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柏市オッコシ古墳群

オッコシ古墳群は北ノ作古墳群の西南西およそ750m、手賀沼を北に見下ろす台地上で、手賀の丘公園の北西部に分布する前方後円墳1基、方墳1基、円墳6基から成る古墳群です。まずはいつものやっつけ分布図です。
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青い墳丘は少年自然の家及びその駐車場整備までに削平されたもので調査歴不明です。緑の6基が現在認められる高まりですが、円墳はどれも直径3~8m程の小円墳ばかりで、前方後円墳を含め全基高さは1m未満です。

唯一の前方後円墳であるAの墳丘を南より真横から見てます。西向きで全長10m強、高さ約50cmほどの規模で右が後円部で左が前方部です。
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前方部より後円部を見てます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。前方部の方がやや高く、県の分布調査時には前方部だけ円墳として認識されてた様です。
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墳丘北面はどこまでが墳丘だか判別が出来ない程なだらかに続き、奥にあるBの墳丘の方が目立って見えるほどです。
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もしかしたら前方後円墳の中でも最小の規模なんではないでしょうか・・・?

群の中央を通る遊歩道沿いで、ログトイレの北東側に在るBの墳丘を南東より見てます。公園内を少年自然の家北側を抜けてやって来ると最初に目に入る墳丘です。
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墳頂に注意書き看板が立てられてしまってますが、こっちが古墳で明るくなってる左端のマウンドは古墳ではありません。

北東より見てます。房総の古墳を歩くでは地面ギリギリから撮影してるのでもっと高く見えてます。
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北西より見てます。右奥のフェンスの先が少年自然の家の敷地で、公園内とは行き来は出来ません。
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直径約6m、高さは50cm位でしょうか・・・。

Bの墳丘から見て遊歩道挟んで向かい側に在るCの墳丘を南西より見てます。遊歩道東側の3基は草刈りもされず、夏場は全然見えないかもしれません。
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北西より見てます。直径約4m、高さ約40cm程の規模です。
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Aの墳丘と遊歩道を挟んで軸線上の先方向に在るDの墳丘を南西より見てます。
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西より見てます。群中最小で直径約3m、高さは30cm有るかどうか・・・。
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Aの墳丘のすぐ北に在るEの墳丘を南東より見てます。右奥の空き地には手賀沼を一望するにはちょっと難が有った大展望台が建ってましたが、東日本大震災で損傷後撤去されてしまいました。
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北東より見てます。直径約8m、高さ約70cm程の規模で、群中最も古墳らしいマウンドです。
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他の墳丘よりやや離れて台地北東端に在るFの墳丘を西より見てます。すぐ北西側に泉揚水機場が有り手賀沼の水をくみ上げてて、遊歩道の下を恐らくその配管が続いてるものと思われます。
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北より見てます。規模はEの墳丘と変わらないと思いますが東側は手摺から先が崩落しており、墳丘も若干小さくなってる様に見えます。
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オッコシの名は古墳群だけのものでカタカナで伝わり、字名にも無くて教育委員会の方でも漢字での表記&語源は不明だそうです。

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ひたちなか市三反田(みたんだ)古墳群(後編)

5号墳の参道正面、鳥居からおよそ40mの4号墳を北東より見てます。笹藪で全く墳丘が見えませんが直径20m弱、高さをほぼ失っている円墳とされます。
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耕作のため現状残っていても直径10mちょっとだと思われます。5号墳とほぼ等間隔で西北西には人骨が出たという10号墳が戦前まで在りました。

県道沿いで小学校の東隣に在る高まりです。下の6号墳の西に積んである石が旧農協倉庫付近で現存扱いの9号墳石材かと思ってとある場所でお聞きしたら、ここが9号墳の残骸と教えられたのですが、ひたちなか埋文だより分布図では三反田集会所の北にポイントされてます。
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当該場所は農協の倉庫を増築してた時期も有って、現存表記が場所が誤りだと思うのですが・・・?

すぐ北には妙婦塚と呼ばれた13号墳がかつて在ったと伝わりますが今では正確な位置も不明となってます。

三反田集会所の東およそ70mに在る6号墳を北西より見てます。現状約10m×約15m、高さ約3mの長円形状ですが元は直径20mの円墳とされます。
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南面の私有地側に主体部と思われる石材が露出してますが、ここだけ羽黒支群で唯一墳丘上の伐採中に訪問したので、切った木で見られませんでした。

ちなみに同日午前中の作業前に撮った画像です。一応左端の事前に切られた木の根元に大きい石材が露出してます。
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県道の小学校前の信号から西へ400m進み南へ折れると辺りは飯塚前支群で、右手に飯塚前古墳が見えて来ます。
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東西30m×南北22m、高さ約4mの長方墳です。墓地になってたり、それを移して土取りしようとされたため少し削られてます。

南より見てます。未発掘ですが、レーダー探査の結果では東西に主体部が2基並ぶ可能性が出て来てます。
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現状の中央の窪みは墳丘上を墓地に利用されてた故のものかは不明ですが、もし本当に2基有れば大変貴重な発見となります。

市の指定史跡になって、全群中唯一の解説板が設置されてます。
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飯塚前古墳南東の今は民家が並ぶ場所に在った直径30mの円墳は横穴式石室を持ち、大刀や銅釧などが出土してます。

墳丘前の道を道なりに那珂川に向けて250m程進んだ周辺は塙支群で、台地から下る手前の左手に管理された小円墳が残ります。現状直径約7m、高さ約3mの規模です。高さからも元は倍以上の平面積が有ったと推定されてます。
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飯塚前支群も、塙支群もそれぞれに円墳が10基以上在ったとも伝わります。

他に6号墳の東南東およそ170m離れた公式には未確認とされる14号墳も周囲の雑木林が一掃されてるので、コロナ禍が収まったら行ってみたいです。

ひたちなか市三反田(みたんだ)古墳群(前編)

ひたちなか海浜鉄道中根駅の南西側、那珂川を南に見下ろす台地上に分布する古墳群です。本当は状況が変わってるのが分かっているので記事にする前に撮影したかったのですが、このご時世で再訪する訳にもいかず、しかもパソコンで画像ファイルをサムネで見られるものの開けられたりエラーになったりし始めたので、書ける間に書いとこうと思います。

県道38号線から三反田小学校のプールの西側を南に入り、学校沿いに真っ直ぐ進んで自然林に入ると右手に墳丘が見えます。1号墳の後円部を東より見てる事になります。
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かつては多数の墳丘で幾つかの支群を構成していてた事から羽黒1号墳とも呼ばれます。

南東より見てます。同じ向きで木を伐採した後の様子をぺんの古墳探訪記さんが紹介されてます。
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全長30m、高さ4mの北西向きの前方後円墳で、周溝跡の上の陽が差してる部分が後円部で、左奥に前方部が続いてます。

2号墳の近くより後円部南面を見てます。訪問時は前方部はほぼほぼ藪で隠れていて、しかも引いて撮影する事が出来ません。
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1号墳では埴輪が見つかって6世紀後半の築造と推定されてます。

前方部より後円部を見てます。墳丘の周囲は藪が激しいものの墳丘上は比較的草が少なかったです。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。前方部の方が1m程高く、軸線上を後円部から上がるともう一段見上げる感じです。
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1号墳後円部の南に在る2号墳を北より見てます。全長23m、高さ1.5mの西南西向きの前方後円墳です。埴輪が無いので7世紀前半の築造と推定されてます。
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1号墳の周溝跡に続く様にくびれ部の上を獣道が続いてて、右が前方部で左が後円部です。

1号墳前方部の北西すぐに在る3号墳を南より見てます。直径17m、高さ2mの円墳です。
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墳丘の周りで埴輪片が採集されてます。西に3基で並んでいた11、12号墳は削平されてますが箱式石棺の存在が謳われてます。

小学校のプールの南に在る5号墳を東より見てます。現状直径約6~7m、高さ約1mの残丘状で、西向きに祠が祀られてます。元々は直径15m以上の円墳であったと推定されてます。
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ここだけ学校のフェンスの代わりに鳥居が建ってて参拝できるようになってますが場所が場所なので東面など確認しに入っていません。

続きます。

綾瀬貝塚

JR東北本線白岡駅の西南西およそ2km、八幡橋で元荒川を越えて蓮田市内に入り200m程進んだら左折ししばらく南へ向かうと右手にその名も貝塚神社の二重の鳥居が見えて来ます。ここが綾瀬貝塚の中心付近です。
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手前は石製の神明鳥居で、奥側は木製の南部鳥居です。

その横には貝塚 史蹟保存會と彫られた石柱が立ってます。元荒川流域最奥部に在る貝塚として県の指定史跡になってます。本当の最奥は東北東およそ1kmの白岡市の正福院貝塚です。
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昭和の初期に調査が行われた後は域内の住宅建て替え時の試掘調査しか行われておらず、空振りで何も無かった事もあるそうですが、ヤマトシジミだけの主淡貝塚とアサリを中心にカキ、ハイガイ、オオノガイを含む主鹹(しゅかん)貝塚に分かれてる可能性が有ります。

民家の様な拝殿に鳥居を兼ねた様な向拝が面白い貝塚神社の社殿です。左奥側の本殿南面に特に多くの貝殻や土器片が多く見られました。
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逆光で見づらいですが合祀の際境内社として分けられた雷電社が左側に鎮座してます。

社殿北側には遊具も有ってよく踏まれるのか軒下から社殿下にかけて以外は遺物も少ない感じです。
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一方南側は一面真っ白でした。
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大きいものは見当たりませんがいろいろな紋様の入った土器片が幾つも見られます。
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鳥居横に設置されてる解説板です。縄文時代前期中葉から後葉にかけての遺跡と推定されてます。
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下野市甲塚古墳

寺林古墳前から県道18号線を南におよそ1.8km南へ進むと埋蔵文化財センターやしもつけ風土記の丘資料館の入り口手前の左手に、雑木林にしては狭く、でも大量の樹木が密集してる場所が見えます。これが甲塚古墳で、歩道に接してるのがその基壇です。
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東より見てます。下野型古墳らしく幅約14mの基壇を持つ帆立貝形前方後円墳ですが、基壇が殆ど円形のため実質上瓢下円墳と言えそうな墳形です。
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残念ながら上段は発掘調査後埋め戻しされておらずボコボコのままで、頂部やや右が欠けて見える部分が後円部で、一本だけ常緑樹の見える辺りが前方部で損壊した推定L約4.2m×W約2m×H約1.9mの広さの横穴式石室が発見されてます。

北より見てます。下野国分寺跡敷地内には幅10m以上有る周溝が砂利を敷いて再現されてます。反対側南面はラブホテルが建ってるため未調査です。
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上段部分をアップで。後円部中心から四方に試掘され、中央の凹みが軸線上に掘った痕跡です。
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それを囲う基壇は円筒埴輪が並んでおり、南西部ではここでしか見つかってない機織形埴輪をはじめ、人物・馬形埴輪が並べられており順番や向きまで判明しました。それらから6世紀後半の築造と推定されてます。

周溝東側に設置されてる解説板です。ほぼ円形で直径61mの基壇に全長47mの帆立貝形の上段が載り、周溝まで含めると直径約80m以上に達します。
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出土した大量の遺物の内最も状態の良い3点が調査時に盗難に会いましたが、残る形象埴輪23点・土器類74点が国の重要文化財に指定され、一部がしもつけ風土記の丘資料館に展示されてます。

主体部についてはしもつけ市の文化財バーチャルミュージアムに詳しいです(pdf)。

遺物については市の甲塚古墳出土機織形埴輪展示告知ページのリンクなどが詳しいです。

市原市海保大塚古墳

JR内房線姉崎駅の東南東およそ2.5km、養老川を北に望む大塚山の平坦面に在る市内最大の円墳です。墳丘自体は海保供養塚群に囲まれてますが、海保地区の周辺には海保吉谷前古墳群、畑木向古墳群、小谷作古墳群、竹谷古墳群が分布し、広義で海保古墳群と纏めて呼ばれる事も有ります。

直径約60m、高さ約10mの円墳ですが、18世紀初頭に盛土をして三山塚として加工され、基壇は六角形、中段は円形、上段は正方形の6段構造に改変されてます。
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終末期の国造の墳墓とか近世塚とか考えられてましたが、狭義の姉崎古墳群と共に国指定史跡を目指す為の調査が行われ幅約12mの円形の周溝と小型壺形土器や土師器などが見つかり、埴輪が見つからない事などから5世紀初頭までの築造と推定されてます。

南東より見てます。この辺に標柱が立ってるハズなんですが・・・?
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周辺の塚群の内、市埋蔵文化財調査センターの遺跡ファイル掲載の実測図では南に外れて載ってない三山塚も周溝が見つかりこの古墳より後に築かれた直径24mの墳丘の円墳転用である事が確認されてます。

墳頂の、現状での最上段部分です。約4m四方の方形に削られてます。塚転用時の盛土最下層からは富士山の宝永の噴火による火山灰が確認されてます。
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墳頂より見下ろしてて、手前は上から3段目の方形の隅部で角が出てますが奥側は円形のままです。
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この方形部分が後世の盛土部分なのか、レーダー探知機だとこの下に4m程の長さで何かが埋まってるそうです。

下野那須神田城

那珂川町小川の市街地の南西、首長原古墳の南側およそ350mで、交差点やパチンコ店の名前にもなってる神田城は貴重な平安時代の城郭遺構で、国指定史跡になってます。

国道の南側の「扇の館」という食堂と公衆トイレの有る駐車場の奥に県教育委員会による解説板が設置されてます。
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源平合戦の一つ、屋島の戦いにおける「扇の的」で有名な那須与一は、藤原 資家の子孫11代目当主でこの城で産まれたとも言われ、解説板の横にはその姿を彫られた石碑が立ってます。
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記録・伝承上では与一自身が家督を継ぐ前に那須氏は移動して廃城になったとされます。

解説場の背後に堀を隔てて高さ5m以上有る土塁が巡ります。ここが神田城北東の隅部になります。
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構造は長方形の単郭構造の平城で、遅くとも1125年頃までには築城されたものと推定されてます。

周囲には幅約10mの堀で囲まれてます。北面の堀の中は今でも東の那珂川(権津川)に向けて水が流れていますが鳥居から土塁側に渡る事が出来ます。
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北側の土塁は残存状況も良く、その上は約2mの幅が有ります。
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北西の隅には神田稲荷大明神が鎮座してます。歩けるようになってるのは参道付近のみで、左奥の社殿裏はすぐ藪になってます。
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土塁の上にも別の解説板が設置されてます。
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西側の土塁の一部が崩され、民家となってるお庭にも史跡碑と一緒にもう一種類別の解説が有るのですが、訪問時お留守でした。

土塁の内側は南北117m×東西66mの広さの長方形の曲輪で、現在は水田になってます。水田化の際調査されてますが築城時期を含め目ぼしい遺構・遺物は見つけられてません。
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北東の隅から南西を見ていて、左側南面の土塁には虎口跡で切れてて、右側西面の土塁が取り払われてるのが見えます。

東面の土塁外側を南より見てます。戦国の城の様に横矢を掛ける為の折れは無く直線状で、古い城なのは明らかですが時代にそぐわない立派過ぎる土塁とも言われます。
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もしかしたら堀で出た土を盛って元々在った古墳を繋いで築かれてたりして・・・。500m東には吉田温泉神社古墳群が分布し、そちらにも古墳に混じって突出部付方形館跡が見つかってます。

そのほぼ中央に虎口が開き、この東側に二重の堀が有ったと伝わってて、大門跡と伝わる事から大手口である可能性が謳われてましたが、発掘調査では後世に削られたもの推定され南側の土塁の中央に見られる欠損部が大手と推定されてます。
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蛭田富士山古墳群に画像追加、追記しました。

市原市下野寺谷(てらやつ)古墳群(その3)

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9号墳を西より見てます。南西向きで全長約30m、高さ2.2mの前方後円墳で左が後円部で右が前方部です。
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東より見てます。前方後円墳集成ではなぜかここの2基の号数が変更されてますが恐らく誤記でしょう。
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前方部より後円部を見てます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。以前は前方部が目立たなかったらしく、市の遺跡分布図では円墳で表記のままになってます。
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北東に並ぶ10号墳を南西より見てます。南西向きで全長32m、高さ2.6mの前方後円墳で左が後円部で右が前方部です。
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反対側に周って北東より見てます。
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前方部より後円部を見てます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。こちらはしっかりと高さの有る前方部です。
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関連は不明ですが寺から北北西に450m程離れた市津消防署の裏にはかつて3基と同じ向きで90m級の潤井戸高野前古墳が在りましたが、削平された今でも航空写真ではハッキリ墳形が見て取れます。

2基の南側、散策路沿いには径5m程、高さも2m程の小マウンドが並んでます。
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1基は古墳っぽいですが、並びからもさすがにこれらは塚群でしょうか?これらを足しても千葉情報マップの円墳20基には及びませんが・・・。

20/8 追記;4号墳の南西近く、潤井戸上横峰遺跡より6基の円形・方形の周溝が見つかっており、破壊が酷く主体部が一部でしか確認されてない事もあって古墳(周溝墓)と併記されてますが、報告書のまとめに於いて当古墳群の一画を占め古墳群たる内容を有する遺構と記されてます。

市原市下野寺谷(てらやつ)古墳群(その2)

1号墳の東側、本堂へ真っ直ぐ進む道と駐車場へ進む道が分岐する所から、東の丘へ上がる散策路の先にも墳丘が残ります。
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散策路が右にカーブする左手に在る7号墳を南東より見てます。直径18m、高さ2.3mの円墳です。
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そのすぐ北東に並ぶ8号墳を南より見てます。直径19.1m、高さ2.8mの円墳です。
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更に北東に並ぶ11号墳を南西より見てます。分布図では直径9m、高さ0.6mの円墳ですが削られ方のせいかその倍以上の高さにも見えます。
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反対側は民家が建てられ削られてます。

散策路に戻って進み、墓地の東隣に在る5号墳を北より見てます。直径16.2m、高さ1.2mの円墳で、本堂の前からも見えます。
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5号墳の南にやや離れてる6号墳を北東より見てます。直径15.6m、高さ1.9mの円墳です。
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6号墳の南東に在る小マウンドです。2基並んでるハズですがもう1基は見当たらず。6号墳の北東側の小マウンドも見つかりませんでした。
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続きます。

市原市下野寺谷(てらやつ)古墳群(その1)

京成千原線ちはら台駅の南南東およそ2.5km、昨秋竜巻が発生して被害を受けた事でニュースにも出てた本泰寺周辺に分布する前方後円墳3基、方墳1基、円墳10基の古墳群です。他にも規模が小さく墳丘とみなされてはいないマウンドも見られます。撮影は全て被災前です。

南から鳥瞰した周辺図をざっと描いてみました。12・13号墳は後で知ったのでちゃんと見てませんが、県道で半壊の墳丘は記憶にありません・・・。
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現在の学園通りの終点、県道21市津消防署入口交差点から150m程東のお寺の入り口からお邪魔すると本堂の手前、右手に本泰寺古墳とも呼ばれる1号墳が見えて来ます。
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南より見てます。南西向きで全長約44m、高さ3.3mの前方後円墳で、樹々に覆われてますが鐘突き堂の下が前方部で、右奥に後円部が続いてます。

前方部上の鐘突き堂の脇から後円部を見てます。後円部は雑木林で真横から見ても肉眼でないと墳形が見えない状況でした。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。鐘突き堂の基礎の為土盛りされて前方部も元よりも高くなってるみたいです。
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前方部脇から北西へ進むと学園通りの延伸予定地に出ます。工事の為9年前に削平された6世紀末~7世紀前半築造の3基の墳丘・跡が未だにそのままになってました。

2号墳跡を南西より見てます。直径20m程度の円墳と考えられてましたが、北西向きの全長28m、高さ2.3mの帆立貝形前方後円墳でくびれ部や周溝に複数の埋葬施設を持つと判明しました。
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版築されて削平後も周辺と地面の様子が異なり航空写真でも見て取れますが、古墳としては右端の除去土状の残丘を残すのみです。

同じく3号墳跡を南西より見てます。直径23.7m、高さ3.5mの円墳でした。墳頂の木棺直葬の主体部3ヶ所それぞれより直刀が出土しました。
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伊勢塚古墳の様に先端が拡がってはいませんが、南側だけ周溝幅が広くなってました。

半分だけ事業予定地となり半壊となった4号墳を南より見てます。直径21.2m、高さ1.7mの円墳です。
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須恵器杯が見つかってますが主体部は未発見です。

学園通りと県道21号線合流予定地から戻ってくると本堂の手前左手に直径20m、高さ2mの14号墳が在るはずなのですが、工事予定地との間全体が微高地になっておりよく判りません。
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墓地のこの高まりが墳丘でしょうか・・・?

続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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