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秦野市桜土手古墳群(その1)

秦野市市街地の北西部、小田急小田原線渋沢駅の北北東およそ1.3km、桜土手古墳公園とその周囲の工場群に保存されてるのが桜土手古墳群です。元々は6~8世紀末に水無川右岸に築かれた円墳35基から成る県内でも最大規模の古墳群(40号墳まで有りますが、2・5・27・36・39号墳は除外されてます)でしたが、残るのは保存墳丘12基と1号墳をモデルに再現された復原古墳のみです。

市立桜土手古墳公園北側入口で、水無川沿いの道から入れる駐車場が有ります。
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正面に古墳群が保存され、左手に古墳展示館が建ってます。

展示館前の案内図と古墳群の解説板です。
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さくらことラビも10年あとに考えられてたらゆるキャラになってたのでしょうね・・・。

最も北西に在る31号墳を北東より見てます。直径11.2m、高さ0.8mの規模で幅約1.1mの周溝が巡ります。
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各墳丘には、このような解説パネルが設置されてます。右側は副葬品の説明と、1号墳のものの出土状況の写真です。
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南東に隣接する32号墳を南東より見てます。直径14.5m、高さ2mの規模で幅約2mの周溝が巡ります。
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解説パネルです。右側は周溝と葺石の説明が記されています。
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歩道を挟んで東側に在る30号墳を南西より見てます。直径22.8m、高さ2.5mの規模で幅約1.7mの周溝が巡ります。
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保存された古墳の周溝はこの様な感じで復元の上、芝を張られてます。
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解説パネルです。現存・展示墳丘最大で展示館の目の前に在り、左側は群の概要が記されています。
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30号墳の南東に在る29号墳を東より見てます。直径15.6m、高さ1.4mの規模で幅約1.6mの周溝が巡ります。
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葺石の一部と思われる石が検出されてます。

解説パネルです。右側は全墳丘の分布図です。
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29号墳の南西に隣接する28号墳を東より見てます。直径15.6m、高さ1.8mの規模で幅約1.7mの周溝が巡ります。
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解説パネルです。右は墳丘の保護状況と、調査前の現地の紹介です。
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公園の南東隅に在る26号墳を西より見てます。直径14.5m、高さ2.1mの規模で幅約1.8mの周溝が巡ります。
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解説パネルです。右は簡単な古墳の発掘手順の説明が記されてます。
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続きます。
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機動戦士ガンダム EXCEED MODEL GUNDAM HEAD 2

とっくに稼働中のガチャのガンダムヘッドシリーズの第二段、さすがに今度は前回の様に3回やってノーマルコンプとはいかず、先日漸く部品の色を見て持ってない最後の1種の未開封品を秋葉原で買って揃えちゃいました。シークレットのクリアは・・・いいです。

今回は入手時期が異なるので保護フィルム無しの状態から。
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左よりアニメホワイトカラーver、ヘビーガンダム、局地型ガンダムです。

早速組立て。基本造形はお台場などで建ってた1/1ガンダムなのですが、あちこち形状の違うヘビーガンダムは予想外でした。
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第一弾と6アイテム並べて。
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完全色替えの第一弾と違って、今回は3アイテムとも形状が違うのが嬉しいです。でもそれ故特別機っぽくてダブるのをより避けたくなってしまうのも事実です。

ホビーショーの見本ではバルカン周りの色替えにしか見えて無かったアニメカラーも思ったより緑色で、ちゃんと映像のホワイトグリーンをして、赤い部分もシャインレッドに近くなってます。
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ヘビーガンダムはバイザーが付いてバルカンが無く、側面のダクトの数・形状も違うので金型が新規で起こされ、今回の目玉でしょうか。
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恐らくバイザーの成型・工程のお陰でラインナップに加わった局地戦用機は「ジ・オリジン」のまだ映像化されてない話の裏話のアイテムなので知名度も低く、この通り殆ど第一弾のガンダムと変わらない見た目です。バイザーはオレンジです。
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これが出なかったのですが、これだけの為に1回100円玉5枚を回し続けるのには抵抗があって、想定外に揃えるのに時間が掛かってしまいました。

阿見町前原古墳 君島古墳群

あみプレミアムアウトレットの東北東およそ1.7km、西山牧場阿見分場の県道68号線を挟んで南東側に単独で在るのが前原古墳です。

県道側より見てます。直径20m級の円墳とされますが現状は直径約12m、高さ約1.2m程の規模です。
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北より見てます。県道と林道に挟まれた三角地帯で人も入る事が無いようで、冬場でも下草で覆われ遺物等は見当たりませんでした。
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前原古墳の横から県道をおよそ1.7km北東に向かうと北側に広大な耕作地が開けます。
すぐ一本目の道を左折して高圧電線沿いに北へ向かうと右手に畑中に残された石材が積まれてるのが見えてきます。

石材を南西より見てます。耕作地と背後の自然林が円墳9基から成る君島古墳群の分布域とされています。
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航空写真でも本当に一ヶ所作物が無いだけで、円墳の痕跡は全く有りません。でも今昔マップさんで地理院最新写真で表示すると石材周囲と、東側の畑に古墳の痕跡がクッキリ見えてます。

北より見てます。近づく畦道も無いので詳細には見られませんが箱式石棺材で間違いないでしょう。
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どけたものの移動が手間なので残されてるものと思われます。

石材の北西およそ170m程の分布域西端の場所に墳丘と思われるマウンドと、明らかに後世の小塚が集まってる場所が有ります。これは南側の直径約10m、高さ約2mの円墳です。
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後世の信仰の対象地だったようで全てのマウンドや、舗装路の脇(道路で削平した?)に青面金剛や馬頭観音碑が見られます。

そのすぐ北隣に同規模の円墳が並んでます。北側に周溝跡らしき窪みも見え、手前側に隣接して築かれた塚とは明らかに規模が異なるので古墳だとは思うのですが・・・?
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このすぐ東側の深い藪の中にマウンドが続くそうですが、冬場でも姿形も見えず、いつか伐採される事を期待して退却しました。

下総逆井(さかさい)城(その2)



東二曲輪からは主廓である一曲輪へ渡る木橋と櫓門が推定復元されてます。公園化され、西二曲輪にいろいろ建つ前は、逆井城と言えばここの写真が使われてました。
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橋の下の空堀は急峻で深さも有り、横矢もしっかり掛かっています。階段が設けられて堀底を歩くこともできます。
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堀底でも西仁連川より高い場所なのですが、一曲輪南側は豪雨の後だからか堀が水を湛えていました。
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一曲輪南面の馬出背後には鏡堀池という湧水池が有ります。蕎麦の名の由来になった智姫が落城時に釣鐘を被って身を投げた場所と伝わります。
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雨の後でなくとも涸れた事が無いそうです。

一曲輪内の様子です。廃城以来放置されてた為か、足元凸凹の林状態です。
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次は西二曲輪の建築群を見ます。

この赤門は猿島町内に払い下げられていた関宿城の城門です。他城ですが唯一の城郭建築です。
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裏側です。
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見上げると関宿城主久世家の家紋の久世鷹の羽が!
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門の中には何故か潮来市に在った敵対勢力の大台城の主殿と日本庭園が復元されてます。
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大台城は今の牛堀中学校上空に在った城で、当時の牛堀町長が私腹を肥やす為に台地ごと土取り業者に売り払って逮捕されたという悲しい城です。佐竹の城の殿舎に後北条の家紋はいくらなんでも・・・。

旧大安寺観音堂は1588年創建と1845年再興の棟札が有る三間四方のお堂です。
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小高い円墳状の基壇に載ってて、地形図にも描かれてるのですが、立地的にも古墳の可能性は無いのでしょうか・・・?

観音堂の裏には旧古河城の礎石も置かれ、すぐ横からは飯沼に直接下りて出る虎口もあります。
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下総逆井(さかさい)城(その1)

圏央道境古河インターチェンジの東北東およそ4.2km、西仁連川右岸の台地上に築かれたのが逆井城です。15世紀中頃古賀公方勢の逆井氏によって築かれましたが、およそ1世紀経って後北条氏に攻められ落城。逆井氏滅亡後は北関東進出を目論む後北条氏側によって築きなおされ、豊臣の小田原征伐まで存続しました。

城跡南側に有る駐車場近くから西二曲輪の復興建築群を見上げてます。
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公園入口に向かって坂を上がると左手に屏風絵っぽく描かれたユニークな案内図が設置されてます。
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左下がいろいろな建物を見られる西二曲輪で、その上の雲がかかって見えないのが一曲輪になり、空堀挟んで右が東二曲輪です。

車輛も通れる真っ直ぐな現大手口から斜めに逸れて木橋と城門が再現されてます。攻め手を両側から攻撃できる造りで、発掘で柱列が検出され遺跡保護のため位置を少しずらして再建されてます。ロケで使われる場所でもあります。
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門と櫓は遺構を元に、やはり位置をずらして中世城郭風に推定復元されましたが、多分この様な天守風ではなかったと思います。

二階櫓は日中は開放され、履物を変えて中に入れます。厳密に復元したため法で上階へ見学者を入れられないものと違って自由に望楼へ上がる事も出来ます。
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望楼からは今渡った木橋を護り手目線で見下ろす事が出来ます。
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訪問時は荒天直後で外壁の一部に穴が開いてましたが、奇しくも壁の造りが良く見えてしまってました。
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西二曲輪の南と西は、城の北側に在った飯沼からの入江になっていた旧蓮沼で、二階櫓のすぐ下は船着き場になっていました。
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城の南西端には天守建築が生まれる前の物見である井楼矢倉が一辺2.73m、高さ11.86mの規模で再建されてます。
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案内図では何故か省略されてますが、東二曲輪の図の右上端にも同様に建てられてます。

公園化当初は自由に登れたそうですが、事故防止のため現在は封鎖されてます。物見に並べられた盾に描かれてる北条鱗は後北条氏の家紋です。
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本来は二曲輪は東西に分れず空堀も続いていましたが、東二曲輪は別ゾーンの芝生広場になってバーベキューも出来ます。西仁連川際まで行くとかつて飯沼だった広大な干拓地を見下ろす事が出来ます。
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両二曲輪の間には他と比べて小規模ながらしっかり横矢の掛かってる空掘りが有ります。ここは古城と呼ばれ逆井氏時代の遺構扱いでしたが、今は皆さん一曲輪の護りを固める馬出とされてる様です。
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奥の建物は管理棟兼「そば工房智姫」で、市長が命名した市営の蕎麦屋さんで売りの智姫そばは結構美味でしたが、3年前の夏をもって閉店してしまいました( ノД`)。

続きます。

水戸市一戦塚古墳

水戸市北西、くれふしの 里古墳公園の北およそ150mに在る前方後円墳です。近隣の古墳群に挟まれてますがどちらにも属さない扱いになってます。特に東に150mしか離れない円墳2基の三野輪古墳群とは包括される可能性も謳われてますが、現在までのところは括られていません。

北よりお墓の見えないアングルで見てます。右手前が後円部で、左奥に続く前方部は個人の墓地になって一部削平されてます。
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墳丘は畑で囲まれてますが、東側太陽光パネル沿いに来て、手前の畦道を通って後円部を周る形で前方部に行かれます。

冬場に再訪して北東より真横から見てます。全長15.8m、高さ2mの南東向きの前方後円墳です。
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前方部より後円部を見てます。周囲が遺跡で耕作地も遺物だらけなのですが、後円部墳頂には何も見当たりませんでした。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。右手奥の木立には牛伏古墳群が在ります。
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成田市台方古墳群

公津原古墳群と江川を挟んで南西側の台地周辺で、宗吾街道沿いに分布する古墳群です。資料によって基数・場所ともに、直径45mで剣や石枕出土と伝わり湮滅した1号墳以外はバラバラでしたが、現在ちば情報マップでは(1号墳含まず?)円墳9基とされてます。

台方公民館のすぐ南南東に在って街道からも目立つ1基です。直径10.5mの4号墳とはこれを指すものと思われます。現状は南北を削られ楕円形状になってます。
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この南西およそ520mにかつて円墳の大塚古墳が在って鏡や玉類が出土してます。殆どの資料では群に含まれて扱われてませんが、唯一分布図に号数を振った資料では9号墳としてます。(但し市としては公に号数は決めてないそうで、有志が便宜上振っただけのものを県も引用してる認識だそうです)

その南に並んでいる1基です。この2基の西側およそ90mにも1基在ったようですが詳細不明です。
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夏場は見難いのですが、最初の墳丘の東側の民家脇に在る1基です。
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更にそこから東南東におよそ50m、赤い屋根の民家と路地を2本挟んだ場所に在る1基です。もう一本東の道から見てます。
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資料によっては街道南側に等間隔で4基並んでるとするものも有って、実際この右手にも残丘とも言えないほど小さく残された土盛りが在ります。

東へ200mほど移動して台方麻賀田神社参道の脇に在る1基です。境内に直径10~15m、高さ1.5m前後の円墳が並んでます。
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そのすぐ南東で、今は立派な鳥居と祠と手摺が設けられて、地図でも大権現社として載ってる1基です。画像は整備前の今となっては古写真です。
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東側が入り込んで来ている谷津の突き当りで、マウンドを避けてる遊歩道から見るとかなり立派に見えます。

更にそのすぐ南に在る1基です。資料によっては南側街道沿いの柵が一ヶ所高くなってる場所や、道路向かいにもポイントされてるものも見られます。
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那珂川町小川温泉(ゆぜん)神社古墳群

吉田温泉神社古墳群の北およそ1.5km、駒形大塚古墳からは北東におよそ1km、小川の町並みの北東部に在る温泉神社境内周辺に分布する古墳群ですが、那須小川古墳群には含まれてません。

頂いた分布図では境内の西側に神社裏(1号墳)・3号墳が、東側に2・4号墳がポイントされてるのですが、境内西側にはマウンドらしきモノが見当たりません。これは社殿北側のマウンドを西より見てます。直径約10m、高さ約1.5mの円墳です。
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群中最北の3号墳は境内の北に在った工場敷地内で湮滅とされており、規模的にも名前から言ってもこれが温泉神社裏古墳で合ってる気がしますが・・・?

その南東、社殿東側で忠魂碑が載るマウンドです。隣に顕安夢殿が建ち南から見ると小基壇にしか見えませんが、北西よりこの様に見ると直径約15m、高さ約2mの円墳に見えます。
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社殿の南東、湮滅した4号墳の位置は旧本殿跡地で、このような前方後円墳状のマウンドが残ってます。南東より見てます。
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全長約15m、高さ約1.5mの前方後円墳として見た場合前方部より後円部を見てます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。他に何の痕跡も無いので普通に前方後円墳ですが・・・?
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更にその南のマウンドです。分布図では境内とその北に円墳4基(内2基湮滅)とあって、通りがかりの方も北の工場に古墳が在ったと仰ってたので、ただの築山の可能性が高いのですが詳細不明です。
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一の鳥居を出て南東の武道館の南側に在ったという宮内古墳の跡地です。屋外運動場を整備するのに寄せられたのか土塁状に土と川原石が盛られてます。石室が見つかってるそうですがトンボの横の石など怪しい感じです。
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つくば市甲山古墳

国道125号線を土浦北インターからおよそ9.3kmほど筑波山へ向かうとニュー高根というレストランが見えてきます。駐車場の大部分が太陽光パネルになってしまいましたが、良く見るとその上に南向きの前方後円墳らしき姿が見えます。これが甲山古墳です。

レストラン北側の坂から近寄ると裾を削られカップをひっくり返したような後円部が見えてきます。
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直径約12m、高さ約2mですが、全方位削られて上には上がり難くなってます。

後円部南側に駐車場で削られたのか、くびれ部の名残なのかという地形が整備されてます。上に在った前方部の形で整地したのか、ここも墳丘で山側が埋められてるだけなのか・・・。
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くびれから20m程で直角に切れてて、その奥は東側に登る坂道になってます。

後円部より前方部方向を見てる事になるのでしょうか。左奥の建物の先に小和田古墳群の円墳4基が在りますが、いばらきデジタルまっぷでは甲山古墳群として一括りに扱われてます。
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これは太陽光パネル設置前に南西より見たところです。この向きで見ると前方部東側を埋めて均して農地にされた前方後円墳そのままに見えます。
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2基の箱式石棺が出土していて、一方からは人骨片と直刀2本が、もう一方からは3人分の人骨に直刀4本、刀子やガラス勾玉に多数の鉄鏃が見つかっており、6世紀前半の築造と推定されています。

印西市馬込古墳群

道作古墳群から谷津を挟んで西の向かい、印西斎場と平岡自然の家から西の三角地帯にかけて10~15m級の円墳5基からなる古墳群です。

群中最北で、印西斎場の建物の南西に残されてる1基です。現状直径約20m、高さ約1.8m位の規模に見えます。
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上の1基と共に古墳と認識され現状保存された1基です。舗装路を挟んで自然の家側に在ります。直径約10m、高さ約1.4m程の規模です。
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上の2基から西側の門を出て市道109号線に抜け出る道の南側に在る半壊の1基です。直径約8m、高さ約1.2mほどが残ってます。
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元々は斎場敷地西隣を南北に抜ける道だったのが、門が出来たため市道へショートカットする道が造られたため一部削られたものと思われます。

その南の自然林の中に残る1基です。直径約17m、高さ約2mの規模で、見辛いですが最も良好に残ってる墳丘だと思います。
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自然の家南側駐車場脇の非造成区画に在るマウンドです。実は2基目を別の遺跡報告書で見るまで自然の家敷地内の墳丘の場所が判らず、1基は湮滅してもう1基はこれだと確信してたのですが、建物北側のマウンドが古墳という事で、これは不自然な自然地形なのでしょうか・・・?それとも分布図の位置が誤りで5基とも現存なのか・・・?
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この画像は最も綺麗に見える西から見てる様子ですが、現状は墳頂を乱獲された円墳状です。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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