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高崎市綿貫古墳群(その1)

高崎市東部、井野川右岸に分布する5基の前方後円墳と多数の円墳から成る古墳群で、かつてはその数100基を超えてたそうです。群の1基として紹介される事も殆ど無い市ヶ原1117所在古墳も分布域に含まれ、現状最南端扱いの不動山古墳との間、原子力研究所内には南南東向きで全長115mの前方後円墳で群中最大の岩鼻二子山古墳や北西向きで全長43.2mの帆立貝型前方後円墳の金堀古墳が在りました。

不動山古墳後円部南側に古墳と綿貫古墳群についての解説板が設置されてます。
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不動山古墳を南西より見てます。平成になって高崎市指定史跡となりましたが、昭和中期に土取りのため前方部は基部を残して削られ、一時は何棟もの建物が建ってました。
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北側は造り出しが確認され土師器坩や壷が出土し祭事場であったと推定されてます。また道路になった南側と対照的に周溝跡が良く残ってます。

後円部墳頂と上州綿貫不動尊堂の様子です。全長94m、高さ約10mの西南西向きの前方後円墳ですが、不動尊堂を建てるのに墳頂を1.5mほど削られたと推定されてます。
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不動尊堂の裏に置かれてる凝灰岩製の刳抜式舟形石棺です。覆屋で保護されてます。
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身部のみ残っていて、しかも大分削れてしまってますが、両端に縄掛突起はしっかり残ってます。
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不動尊参道の階段脇に中空を向いて設置されてる解説板です。
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不動山古墳の北東およそ100mに在る岩鼻村18号墳を東より見てます。直径約20m、高さ1.5mの円墳で墳丘上は墓地になってます。
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続きます。
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流山市東深井古墳群(その2)

昨日の続きで分布図片手に西側の墳丘を周ります。10~12号墳の3基のみ9号墳と共に残存状況が良好と見て、番号を付与し発掘調査されてます。未調査の墳丘は資料が無く、藪に覆われてたり殆ど墳丘が無かったりもしますが、撮影は全て真冬の状況で最も見栄えの良い角度を選んでおり、夏場は遊歩道すら蜘蛛の巣だらけで見学は難しいです。

7号墳の西隣に在る10号墳を北西より見てます。直径約14m、高さ推定1.25mの規模です。
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基壇状テラスを持ち周囲には幅約2.4mの周溝が確認されてますが、南西部では1m近く幅が拡がって均一ではありません。

18号墳を南東より見てます。8号墳の南西およそ30mで柵で囲われてますが、真冬でもマウンドがどこだか判別できません。
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17号墳を北西より見てます。18号墳の北およそ30mですが、同様の状況でマウンドが確認できません。
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13号墳を北西より見てます。17号墳の西約30mに在る円墳で直径約10mの規模ですが高さは中心で50cm有るか無いか程度です。
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発掘はされてませんが人物・鶏型の形象埴輪が出土してます。

北西に並ぶ14号墳を南東より見てます。13号墳とほぼ同規模と思われますが、こちらは約1mの高さのマウンドが残ってます。
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こちらも未発掘ながら人物埴輪が出土してます。

13号墳から西へ更におよそ30mに在る15号墳を南東より見てます。直径約13m、高さ約1.5mの規模です。
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16号墳を東より見てます。柵から判断すると直径約10m、高さ約1.3mの規模ですがメインの遊歩道が脇を削って通っており、もっと立派に見えます。
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16号墳の北西およそ15mに在る11号墳を北東より見てます。直径16.5m、高さ1.6mの規模で西側にブリッジを残して周溝が巡ってます。
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発掘時には盗掘跡が酷く鉄鏃や刀子、埴輪片を検出するも主体部や埴輪列は特定できませんでした。後に刊行された市史では8号墳同様土壙が見つかり木棺直葬と推定されるとしてます。

11号墳のすぐ西に並び、群中西端にある12号墳を北東より見てます。直径16m、高さ1.5mの規模で、幅3.2mの周溝も確認されました。こちらは均整のとれた墳丘が残ってましたが、やはり全面的に盗掘で荒らされてました。
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主体部はやはり見つからず、円筒埴輪片と人物埴輪片が見つかったのみです。

群中最も南に在る19号墳を北より見てます。見た目には直径15m以上、高さ約2mで、わざわざ遊歩道を外れて頂上を歩き抜けたくなるのも理解できる高まりなのですが、分布図では群中最も小さい規模で獣道の左側のみ描かれてます。
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実際には行政区分を越えて広範囲に分布する古墳群と考えられ、後世の運河にも古墳が在ったかもしれませんし隣接する柏市の八幡山古墳群も同一群に含むのが妥当だと思われます。

流山市東深井古墳群(その1)

下三ヶ尾古墳群の南西およそ1km、東深井古墳の森公園内に7号~19号墳が現状保存されてる古墳群です。
公園北側の利根運河との間の住宅街は東深井第Ⅰ遺跡の跡、また谷津を挟んで南東の汚泥再生処理センターは東深井古墳群Ⅱの跡で、器材埴輪片の出土した3号墳を含む1~6号墳の円墳(跡)や方形周溝墓などが在りました。
失われたエリアでは3基から横穴式石室が検出されましたが、現存エリアでは全基盗掘されてる事もあって1基も埋葬施設が見つかってないと報告されてます。

まずは古墳の森の一番奥、群中最も東に在る9号墳を西より見てます。調査までは円墳と考えられてましたが発掘した結果全長20.8m、高さ1.5mの南西向きの帆立貝型前方後円墳と判明しました。陽が当たってる部分が後円部で、右手前が前方部です。
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群中唯一の前方後円墳であり、また鰭ヶ崎三本松古墳が記録上のモノになった現在市内で唯一の前方後円墳でもあります。 

前方部より後円部を見てます。写ってませんが墳丘と柵に跨って倒木が宙に浮いて危険な状態のまま放置されてました( ノД`)。
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後円部は荒らされてましたが円筒埴輪片が周溝から出土してます。

後円部で180度振り返って前方部を見てます。周溝が確認されましたが前方部先端のみブリッジ状に浅くなってました。
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前方部は目立たなかったのか墳丘上からも武人・馬形などの形象埴輪が出土してます。

出土した3体の盾持武人埴輪は流山市立中央図書館/博物館共有ロビーに展示されてます。
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埴輪の解説です。
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9号墳の西の2基は直上に高圧電線を通す事になり鉄塔建設の為森林を伐採して、東深井第Ⅰ遺跡に先立って調査されました。

7号墳を北より見てます。直径13.4m、高さ1.3mの墳丘に幅70~120cmの基壇状テラスを挟んで幅約1.8mの周溝が確認されましたが主体部は見つかりませんでした。
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裾部には41本の円筒埴輪列が見つかり、南東部内側には人物・鶏・魚等の形象埴輪が出土してます。

北西より見てます。埴輪列の内外にも円筒埴輪が見つかっており総数は41本になります。これらは三重の埴輪列を形成していた可能性も有ります。
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鶏形埴輪や魚形埴輪などの埴輪は野田市郷土博物館 デジタルミュージアムで紹介されてます。()No.29~32、34)

7号墳の南約30mに在る8号墳を北西より見てます。直径11m、高さ1mで周囲に幅2mの周溝が巡ります。
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流山町時代の資料では墳丘中央から刀子片1点が出土した以外、主体部は何も見つからないとしてますが、市史では土壙が有って木棺直葬と推定しています。

分布図では7号墳と8号墳の間に建つ鉄塔下にもう1基(?)の円墳が描かれてます。詳細不明。
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群の解説板です。この他現地に散策案内マップも有りますが、木々の陰でコントラストがきつく、絵や文字も掠れて読み難くなったままでしたので割愛します。
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最後に消滅エリアの墳丘の概要です。
1号墳 直径22mの円墳 主体部不明 円筒埴輪出土
2号墳 直径11mの円墳 箱型石棺  直刀・鹿角装刀子・鉄鏃・ガラス玉出土
3号墳 直径13mの円墳 横穴式石室 円筒埴輪・翳形埴輪・直刀・鉄鏃出土
4号墳 直径13mの円墳 横穴式石室 
5号墳 直径23mの円墳 主体部不明 円筒埴輪・馬形埴輪出土
6号墳 直径21mの円墳 主体部不明 直刀出土

続きます。

長谷山本土寺(その2)

妙朗堂の裏には菖蒲園が広がっていて像師堂に向かって回廊が伸びてます。例年は紫陽花と菖蒲の共演が楽しめるのですが、残念な事に今年は雑草根の侵食による花の減少を受けて一旦すべての株を撤去して来年度の復活目指して作業中のため、昨年の菖蒲園の模様です。
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まぁ、確かに5000株の花菖蒲を目的に来た方には不満の残る光景だとは思います・・・・。

花が集まってて、尚且つ萎れずにちゃんと咲いてる場所は少ない印象ではありました。2010年のグーグルのストリートビューとは大違いです。
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自分は花はついでですが・・・。
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回廊の中です。手前が像師堂側で右手が菖蒲園です。
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像師堂を正面より見てます。元々ここは妙泉院という支院でしたが中世に輪蔵院と改称し、現在は当山に合併されてます。
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像師堂裏手にある井戸は乳出の御霊水(ちちでのごれいすい)です。日像菩薩誕生水とも呼ばれ蓋をされてますがその名の通り、飲むと病気が治ったり乳の出が良くなると言われてます。
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回廊を挟んで菖蒲園の南側には御廟所や稲荷と並んで弁天池が在り、弁天堂の祀られた島が中央に。
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古墳ではありません。

弁天堂の裏には滝もあって水が流れ出てます。
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滝の横には銭洗い弁天も在ります。画像では隠れてますが水を吐き出してる龍がとても可愛いので是非実際に見てみて下さい。
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池を周って像師堂参道へ戻ると1821年に建立された瑞鳳門が像師堂前から移築されてます。
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瑞鳳門から鐘楼付近にかけては無数の紫陽花が咲き乱れてます。
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境内全体で10000株の紫陽花が植えられ、土壌の酸性・アルカリ性で色違いだったり、多品種の花を鑑賞できます。
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本堂横から裏手、境内北側に入って行くと変わった花も多く咲いてました。
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また秋も紅葉を楽しめるようにカエデも1000本植えられてます。中には今の時期にもう紅くなってるものもチラホラしてますが、紅葉は紅葉でまた、見事だそうです。
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長谷山本土寺(その1)

紫陽花寺としても有名な松戸市北部に位置する本土寺は、桜の時期、紅葉時と並んで梅雨時は大変多くの来場者で賑わい、16日の日曜日には6000人もの方が訪れたそうです。

常磐線北小金駅北口から続く参道をおよそ700m進むと仁王門に着きます。
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17世紀半ばに建てられた3間半×2間の楼門で、階上には金色の千体佛が祀られてますが非公開。

潜る際図上を見上げると巨大な数珠が吊り下げられてます。
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更に進むと受付前で区切られてます。混雑時はここから有料となります。
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中に入るとすぐ左に鐘楼が建ってます。
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梵鐘は1287年の鋳造銘が有って県内で2番目に古いもので、国の重要文化財に指定され実物は宝物殿で保管されてます。
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鐘楼の隣には五重塔が建ってます。高さ18mのガラス繊維強化セメント製で、平成3年に日像菩薩650年遠忌紀念で建てられました。
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初重には昭和29年にインドの初代首相ジャワハルラール・ネルーより贈られてた仏舎利(釈迦の遺骨)の一粒を納め、千体佛と共に祀られています。正月三が日と紫陽花・紅葉の有料時期のみ公開されますが、耐火ガラスで光が反射して良く見えません。
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参道に戻って階段を上がると本堂です。1651年に祖師堂として創建され、明治15年に本堂として現在地に移築された後、昭和52年に5間四方に増改築されてます。
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境内北西端の本堂は東端の像師堂と建物や回廊で結ばれており間には寺務所や客殿、宝物殿などが並びます。紫陽花越しに見てるのは最も参道よりの開山堂で、右奥は客殿です。
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客殿入口に建つ赤門です。客殿と直接連結されています。
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赤門の東に並ぶ開山門です。元々は朗師門と呼ばれ、丸柱は境内最古の建築材で1310年のものです。
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門の中は立ち入り禁止でこの香風庵や三光亭などの茶室などが並んでます。
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開山門の南東に建つ妙朗堂です。昭和元年に建てられた3間半×4間半のお堂で、妙朗尼を祀ってます。
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中に安置されてる妙朗尼像です。HPでは本土寺を建立した日朗上人の母とし、お堂横の解説では日朗門下の日像・日輪の母で、日像自身により彫られたと書かれてます。
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続きます。

秦野市鶴巻巻頭古墳

小田急線東海大学前駅の北およそ200mの斜面上の住宅地の一角に残ってる円墳です。

南南西より見てます。擁壁で覆われ、一見して分譲して売れなかった角地にしか見えません。
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叔父の住まいが左の坂の上に在った際その存在を知りましたが、現在周辺に確認された古墳は在りません。

西から見てます。北側の住宅よりも1mくらい高くなってるのが分かります。黄金金神を祀ってるので黄金台とも呼ばれてます。
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反対側の東より見ても墳丘部分が一段高まってます。隣が公園で低くなってるので、古墳だけが突き出る形になってます。
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墳頂は南北約6m、東西約4mの黄金金神を祀る場所になっており、多くの石材が有りますが古墳由来のモノには見えません。
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参道の奥に祀られている金神様の石碑です。信仰で訪れる方も由緒などは不明のようです。
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牛久市富士山古墳 花見塚1号墳

JR常磐線牛久駅のすぐ南東に在る富士山古墳を南側参道の外より見てます。直径28m、高さ約2mの円墳です。
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南西より見てます。南へ下る傾斜地に築かれてるので、パッと見マウンド状の場所ではなく地形の段差上に神社を建てた様に見えます。
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特に東側は地続き状なのですが、北面を西から見ると駅前の地盤よりも墳頂の方が高いのが分かります。
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参道の途中の段差から上が墳丘になります。墳頂には浅間神社が鎮座してます。
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駅の東北東およそ1.6kmに在るつくばセントラル病院の駐車場に現状保存されてる花見塚古墳群1号墳です。
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南西より見てます。一辺11m、高さ約2.5mの方墳です。
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北より見てます。画像奥の道路手前に10m級の円墳2基が東西に並んでましたが、消滅してます。
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千葉市白旗古墳

JR内房線本千葉駅の西北西およそ600mに源頼朝も訪れて白旗を奉納し再起を祈願したという白幡神社が在ります。戦災で焼失し、昭和30年代に入って再興を図る事になり工事が始まったところ金銅装直刀二振りが出土し、この地か近隣に古墳が在ったと考えられました。

細長い境内を北東側参道より見てます。
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東より見てます。境内は二段になっており、南側の高い部分が古墳であったと推定されてます。
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南より神社裏側を見てます。この西側の隅だけ角が切れてますが、墳形に伴うものではないようです。
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境内北側の低い段より高い段を見てます。
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小階段を上がってすぐ左手が直刀出土地です。
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直刀に関する解説板も横に立てられてます。
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白幡(白旗)神社社殿です。この右手には頼朝が訪れる前から在ったとされる結城稲荷大明神の祠も鎮座してます。
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白幡神社の解説板です。
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東叡山寛永寺清水観音堂

上野公園内の西に不忍池を望む台地縁に建てられてる懸造りのお堂です。1694年に現在地に移されるまでは摺鉢山古墳の上に建ってました。

そもそも寛永寺は京の鬼門を護る比叡山になぞらえて江戸城の北東の上野に天海によって1625年に開山されたもので、この堂はその名の通り清水寺に見立てて建てられました。

西郷隆盛像の横から摺鉢山古墳へ向かうとすぐ左手に見えてきます。観音堂は開山6年後の1631年に建立され、上野で創建の確かな最古の建築であり、国指定重要文化財にもなってます。
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西側台地中腹の桜並木道より見上げてます。5間×4間の堂本体から池側に舞台がせり出してます。
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平成24年に3年以上かけて再現された月の松をアップで。
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歌川広重は月の松を「名所江戸百景」の中で「上野清水堂不忍ノ池」、「上野山内月のまつ」と二度取り上げています。この看板の絵は前者です。
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この絵の松は桜並木道の池側ですが、明治初頭に台風の被害で倒れてしまいました。

懸造りになってる舞台を見上げてますが浮世絵では高さをかなり誇張してるのが分かります。
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懸造りを横より見てます。古墳から降ろされ、浮世絵の様に桜並木道に近付くほどせり出してないので、斜面に建ってる感に乏しいです。
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北東より堂の裏側を見てます。舞台下との高低差がないので懸造りに見えませんが堂本体は(今はコンクリ製の)基壇の上に建ってます。
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舞台中央より月の松の中を覗きます。再現と言っても位置は堂のすぐ下に植えられたので、見易くなった反面、その輪は小さくなってると思われます。
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輪の中の拡大です。中央の六角堂は琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に見立てて建立された不忍池辯天堂です。
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辯天堂は東京空襲で焼失し、昭和33年に復興しました。

須賀川市和田大仏及び横穴墓群

市野関稲荷神社古墳の北西およそ650m、阿武隈川を南に臨む丘陵斜面に在る横穴墓群とそれを利用した鎌倉時代の摩崖仏群です。川との間の農地にはかつて塚畑古墳が在り、出土した埴輪が市立博物館に展示されてます。

横穴墓群全景です。摩崖仏を彫られたり、奥壁付近しか残ってないものも含め約20基確認されてます。
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大仏前の参道や壁面付近は常に清掃され見学し易く保たれてます。

中央の3~4基の横穴墓を削って彫られた和田大仏です。阿弥陀如来か大日如来と推定され。808年に空海の手によるものと伝わります。
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胸部が削られてますが、削って飲むと母乳の出が良くなるという信仰によるものです。

1基だけ家形に周囲を掘られており、覆い屋が有ったものと思われます。
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その上の1基は上がって覗けませんが群中もっとも良好な状態で残っている様で、唯一玄門が綺麗に残っています。
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解説板です。登り口が見つからなかったのですが、この上には15基から成る大仏古墳群が分布してます。
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あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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