FC2ブログ

府中市武蔵府中熊野神社古墳

中央道国立インターから国道20号線(甲州街道)に入って新宿へ向かいおよそ700m、西府町二丁目交差点の北東側に築造時に復元・整備された上円下方墳が在ります。

東より見てます。三段築成で、切り石で囲まれてる基壇は一辺32mですが50cm程の高さでこの画像でも上面しか見えてませんが、コンクリートの土留めにしか見えず、言われないと上の二段だけが墳丘に見えてしまうかもしれません。
fuchukumanoe.jpg
その上に一辺23mの中段、直径16mの上段を築いて葺石を施しており、調査前は約5mの高さでしたが復元高は高麗尺を用いたと想定して約6mになってます。

北面を見てます。調査前は神社裏の円墳と思われてましたが、参道・社殿・鳥居を結ぶ南南西向きのラインと揃ってない南南東方向に主軸を振った上円下方墳と判明しました。
fuchukumanonmen.jpg
築造は7世紀中葉の武蔵国府が置かれる直前と推定されてます。

西より見てます。右側は甲州街道を向いてる熊野神社です。本殿は基壇に載る形で建てられてます。
fuchukumanow.jpg
この様にすべての角度で基壇は把握し辛いです。古墳なうさんが発掘前の状況とともに西面中段の旧来の葺石と、復元時に用意された葺石の色の違いを紹介されてたのですが、夕陽で全然区別つきません・・・。

L約8.7m、×W約2.8m×H約3mの広さで3室構造の横穴式石室が中段南面に開口し、鞘尻金具、刀子、玉類などが出土してますが埋め戻されてます。甲州街道沿いに建てられてる武蔵府中熊野神社古墳展示館でレプリカの見学は出来ます。
fuchukumanosmen.jpg
関東大震災前は石室に入れたとも伝わりましたが、埋まってから久しく、調査前は近世の塚の可能性も考えられてました。

来る新年が皆様にも良い年になりますように・・・。
スポンサーサイト



大田原市銭室塚古墳

那珂川を挟んで小船渡古墳群の東南東およそ650m、那珂川左岸の段丘上に1基だけ残る円墳が銭室塚古墳です。かつては周囲にも他の墳丘が存在した様ですが痕跡は窺えません。

県道343号線から27号線に入って1.3kmほど北上すると右手前方、水田の向こうに墳丘が見えて来ます。
zenimurodukasw.jpg
直径約26m、高さ約4.5mの二段築成の円墳です。基壇の東半分が削られてます。

北西より見てます。この角度だと観音塚古墳と同様とよく言われる二段築成の墳形が良く見えます。
zenimurodukanw.jpg
周囲には幅約5mの周溝が有ると想定されてます。

墳丘南西面に両袖型横穴式石室が有り、羨道から外された花崗岩の天井石が置かれています。このような石材が5枚、玄室の天井に使われてます。
zenimurodukasekizai.jpg
その上に見えるチェーンの囲いは天井の無い羨道で玄室が開口してます。あまり良く写ってませんが葺石が基壇には沢山見られます。

羨道内部と玄門を見下ろしてます。羨道は約3mの長さで、チェーンの外は土砂が堆積して埋まってますが上の画像の石材の辺りまで続いてます。
zenimurodukasendou.jpg

玄室の中を撮るのにペンライトとカメラを吊るして20枚以上撮った中で最も写りの良かった画像です。
zenimurodukagensitu.jpg
中はL6.3m×W1.4~2m×H1.45mの広さで、やや持ち送られた乱石積みの側壁の奥にドーム状の一枚岩の奥壁が有り、埋められて見えませんでしたが二ッ室塚古墳の後円部の石室も良く似てます。

墳長には南側を向いて石祠が2基祀られてます。
zenimurodukatop.jpg

墳丘北面に設置されてる解説板は掠れて読み辛くなってしまってます。古墳なうさんが文字に起こして下さってます。
zenimurodukakaisetu.jpg
開口していたため副葬品は無くて墳丘も未調査ですが、周囲で見つかる土器片などから6世紀末の築造と推定されてます。

八千代市根上(ねのかみ)神社古墳

東葉高速鉄線村上駅の北およそ160m、新川を西に見下ろす台地南端に築かれてる前方後円墳です。

駅ロータリー北側の道路を北西に進むと右に大きく曲がる坂の途中右手に神社参道の階段と案内標識が見えて来ます。
negamijinjaannai.jpg
奥に見える公園を整備する際に墳丘南~西側の斜面等も整備され、墳丘西側から周溝の一部が確認されてます。

そこから階段を上がると鳥居と社殿が建ち、背後に墳丘が在ります。
negamijinjas.jpg

反対側に回って北東より見てます。南東向きの全長約50m、高さ3.5mの規模で右が後円部で左が前方部です。
negamijinjan.jpg
市内最大の前方後円墳として市の指定史跡になってます。

前方部東側や墳丘上には庚申塔や三山塚などの石碑・石塔が集められてます。
negamijinjaftop.jpg

前方部より後円部を見てます。
negamijinjaftor2.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。
negamijinjartof2.jpg

社殿はくびれ部南面を大きく削って建てられてます。墳丘自体は測量のみの調査で主体部等は不明です。
negamijinjakubires.jpg

後円部南側に設置されてる解説板です。書ける事があまり無いので・・・。
negamijinjakaisetu.jpg
書かれてるのは村上駅のすぐ北東に在った村上古墳群の事で、3基のマウンドが在りました。1号墳は古墳ではなかった様ですが、直径約4mの2号墳、直径約13mの3号墳は共に南東側裾部に主体部を持ち、後者からは直刀・刀子・鉄鏃・勾玉にガラス小玉多数が出土しました。

桜川市吾妻塚古墳

おふじ権現古墳の南西およそ950m、市立桃山学園の西側裏手に単独で築かれてる円墳です。所在地以外の資料も見つけられず、グーグルマップのストリートビューでも確認できないので、半ば湮滅してるつもりで見に行きました。

南より見てます。筑波山から桜川へと流れる男女川右岸に位置する直径約20m、高さ約3mの円墳です。
adumadukas.jpg

北から見ると墳長に祠が見えますが、足元も見えない雑草で覆われて近付けません。
adumadukan.jpg

墳丘上南端に標柱が立てられてます。特に足元を見ても葺石や土器片は見つかりませんでした。旧真壁町では6世紀後半の築造と推定してます。
adumadukahyochu.jpg

墳長に祀られてる石祠です。
adumadukatop.jpg

墳丘南西側はかつて建物が有ったため垂直に削られてます。左奥の砂利道のすぐ先に男女川が流れており、元々の流路で削られたのかもしれませんが、今は周りの刈った草や切った枝の捨て場になって積まれてました・・・。
adumadukadanmen.jpg

太田市二ッ山古墳群

東武桐生線治良門橋駅から県道78号線に出て北西に向かい、菅塩町交差点を左折しておよそ500m進むと、道の両側に前方後円墳が在ります。これが二ッ山古墳群です。かつては周囲にも円墳が在りましたが、県の指定史跡になった2基のみを残して消滅してます。

まず道路の北側に二ッ山古墳の史跡碑が建ってて、奥の標柱と解説板越しに墳丘が見えます。
futatuyama1sisekihi.jpg

南西より見てます。二段築成の墳丘が良く残り、手前は周溝の跡です。
futatuyama1fullsw.jpg

基壇の端より上段を見てます。前方部を赤城山山頂のある北西に向けた墳長74m、高さ6mの規模で、周囲に幅10数m~20m以上の周溝が有ります。
futatuyama1sw.jpg

前方部より後円部を見てます。墳頂から家形埴輪が出土してます。
futatuyama1ftor.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。今は埋もれて殆ど見えてませんが葺石が確認されてます。
futatuyama1rtof.jpg
前方部は後円部よりもやや広く6世紀後半から7世紀初頭にかけて築造されたと推定されてます。

後円部上段南西面に半地下式で無袖型横穴式石室が開口してます。開口部の木製格子戸が壊れ土砂が流れ込み、中に入るのは困難です。
futatuyama1sekisitu.jpg
両脇に朝顔形埴輪が据えられ、ここを囲う様に約8m×約7mで四角く円筒埴輪が並べられてました。

中の様子です。L約7m×W約2m×H約2mの広さです。解説板で触れられてるほど側壁の上下で石材の大きさの違いは感じられませんでした。
futatuyama1sekisitunaibu.jpg
中から刀類・武具・馬具・金環・鈴・須恵器などが出土してます。

その円筒埴輪囲いの表示のすぐ南側には外された石材も置かれてます。5年前に訪問された北村さんちの遺跡めぐりさんでは格子戸が開口部よりも奥の方に有る様に見え、もしかしたらその後に外されたのでしょうか???
futatuyamasekizai.jpg
この他基壇上には円筒埴輪列が二重に巡り、一部には人物・馬形埴輪も並んでました。

後円部南側に設置されてる解説板です。
futatuyama1kaisetu.jpg

2号墳は1号墳の主軸線上道路を挟んで南東側に在ります。
futatuyama2sisekihi.jpg

北側道路より見てます。西向きの墳長約45m、高さ約6mの規模で、周囲に幅10m程度の周溝が全周してるものと推定されてます。
futatuyama2nw.jpg

前方部より後円部を見てます。こちらも葺石が確認されてますが現状殆ど見受けられません。
futatuyama2ftor.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。
futatuyama2rtof.jpg

後円部南面にL約7m×W約2.8m×H約2m横穴式石室が開口してましたが、現在は埋め戻されて僅かな窪みとなってるだけです。
futatuyama2syutaibu.jpg

2号墳の解説板です。出土してる円筒埴輪や人物埴輪などから1号墳と同じ時期でその直後に築造されたと推定されてます。
futatuyama2kaisetu.jpg

龍ヶ崎市団子塚古墳 利根町奥山古墳群石棺

龍ヶ崎市南端、県道4号線沿いの県立龍ヶ崎南高校入口の北側の擁壁の上は団子塚古墳です。

北西より見てます。県道もだんご塚通りと呼ばれてます。
dangodukanw.jpg
直径55m、高さ14mとも紹介されてますが、それは墳丘周囲の高まり全体を指しており測量もされてないみたいですが、実際は擁壁より上の直径約30m、高さ約5m程度の円墳です。

南より見てます。右側が高校の正門で、フェンスの外側から近付くと墳裾が見られます。
dangodukas.jpg

墳頂には西向きで吾妻神社の石祠が祀られてます。櫛塚とも呼ばれ、海を鎮める為に身を投げた日本武尊の妻、弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)の櫛が埋められてると伝わります。
dangodukatop.jpg
現地に古墳に関する説明等は無いものの、新春に周辺の数軒のお宅で続けられてる催事についてだけ紹介されてました。

高校の校庭は市町村境になっており、利根町になってる学校を挟んだ東側、もえぎ野の宅地開発時の土取りで今は工場になってる場所から2基の石棺が出土しました。

出土した石材は現在利根町立歴史民俗資料館前に移され組み直されてます。資料館では奥山古墳群2基の古墳から運ばれたとされてます。
okuyamasekkan1.jpg
これがいばらきデジタルマップで奥山古墳とされてるもので、1基の墳丘から2基の主体部と見なしてるのか詳細が良く判りません。

片方の石棺からは3人分の人骨が太刀と一緒に見つかってます。他にも刀子・鉄鏃・玉類が出土し、一部は資料館に展示されてます。
okuyamasekkan2.jpg

ただこれ、復元でもなく両方の石材を適当に組み合わせて再現してしまったそうです。当初はもう少し利根川寄りに在ったのですが、水害対策で入り口前に移す際に詳細が不明な為そのまま移動したそうです。
okuyamasekkan3.jpg
短辺に長めの石材を持ってきたので約倍の幅になり、本来短辺用の石材を床に並列で敷いてる様に見えます。

横にはベニヤにコピーを貼っただけの解説板が立てられてます。
okuyamasekkankaisetu.jpg
開発された宅地の南側にはかぶと塚、よろい塚と呼ばれる古墳の可能性も有る小山が在って、団子塚古墳も含めもっと広い奥山古墳群を形成していた可能性が有ります。

大田原市小船渡古墳群

侍塚古墳群の北およそ2.6km、同じく那珂川を東に見下ろす段丘上に前方後円墳と円墳の2基から成る小船渡古墳群が在り両者とも市の史跡指定を受け保存されてます。

道端に在る二ッ室塚古墳を西より見てます。前方部は大きく削られており、元々は道路の手前にかけて墳丘が続いてました。
kofunatofutatumurow.jpg
なので後円部石室の覆屋が斜め奥を向いて見えますが、実際は主軸線に直交する向きになってます。

改変の少ない東面を観音塚古墳の南より真横から見てます。北西向きで全長約47m、高さ約4.5mの規模です。
kofunatofutatumurone.jpg

後円部南西向きに横穴式石室が開口してました。その為わずかな鉄鏃以外は持ち去られてました。河原石小口積みの側壁は東日本大震災で崩れ、修復後玄室部分は余震等に備え土嚢を詰めたままにされてます。
kofunatofutatumurorsekisitu.jpg
Oh!大田原の紹介ページでは復元されて見学出来ると書かれてたので期待して行ってみたのですが・・・。

羨道の右手には外された天井石が無造作に置かれてます。
kofunatofutatumurosekizai.jpg

後円部より前方部を見てます。斜めに削られてますが、その奥から幅約6m、深さ約70cmの周溝が確認されてます。
kofunatofutatumurortof.jpg

前方部で180度振り返って後円部を見てます。後円部が前方部よりも高く、前方部が削られてる様に見えなかったので、発掘前は古式の前方後円墳と考えられてました。
kofunatofutatumuroftor.jpg
後円部からだけ葺石が確認され、先に円墳として築かれ前方部を増築したものと考えられてます。

その前方部には未盗掘の横穴式石室が発見され、刀・刀子・金具・鉄環・鉄鏃といった多くの副葬品が出土しました。
kofunatofutatumurofsekisitutenjou.jpg
石室は開口部がほぼ塞がり、天井石の隙間から封土が落ち込んでる状態です。

わずかに見える開口部隙間から覗いて見ても中は土砂でいっぱいで、若干奥が広いかと思える程度です。
kofunatofutatumurofsekisituinside.jpg
前方部を削った際に羨道部を破壊してると思われますが、玄室を荒らさなかったのでしょうか?

後円部西側に設置されてる解説板です。遺物などから6世紀後半から7世紀初頭にかけて前方後円墳化されたものと推定されてます。
kofunatofutatumurokaisetu.jpg
ここでは触れられてませんがくびれ部から前方部西面を削って小鍛冶が営まれており、建物跡から鉄滓・古銭・陶器片などが出土してます。

前方部北側から北東に入ると目の前に観音塚古墳が見えてます。直径約40m、高さ約6mの二段築成の円墳です。
kofunatokannonsw.jpg

南南東より見てます。基壇には6世紀後半のものと思われる円筒埴輪列が見つかってます。
kofunatokannonsse.jpg
段丘の端に築かれ、東面直下からは水が湧き出て那珂川へと流れる沢ができてます。

その裾部付近にやや南東側向きのこんな窪みが有って、主体部の可能性が考えられてますが未調査です。
kofunatokannonkubomi.jpg

ただ墳頂平坦面にも石碑ではない立石が有ります。とは言え墳頂では鶏形埴輪が出土してると伝わるのでこの上に主体部を覆う高さは無かったと考えるべきでしょうか。
kofunatokannontop.jpg



下妻市浅間塚古墳

関東鉄道常総線騰波ノ江駅の西南西およそ4.7km、鬼怒川の支流である北台川を東に見下ろす段丘上に単独で築かれた前方後円墳が在ります。

県道233号線グリーンラインを八千代町から鬼怒川を渡ってすぐ、橋のための坂を下った信号無しの十字路を南に右折、一ヶ所目の左折できる場所から東へ道なりに進むと左手に墳丘が見えて来ます。
simotumaasamadukaw.jpg
中央が前方部で、左奥に後円部が続きます。夏場だと墳形もよく見えません。

周辺に駐車スペースも無く、墳丘を過ぎた東面の農道入口にちょっと停めさせて頂くと目の前に解説板が設置されてます。
simotumaasamadukakaisetu.jpg

解説板の背後も東から見ると高くてマウンドの一部に見えますが、ちょっと右手のここからが墳丘で前方部の端になります。
simotumaasamadukasw.jpg
市の文化財に指定されてますが撮影位置後ろ(南側)はゴミだらけで、不法投棄監視のパトロールも巡回してました。

前方部に上がって後円部を見てます。なだらかに繋がってるからか約2mの高低差をあまり感じません。
simotumaasamadukaftor.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。
simotumaasamadukartof.jpg

後円部墳頂には浅間神社の石祠が祀られ、横の木に標柱が縛り付けられてます。
simotumaasamadukartop.jpg
注連縄は祠の左脇の木に結ばれてたハズですが、なぜ曲がって宙に浮いて見えるのか気付きませんでした。

ぐるっと回って北側より見てます。南西を向く全長約40m、高さ5.35mの規模です。
simotumaasamadukan.jpg

大洗町富士山古墳 下宿古墳

企画展をやってた旧大貫小学校南側の小丘陵の頂部は富士塚にも転用された円墳です。

墳丘南面に鎮座する浅間神社です。背後に大きい墳丘が見えてます。
ooaraifujiyamawsw.jpg

南東より見てます。直径約23m、高さ約3.5mの円墳です。未調査ですが、富士講によって嵩上げされてる可能性も有ります。
ooaraifujiyamass2.jpg
手前側と反対側の一部に周溝と思われる窪地が残ります。

墳頂の様子です。中央のやや立派な石祠が、沢山の別な石祠に囲まれて祀られてます。
ooaraifujiyamatop.jpg

下宿古墳は日本原子力研究開発機構 大洗研究所北門から真っ直ぐ北におよそ1km進んだ夏海の集落内道路の脇に在ります。
ooaraisimosyukuse.jpg
現状東西約15m、南北約9m、高さ約1.8mの四角く削られたマウンドになってますが元は直径約10m、高さ約2mの円墳とされてます。

墳頂には稲荷神社が鎮座してます。東面はなだらかに下りますが、隣の観音堂前の貯水槽を掘った際の土を参道に盛ったのでしょうか・・・。
ooaraisimosyukus.jpg

刷毛目の入ったこんなものが落ちてました。
ooaraisimosyukuhaniwa.jpg

筑西市宮山観音古墳

市役所明野支庁舎の北東およそ1.2km、県道131号線沿いにある宮山ふるさとふれあい公園の南西隅に観音堂と古墳が在ります。1970年代に住宅建設で墳丘を挟んで東西を造成されましたが、ギリギリ裾部を掠る程度で済んでます。

後円部南側に裾部を削って1723年に建てられた市有形文化財の観音堂が建ってるのですが、訪問時は部分解体修理中で廻縁は外されてました。右奥に後円部、左に前方部が見えます。
miyatamakannnonndou.jpg
建てた大工の棟梁は11年前には新勝寺の三重塔建立にも関わってたそうです。

堂の解説板では古墳については触れられてません。
miyatamakannnonndoukaisetu.jpg

北西より見てて右が前方部、左奥が後円部で、この角度では大きい前方後円墳が綺麗に残されてる様に見えますが・・・
miyatamakannnonnw.jpg

北より真横から見ると、くびれ部が鹿島神社への参道で分断されてます。またその周辺に大きめの石が見られますが、古墳の石材とは考えられてません。
miyatamakannnonn.jpg
西南西向きで全長約92m、高さ約6mの規模です。

前方部より後円部を見てます。埴輪など築造時代を推測できる遺物は見つかっていません。
miyatamakannnonftor.jpg

後円部で180度振り返って前方部を見てます。周辺地域の他の前方後円墳の墳形などから推定して5世紀後半の築造ではないかと考えられてます。
miyatamakannnonrtof.jpg

後円部墳頂の様子です。直径約10mの平坦面になっており、中央に祠が祭られてます。
miyatamakannnonrtop.jpg
葺石は確認できず、祠周辺の石も神社造営後に運び込まれたものと考えられてます。

墳丘については公園のパンフレットで概形と紹介文が掲載されるのみですが、駐車場の脇にこんなモニュメントが設置されてます。
miyatamakannnonmonument.jpg
後円部断面中心下方に主体部らしき造形はありますが、未調査です。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR