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香取市宗勝寺古墳

JR成田線佐原駅の東およそ1.7kmの利根川(旧常陸川)の右岸に建つ宗勝寺、その本堂の東側に未調査の前方後円墳が保存されてます。

西より見てます。南向きで右が前方部、左が後円部の全長約18m、高さ約2mの規模です。
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肉眼で見ると墳丘上がほぼ平らでくびれ部も目立たず、北総で見られる長方形墳にすら見えてしまいます。

北西側より斜めに見ると微かなくびれ部が見えて前方後円墳らしく見えます。
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前方部より後円部を見てます。旬の季節には竹藪にならない様に1日おきに筍を採ってるそうです。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。
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これは夏場の撮影ですが、昨年の台風15号により建物の屋根に被害を受け、本堂は雨漏りし、墳丘上の竹林も多数がなぎ倒されてしまったそうです。
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富士市大渕片倉古墳群

第二東名新富士インターの東南東およそ2km富士市総合運動公園陸上競技場の南東側、トラックからの出口横に3基の円墳が保存されてます。北にやや離れた2基も含めると円墳5基から成る大渕片倉古墳群で、1基づつ離れた4号墳は水泳場の前に残旧状で残りますが、5号墳は割と最近地形ごと削平されたばかりの様で、墳丘上に並んでたと思われる石祠が、南側の道路脇に移設されてるのみです。(訪れてません)

群中南端の1号墳を南より見てます。右奥に2号墳が見えてます。
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標柱の立つ北東より見てます。直径約10m、高さ約2mの規模で、墳丘は露出していた石室に土を盛って保護してます。
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墳丘上斜めに南東を向いた開口部が有り鉄扉で保護されてます。これは武者塚古墳の様に横穴式の玄室に、奥壁と向かい合う前壁と段差を持ち、その上に開口部が有る構造だからで、半竪穴状石室とも呼ばれます。
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みんなが覗く(?)鉄扉下側の隙間から無袖型石室内部を見てます。奥壁にまで十分にフラッシュが届かないので少し加工してます。
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L4.5m×W1.3m×H1.7mの広さです。須恵器、大量の土師器坏が出土しており7世紀終盤の築造と推定されてます。

1号墳の北に並ぶ2号墳を南東より見てます。左奥に3号墳が見えてます。現状は直径約7~8m、高さ1.8m程のやや楕円形のマウンドです。
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こちらは石室の確認はされてますが、同様に土盛りして墳丘が復元され石材の一部が露出しているだけです。
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ギリギリ競技場建設で壊されなかった3号墳を南東より見てます。背後は地形でなく競技場バックスタンドです。
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石室から須恵器の甑(こしき)片が出土してます。やはり土盛りして直径約5m、高さ約1.5m程に復旧されてます。

群の解説板ではここの3基のみとされてます。
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シュタイブのろっこう様によると学芸員さんは一部の天井石が落ち込んでるだけの普通の横穴式石室だと主張されてるそうです。ただ近隣で多数の同形式の石室が見つかっており、中には追送で閉塞石を動かせないものも見つかっており、土浦との関係は無いでしょうが、この地域で流行した何らかの理由が有ると思います。

静岡市賎機山3号墳石室見学会

この前の日曜日はいつもは格子戸越しに見学できる賎機山3号墳石室の門扉が解放され石室内に入る事が出来ました。

時間より少し早く着きましたら、西側の階段からの上り口にラミネートの案内表示をどう掲示するか試行錯誤されてる途中でした。
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雨が降って来てテープで貼れず、椅子につけたらびしょ濡れになるのでこうなりました。

墳丘前に行くと早めに開けたとの事で羨道は満員、玄室に入ると撮影の邪魔って感じになってました。
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照明の色でさも弁柄が良く残ってる様に見えますが、色も表面の剥離も凝灰岩の風化でこうなったという説明。だから開けときたくはないんだけど…との事でした。

玄門の外側に記念撮影の様に並んで無人の玄室を撮影。まぁ開始時刻の混雑時だけの事で、誰も急がないので別に雰囲気はギスギスしてませんでした。
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外からは重なって良く見えない側面の縄掛突起も触れられました。
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左壁側の袖石です。人物大の大きいサイズです。
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右壁側の袖石です。上部の重なり部分だけ直線状に加工されてます。
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袖石よりも更に大きいまぐさ石の上に石を積んで、その上に天井石が渡されてます。
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奥から見た天井の様子です。一番重い石は14tも有るそうです。
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同じく石棺の奥側の様子です。この辺では見終わった人は出て、皆で奥壁前から見てました。
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裏側で通常見えない妻側の縄掛突起です。
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最後に奥壁です。高さが3.9m程有って、通常全体を見渡すことが出来ません。
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高崎市倉賀野正六古墳群(その4)

浅間山古墳の後円部南西側から徒歩で粕沢川を渡れる橋を通って坂を上がると、左手に庚申塚古墳が見えて来ます。

少し周って西から見てます。直径43.6m、高さ約5mの円墳です。
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数年前まで墳丘は裸で墳頂中央に石祠が祀られてましたが、東日本大震災以後の太陽光パネル設置で現在墳丘はシートとパネルで覆われてます。

南西より浅間山古墳を背景に見てます。民家寄りに1列だけ低いパネルの有る墳丘南端の一部は以前から削られていた様です。
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刀剣類多数のほか、銅鏡や土器が出土してますが、伝わる粘土槨と石棺は埋め戻されてるのか詳細不明です。

東国の古代史さん(休止中)がパネル設置前の墳頂の様子などを紹介されてます。

庚申塚古墳の南東およそ500mに在る大山古墳です。上の画像の場所から道なりに南東へ進み、光雲寺のちょっと手前でクランクして右に進むと藪で覆われた墳丘が見えて来ます。特に管理はされてない様で、一年中藪だらけです。
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発掘され粘土槨から銅鏡や滑石製石製品が出土し、前方後円墳群に先立つ4世紀末から5世紀初頭にかけての築造とされてましたが、大鶴巻古墳の築造時期が遡った後での公式見解(同時期の築造かもっと早くなるのか)は不明です。

南西より見てます。直径約56m、高さ約7mの県内でも有数の規模の円墳です。
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右側(南側)に民家が建ち並んでますが、国土地理院の空中写真閲覧サービスの1975年正月撮影の航空写真では幅約20mの周溝址がハッキリ見えます。(許諾不要の低解像度の写真では見えないので、リンク先のナンバーをクリックして高解像度画像で見て下さい)

南東側茶臼山古墳跡地より見てます。茶臼山古墳は大山古墳の南東に並ぶ同規模の円墳でしたが明治以降に削平されてます。
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同じ国土地理院の空中写真閲覧サービスの1960年12月の撮影だと墳丘址の丸い痕跡が見えてます。

最初に旧中山道から大鶴巻古墳に向かって曲がった交差点北側には天台宗の安楽寺が在り、本堂の裏に安楽寺古墳が残されてます。境内の西側の道より見てます。
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手前に向かって石段が有って、一番上の段に見える幅の広い石は産婆さんが胎盤を捨てる胞衣(えな)捨て場です。

山門よりお邪魔して本堂と二十二夜堂の間より墳丘南面を見てます。直径20m、高さ4mの円墳ですが石室の開口部付近まで削られてます。
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主体部は横口式石槨に似た石棺式石室と呼ぶ珍しい形式で、横向きの石棺に羨道が直接繋がる構造で山陰地方で見られる形式です。

石室の壁には鎌倉時代以降に7体の仏像が彫られて寺の御本尊とされ、不動明王像、ネズミ供養塔、胞衣捨て場などは墳頂を開けて立ってます。
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削られてるのは南側だと思ってみたら、墳頂のすぐ奥で東側も削られてました。

解説板です。12年に一度だけ公開される次の機会は2025年4月になります。
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7世紀末の築造と推定されて、県の指定史跡になってます。

高崎市倉賀野正六古墳群(その3)

浅間山古墳は郡中現存墳丘で一番北に在り、最も規模の大きい古墳です。

小鶴巻古墳の北西およそ300m、旧中山道である県道121号線沿いのファミレスの裏に在ります。国指定史跡となって、墳丘北東側に史跡碑が建ち、横には解説板も設置されてます。
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右手に廻って東より見てます。中央が後円部で、右奥に前方部が続いています。二重周溝が確認されてますが見えてるのは内堀です。
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盾形の内堀を持ち、中堤の3/4ほどが舗装路になってます。後円部周囲も幅約30mの周溝の形が墳丘と道の間の水田になってて良く見て取れます。
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この中堤には葺石が施されてます。外堀は幅50m以上も有る事が確認されてますが、航空写真でも北西側にその一部が感じ取れる程度です。

南西より真横から見てます。南東向きで墳長171.5m、高さ14.1mの県内でも2番目に大きい規模です。
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後円部は3段、前方部は2段に築かれ、葺石が墳丘にも施されてます。

南側周溝後が欠けたようになってる場所より見てます。国指定史跡ですが後円部基壇、及び前方部は広く耕作で荒らされており、墳丘上だけでも買い上げられないものかと思ってしまいます。
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史跡碑の横の解説板です。主体部は未調査ですが竪穴式石室だと推定されてます。
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墳形や採集されてる埴輪片などから5世紀初頭の築造と推定されてます。

続きます。

高崎市倉賀野正六古墳群(その2)

小鶴巻古墳は大鶴巻古墳の北隣に在ります。

大鶴巻古墳の周溝・周堤の北西端より見てます。中央の墓地が前方部、右奥の木立が後円部で、その手前が周溝址です。
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西南西向きで墳長87.5m、高さ約6mの規模で2段に築かれてます。

北へ廻って西より見てます。北側の最大幅約25mの周溝は道路(内縁)と民家(外縁)になっており、この向きだと前方部が道で削られてるのですが墳形が良く見て取れます。
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周溝址の道を辿って東から見ると後円部も良く見えます。
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北側くびれ部より上がって前方部の上を見てます。現状は上段部が独立した三角形のマウンド状になってます。
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奥の木立、一番左は粕沢川対岸の大山古墳です。

向きを変えて前方部より後円部を見てます。くびれ部は下壇の高さで断ち切った様になっており、後円部も円墳状に残ってます。
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後円部の裾で180度振り返って前方部を見てます。
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後円部墳頂の様子です。中央から刳貫式石棺が見つかりそのまま置かれていますが、いたずら防止で植えたのか笹が隙間なく群生していて冬場でも何も見えません。
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解説板です。それなりに規模も有って他所だったらもっと重要視されるのかもしれませんが、ここは特に史跡の指定も受けてません。
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発掘調査はされてませんが見つかってる埴輪片などから5世紀後半の築造と推定されてます。

続きます。

高崎市倉賀野正六古墳群(その1)

佐野古墳群の東側、JR高崎線と上信越新幹線に挟まれたエリアは倉賀野古墳群とか正六古墳群と呼ばれ、かつては多数の古墳が在りました。現在粕沢川を挟んで前方後円墳3基と円墳3基がその中心付近に残されますが、公式には川を境に別の複合遺跡とされ相互に関連するものとされてます。

JR高崎線倉賀野駅から旧中山道である県道121号線に出て西へ600m弱進み、倉賀野神社の大きな案内看板で左折、美容室前の変則丁字路にぶつかったら右へ曲がって道なりに進むと大鶴巻古墳が見えて来ます。
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周囲には幅約20m~35mの周溝が水田・畑になって良く残るのですが、買い上げられたのか夏場なのに農耕されてるのは前方部下壇上だけした。
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南西より真横から見てます。墳長123m、高さ10.5mの南東向きの大きな前方後円墳です。
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2段築成とされてますが、他の方々が口を揃える様に後円部は3段に築かれてる様に見えます。

国指定史跡となっており、後円部南西側周溝の外に史跡碑が立ってます。
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前方部より後円部を見てます。左側南面は耕作で削られてると思われますが、日陰側の北面も3段である様に見えます。
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墳丘上には葺石が各所で露出しているのが見られます。
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後円部の裾で180度振り返って前方部を見てます。前方部上段南側は農耕のため削られて狭まってます。
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現況からもこの先には記録以上に多くの墳丘が在ったハズですが、中世にはこの左奥に広大な倉賀野城が築かれ、その時点で多数失われてると思われます。

後円部墳頂の様子です。直径約20mの平坦面になっていて、未調査ですが竪穴式の主体部が有るものと推定されてます。
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史跡碑横の解説板です。墳形や埴輪片などから築造時期が推定されてますが、現在の市のHPでは更に遡って4世紀後半の築造と推定してます。
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続きます。

取手市大日山古墳群

関東鉄道常総線新取手駅の北東およそ1.2km、小貝川が直角に蛇行する右岸の台地周辺に分布していた古墳群です。現状3ヶ所古墳・古墳転用の塚とされる場所が有りますがいばらきデジタルマップでは円墳2基としてます。明瞭な墳丘は1基のみで、1基は再現埋葬マウンドで、もう1基は古墳でないとされてます。

群南東端の大日山古墳を北より見てます。墳頂に岡神社が鎮座し、参道になってる東南東側と、側面の方北東側に階段が設けられてます。
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直径約18m、高さ2.8mの円墳です。集められてる石塔は殆どが1800年以降のものです。

北西より神社背面側を見てます。この角度だと円墳に見えますが、実測図では社殿と同じ向きの長方形に見えます。
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手前側が開けてて、将門の愛妾である桔梗御前が住んでた朝日御殿跡地と伝わり、参道下った南側の元沼地は将門が討死した際に桔梗が入水したとも伝わってます。御殿跡と共に周溝の調査もされましたが見つかってません。

墳頂の岡神社社殿です。地元では平将門の墓として大切に遺されてる様です。
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墳丘東側に設置されてる解説板です。権現山古墳をはじめ数基の墳丘が削平され、付近で見つかったとされる遺物もこの墳丘のものとは確定されてません。
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大日山古墳の北およそ175mに在る仏島山古墳とされてたマウンドを東より見てます。実際には昭和の岡堰改良工事の際に大規模に台地ごと削平されてしまいました。
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元はこの辺まで続いてた台地上に先端を周溝で断ち切って築かれた円墳だった様です。

畑と水路で近付けないので西からぐるっと回って現墳丘を南南東より見てます。現状は直径約15mの円形の基壇に直径約8mの塚が築かれてます。
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現墳丘左手前にトレンチが設定され埋め立てた場所ではない事が判明し、基壇の外形は台地先端だったと思われます。

企画展の講演で見せて頂いた石碑の下の現主体部です。石棺材の板石を4枚箱組し、その中央に出土した骨片を入れた笠間焼か益子焼の壺を据え、もう一枚の板石で蓋をされてます。余った板石はその上に積まれてました。
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解説板です。そんな訳で旧藤代町時期は史跡でしたが、現在は除外されてます。
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今昔マップで明治期の地形を比較出来、南東から現墳丘付近に台地がせり出してるのが解ります。

このマウンドは民家を挟んで仏島山古墳のすぐ北西に在って、正面の地蔵のほか左手私有地側に仏島山古墳周囲に在ったと思われる石仏等を集めて並べられてます。
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ここも元は台地の端で、北西の「岡台地と平将門」の標柱の辺りへ続いたいました。

その解説板です。重要なのは最後の一行で、昭和8年まで平地でなかった事に触れられてます。当然今お住まいの方は土取りの後に来られたのでしょうから調べ返すまでは誰もが元々の地形だと疑う事も無かったのでしょうか・・・。
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延命寺は墳丘横から北西におよそ300mの堰の近くの場所へ移ってます。

その延命寺には群の1基である駒形古墳を転用し、将門の愛馬を葬った駒形様と呼ばれる塚が在ると伝わります。

お寺の方にお尋ねしたら、この将門の名の彫られた石祠の下が駒形様だそうです。
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ただお寺のお庭として改変されてるからか独立したマウンド状でもなく、古墳らしさは乏しいです。

寺の入り口横にも石祠を祀った塚が在ります。
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学芸員さんはどちらも古墳・もしくは元古墳の塚ですらないと断言されており、となれば残るのは大日山1基のみという事になります。

横浜市市ヶ尾横穴墓群(その3)

B群の中央の3基を南より見てます。B-3号墓は隠れててB-1号墓が見えてますが・・・。
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B-3号墓です。見学窓付き閉塞墓はこの様になってますが、やはり湿度が高いのかワイパーが錆びてつまみが落ちてます。
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中はこうなってるみたいですが、ちょっと乾燥した日が続かないと見えそうに無いです。
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B-3、4号墓前には竹林に向かって、公園化当時見えてた眺望が描かれてますが、今は・・・全く見えません。
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B-4号墓もワイパーが壊れてて、しかもこれだけ窓に水滴が付く程蒸れてる様です。
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排水溝はA-12号墓の様に一番凝った作りの様ですが・・・。
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B-5号墓は訪問時は中に入って見学が出来ました。ここも深いので玄室が見えません。
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中に入ると奥壁が崩落しだしてました。ちょっと前に小さなお子さん連れで散歩されてる方もいて、危ないと思いました。
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訪問日に行く用のあった某施設でお話ししたところ市の職員さんを紹介され、この画像を見せたら後日対応をして下さったそうです。

解説パネルです。側壁も一部落ちてて、工具痕は判りませんでした。
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南に少し下がって南端の2基を見てます。
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B-6号墓です。A群の年表にも出て来てましたがこの1基が最も古く、玄門状に出っ張りを残して玄室と羨道を明確に分けてます。
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パネルだと羨道には排水溝が描かれてません。他にも同様の墓が有りますが、図に載ってない溝は保護の為に新設されたのでしょうか?
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B-7号墓です。ここだけ経年崩壊を防ぐ為に発砲スチロールを置き、発砲ウレタンを充填して埋め戻されてます。
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解説パネルは蓋の上に設置され、遺構の状況ではなく埋め戻し状況が図示されてます。
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横浜市市ヶ尾横穴墓群(その2)

A-9号墓は隣の8号墓と同様に中に入って見学できる様にされてましたが立入禁止措置が執られてました。
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パイロン越しに覗くと天井や壁の一部が崩壊していました。
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見た感じでは地震やいたずらではなく、地中を伸びてきた草木の根が原因に思えます。

パネルはA-8号墓と同様遺物併記ですが、設置場所が開口部向かって左側なので三面図の向きが変わってます。
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ウィキペディアでは崩壊前の面白い形状の天井画像が掲載されてます。

A-10号墓は閉じられてます。A-5号墓を先に見てないと閉塞石をモルタルで保護してる様に見えてたと思います。
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A-11号墓も同様です。A-2号墓からここまで横にずっと連なってます。
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A-11号墓から少し離れて、前庭を共有せず南を向いてるA-12号墓は見学窓から。
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棺座が復元され遺物も並べられてるのですが・・・天井の一部が落ちだして復元展示にかかってしまってます。

敷石や排水溝の状況も良く見て取れるのですが、照明も壊れたままで湿度が高いと横に落ちた須恵器瓶くらいしか見えません。
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A-12号墓のパネルにはその復元時の状況も図示されてます。
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A-12号墓の南側の横穴墓が無い場所は(?)展示スペースになっていろいろ学べます。こちらは古墳時代についていろいろな解説が書かれてます。
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ここは上の画像の右側に繋がってる市ヶ尾横穴墓群の整備についての説明パネルです。
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こちらのパネルは周辺地域の遺跡や公園内に植生してる樹木を紹介してます。
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A-12号墓から南に40m程離れてB群が分布してます。
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B群の北側の2基を見てます。訪問時は倒竹が酷く、B-1号墓前の竹を全部退けてから撮影しました。
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B-1号墓は閉塞されてますがA群より湿度が高いのか中は全然見えませんでした。
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パネルにワイパーの使用について書かれてますが、照明だけでなくワイパーも壊れて落ちてる場所も有ります。
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B-2号墓は中に入れます。玄室まで入って棺座を見てます。奥壁は補修部分が広いものの、開口したままの穴の中では最も状態が良いと思います。
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パネルです。出土した小玉の数が群を抜いて多いです。
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続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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