ノ神の祠が祀られています。ここが群中北西端になります。
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地主の方の仰る通り2基併せて瓢箪塚という前方後円墳として南東より見ると左手前が前方部で右奥が後円部になります。
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南西より。全長は約28mで、南南西向きになります。確かに周囲は後期古墳ばかりなのに前方後円墳として古い様相なのは違和感も拭えません。もちろん現状は削られて縮小してることでしょうが・・・。
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瓢箪塚前方部より後円部を見上げてます。両側の道路が低くなってるのでくびれ部と地山の比高が気になりますが・・・。
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瓢箪塚後円部より前方部を見てます。と言っても全然違和感は感じません。
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現在も信仰の対象で、車道も移動して掘る必要性が無いのですが、発掘して調べないとどちらが正しいかは判明しません。

かすみがうら市~石岡市井関・風返古墳群(その3)

ここから市境を越えて石岡市の旧井関古墳群に入ります。

31号墳は境界線がかすみがうら市側に食い込んだ、7号墳の東北東およそ90mの台地縁に在ります。南東より見てます。
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資料では見ませんでしたが、案内して下さった地元の方によると瓦塚古墳と呼ばれ、横の空き地は古くは瓦職人の作業場だったそうです。

北より見てます。直径約20m、高さ約3mの円墳です。
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墳頂は南側が半分近く高さ1mほど削られていますが、何も確認できませんでした。左側の低い場所も墳丘上です。
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30号墳は31号墳より北北西におよそ130mの金子沢製鉄遺跡内に在る直径約15m、高さ0.5mの円墳ですが、現状深い藪で撮影するとマウンドに見えません。
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場所は2号墳のすぐ近くで、2号墳発掘当時従事されてた方によると帆立貝型墳丘の認識が無く、この低い高まりよりも(削られたと思った)前方部の先の方が気になった記憶があるそうです。

その2号墳を西より見てます。風返浅間古墳と同規模の墳丘ですが、こちらは石岡市ですので・・・。
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南西より。真横から見てる形で、ビニールハウスの右奥が前方部になります。
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風返大日山古墳と呼ばれ、全長55m、高さ6.3mの帆立貝形前方後円墳です。
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解説板は農道脇ではなく墳丘裾部に設置されてます。撮ってる場所が市の境になってます。
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墳頂に窪みが有っていろいろ詰まってますが発見された箱式石棺を抜いた跡なのでしょうか・・・?
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墳頂から見つかった箱式石棺内外からは刀や鉄鏃、玉類に3体分の人骨が出土してます。

後円部から10m程の短い前方部を見下ろしてます。周囲は深い藪でこちらからしか見えません。
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ここからは鶏頭の埴輪が見つかってます。遺物などから6世紀初頭、群の他の大型古墳に先駆けて築かれたと推定されてます。

前方部で180度振り返って後円部を見上げてます。斜面・裾部から円筒埴輪片が大量に出土しており、埴輪列が2列は有ったものと推定されてます。
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発掘直後の地権の譲渡の際に住民の方々によって移された墳丘周辺の石造品などです。
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2枚の板石は古墳の石材で間違いないと思いますが、移設当時に石碑に転用されてたという事は発掘した石棺とは別の場所のものという事になります。
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説明板も設置されていて、地元で大事にされていた事が解ります。板石の彫刻や石仏の数から永く信仰の対象になってた事と思われます。結果として土取りもされず墳丘は残りました。
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21号墳は2号墳の西およそ100mの畑下の墳形不明の埋没石棺で、かつては機械で壊さぬ様に画像中央に目印がされてたそうですが・・・・。
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ここから北西に移動します。間に2基の円墳(28・29号)が現存するはずです。2号墳発掘に携わった方とアクセスする山道の入口まで入りましたが、道が使われなくなって30年以上経っており道に杉の木が生えてたりして何の装備も無しではとても近付けませんでした。

2号墳の西北西およそ450mに在る27号墳を北西より。近年は墳丘上の木々が伐採され墳形が良く見えます。
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北東より。古八幡塚古墳と呼ばれてる直径約35m、高さ約4mの円墳です。
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南東より見てます。墳頂の祠への参道が見えます。未調査のため詳細は不明です。
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墳頂南東側に八幡様の祠が祀られてます。
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祠の背後より、墳頂と25・26号墳方面を見ています。
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もう一回続きます。

かすみがうら市~石岡市井関・風返古墳群(その2)

昨日の続きです。

9号墳から県道に戻り北へ進むとすぐ、下り坂の手前で西へ道が分かれます。分布図ではここに大日塚が墳頂に祀られた直径25mの6号墳が在る事になってるのですが、地元の方は記憶に無いとの事。
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現在県道は画像右側を下ってるのですが、以前は左奥の塀の所で右に折れて下っていたとの事でもしや・・・。

分岐から西へ70m程進むと左右に墳丘が見えてきます。これは右側(北側)の7号墳です。
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風返山ノ神古墳と呼ばれます。この周辺の4基は地元の方によって墳丘名の看板が立てられてます。
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通り過ぎて西より見てます。直径約10m、高さ2mの裾部を削られた円墳とされ、実際道路側から見ると墳丘中央部は良く残ってる様に見えますが・・・
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裏側から見るとほぼ全面に渡って崩壊しかけてます(ノ_<)。
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道路の向かいには4号墳が在ります。道路側、北より見てます。
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少し竹の少ない東より。直径約56m、高さ約6mでかすみがうら市内で見ると最大級の円墳で市の指定史跡になってます。
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風返浅間山古墳と呼ばれ、墳形は石岡市の鹿の子大塚山古墳をちょうど2倍にした形をしています。
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解説板の前に竹が生えてかなり育ってきてます。この画はフォトショでいじってズレてる様に見せてます。
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枯れたり間伐された竹が積もってますが、周溝が良好に残ってます。
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墳頂の様子です。やや広い楕円形の平坦面になってます。壊れた石祠の前に下から頭を出した板石が見えますが・・・?
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埴輪が無いので7世紀代になってから、群中の大型古墳では最後の築造と推定されてます。

7号墳の北西およそ70mに在る3号墳を南より見てます。
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看板のアップ。風返羽黒山古墳と呼ばれ、直径35m、高さ5.6mの円墳です。
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北西より。主体部は未調査ですが、墳丘上で埴輪列が確認され6世紀後半の築造と推定されてます。
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3号墳の南西およそ50mに在る5号墳です。南西より見てます。右奥に3号墳、ビニールハウスの奥に2号墳が見えてます。
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北東より。風返藤塚古墳と呼ばれる直径約10m、高さ約2mの円墳です。主体部は見つかってません。
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墳頂の祠は庇がちょこっと壊れてました。墳頂からは陶器の大甕が出土してます。
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次は石岡市側の墳丘に続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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