FC2ブログ

秦野市岩井戸横穴墓群

欠ノ上横穴墓群から用水路沿いに北西へおよそ150m、下大槻団地が建ち並ぶ台地下に分布するのが岩井戸横穴墓群です。50基以上で構成とされますが、民有地となってて自由な見学は難しい上に後世に採石などで掘られた穴も有って、度々確認調査が行われてます。

7~8世紀前半にかけて営まれた横穴墓よ考えられ、人骨や直刀、須恵器、土師器などが出土してます。市役所の紹介ページに一部出土品が掲載されてます。

こちらはマンション裏手で、住民の方がわざわざ車を移動して撮らせて下さった西寄りの1基です。どうもありがとうございました。
iwaidoA.jpg
見辛い画像ですが、御厚意に甘えた上に散らかす訳にもいきませんので・・・。

その右手の1基です。駐車場やタンクを設置のために台地を削っているので、奥側の一部のみ残った状態です。
iwaidoB.jpg

更に右手の1基です。
iwaidoC.jpg

近くの民家の敷地内には市道からも数基並んでいるのが見えましたが、お留守の様子だったので外から見えた最も大きい1基を。
iwaidoD.jpg

基本的に一般に公開はされてませんが、状態の良いところは棺座や専門の石積みも残ってます。oobuta日記さんがその中の貴重な数基を撮影されてます。
スポンサーサイト



渋川市樽野本古墳群

横野村20号墳の下流で利根川がもう1回蛇行して出来た河岸段丘上には現在円墳が2基残り、かつては他にも数基の墳丘が存在していたので(樽)野本古墳群と纏められる事があります。県の古墳総覧では段丘北部に4基、南部に3基記載されてますが、いなり塚古墳の南に隣接してて両袖型横穴式石室を有するも削平された3号墳のみ群中の1基として扱われてます。

恐らく公式には群として扱う墳丘は、(新発見なども含め)多かれ少なかれ調査の入った墳丘に限り、調査後群に編入していくのではないでしょうか?

利根川挟んで不動塚古墳の東およそ1km、県道255号線沿いに何軒かのいちご農園が集まる裏手に在って旧横野村31号墳とも呼ばれるいなり塚古墳を南西より見てます。直径約20m、高さ約4mの二段築成の円墳で段丘南部で唯一の生き残りです。
tarunomotoinaridukasw.jpg
約1m幅の基壇テラス面を有するとされてますが、改変著しくどの角度で見ても美しくは見えません・・・。

北西より見てます。下草の生えてない裾部に葺石が見えます。墳丘の残り方を見ると北面の基壇はビニールハウスや電柱で直線状に削られており、上段から落ちてきたものと思われます。
tarunomotoinaridukanw.jpg
右手道路側に土を盛ってコンクリートで土留めされてるのでここから見ると途中まで削平された前方後円墳にも見えてしまいます。

東より見てます。左手南側も削られていて、石室の元の全長は不明とされてます。
tarunomotoinaridukae.jpg
中ノ峯古墳と同様に農地をギリギリまで使い墳丘裾部を歩くからか、若干踏み削られて急角度で立ち上がってます。

墳丘西面の道路脇に標柱と解説板が設置されてます。
tarunomotoinaridukahyochu.jpg

葺石をアップで。根石なのか裾部には二回りは大きい石も混ざって見られます。墳丘は未調査ですが、すぐ下に6世紀中頃の榛名山二ツ岳の噴火による軽石層が確認され、地域的に横穴式石室導入期の噴火直後に築かれた墳丘として市の史跡に指定されました。
tarunomotoinaridukafukiisi.jpg

上段南面に無袖型横穴式石室が開口してます。玄室以外は上部を失っており、下草が延びて僅かに見える施錠された鉄扉とまぐさ石を見ながら近寄ろうとしたら、羨道の天井石(?)が足元に在るのが全く見えず思いっきり躓いてしまいました・・・。
tarunomotoinaridukasekisitu.jpg
現状全長6.14mが残り、左手の草の下にも側壁の石材が結構残ってます。羨道の先端は基壇ごと削られてしまってる様です。

中から玉類や須恵器、馬具が見つかった玄室の内部の様子です。施錠されてるため広さなどは掴めませんが奥行きは3m強くらいでしょうか?幅は約1mで、奥壁上部は見えません。降雨時の訪問だったので湿気で側壁に塗られたという朱が乾燥時よりも際立って見えている様な気がします。また床面奥の方を仕切り板で区切っているのが見えます。
tarunomotoinaridukagensitu.jpg
隙間が出来てるのか草の蔦や根が入り込んでいて、梱石付近の天井石も下がって来ている様にも見えます。もしかして沼田市で見られる石室と同様にそこが玄門で、鉄扉までは前室だったりして・・・?

解説板です。樽野本古墳群の主墳とされてますが、群として分布域や基数を纏めた資料って有るのでしょうか・・・?
tarunomotoinaridukakaisetu.jpg

北北東におよそ600m離れてて、樽野本古墳群に含まれると思われますが詳細は不明な横野村第29号墳を北西より見てます。
yokono29nw.jpg
グーグルマップのストリートビューでまだ見られる様に最近までは周囲をやや削られながらも墳頂に樹々の生えた直径約21.8m、高さ5.5mの形の良い墳丘でしたが、最近この規模で太陽光パネルが設置されてしまいました・・・。

北東より見てます。高崎の庚申塚古墳の様に墳丘を保護してパネルをただ設置するのではなく墳頂を平らに削って四隅にコンクリートの大型ブロック(?)を積みあげ、現状は南北約15m×東西約17mの長方形の基壇になってます。
yokono29ne.jpg
パネル設置に伴い調査が行われたのかは不明ですが、かつて直刀が採集されてます。

総覧ではここの南東の農地内に半壊の横野村27号墳が記載されてますが、墳丘は見当たらずややズレた道端に石祠を祀る怪しい石が見られただけでした。

追記:では清水・新井古墳群として民家を挟んだ南側の畑に浮かぶクロップマークを紹介してます(画像右上端の屋根の右隣りが29号墳)。

北区十条富士塚現状

北区中十条の都道460号線(旧岩槻街道)の拡幅工事も進み富士塚(古墳)の木の伐採や塚に配された石のチェックもあらかた済んで、いよいよ石を退けたら学術調査をしながら削り始めるとの事で、再訪してみました。

また参道の有る東より見てます。石碑から階段の一つ一つまで移動後も把握出来るようチェックされ、解説板や柵、ブロック塀などは撤去されてました。
jujofujiduka208e.jpg

北東より見てます。西隣の王子消防団第五分団本部と横断歩道左側のポールが撤去されて、工事囲いに工事の説明などが告知されてます。
jujofujiduka208ne.jpg

北西より塚の背面を見てます。電柱の右が消防団本部跡で、この後元の塚頂の高さに合わせて階段付きの塚本体が建設され、祠を移設します。
jujofujiduka208nw.jpg

これは道路越しに塚の北側に掲示されてるお知らせです。
jujofujidukaosirase.jpg

お知らせは南向きで日光の反射がキツイので工事囲いの方の行程説明より。てっきり拡幅部分から新しい塚頂にかけて斜めに削るのかと思ってましたが、これを見ると一度ほぼほぼ全部を削平してしまうようです。これでは古墳にしろ塚にしろ消滅に近いですね・・・。
jujofujidukakoutei.jpg

まさに現状を表すCGです。
jujofujidukabefore.jpg

そして整備後のイメージのCGです。図的に鳥居の位置が同じに見えますが、勿論西側へ移動してます。新設される登山道は模擬で通行は禁止でしょうか・・・?
jujofujidukaafter.jpg
またこれを見て初めて知ったのですが、社務所を建てる為に南面も大分小さくなります。

最後に南東側の歩道橋の上より見てます。今コーンの列の横に立ってる鳥居は左の建物前面と並ぶ位置まで退がります。
jujofujiduka208se.jpg

文京区曙町古墳?

曙町古墳は白山神社古墳の北北東200mあまり、旧白山通りが白山上交差点から緩やかな坂を下り西へカーブしていく右手、下総の地を治め老中まで務めた土井利勝の下屋敷跡に在ったとされ、民俗学者の鳥居龍蔵氏が円墳と主張した詳細不明の古墳(?)です。

およそ50年前には墳丘らしきものは既に見つからなかったとされてます。旧白山通りも墳丘址を挟んだ一方通行の裏道も戦前にはほぼ現在と同じ道筋になっていた様で地形もそう変わってないものと考えられ、谷間へ下る台地斜面下方の墳丘推定地はもっと斜面の上の方だったのではないか?と思い、怪しく見える場所を訪問してみました。なので今日の記事は勝手に私が怪しいと思ってるだけの妄想的内容になります・・・。

一方通行路の北側、龍光寺の墓地内には微妙な高低差が見られ、その南東端はお寺の歴代墓所とされる東西約15m、南北約7m、高さ約2mの高まりが在ります。
akebonomachiw.jpg
訪問時は御住職が外に出てて、外人女性の修行僧さん(?)しかいらっしゃらなかったので歴史的な事は分かりませんでした。

南と東側は削られて建物が隣接し北と西側は石垣で直線状に固められてますが、南側で削られてるギリギリの部分だけ元の塚状を思わせるスロープ状になって歴代住職の墓の奥へ行けます。
akebonomachisw.jpg

すると高まりの最も奥に、拳大~人の頭部ほどの大きさの川原石や割石が如何にも怪しい感じで南北の向きに並べられてます。全体で長さ約2.5m程で、玄室っぽい膨らんだ部分は1.7m程でしょうか・・・。
akebonomachisekisitus.jpg
手前のくびれてる側が南です。

現在は石列も一重で、残りは周りに散らばってる印象ですが、グーグルアースで見るともう少ししっかりした石積みだった様にも見えます。都市型のこの墓地に似合わないこれらの石は何なのでしょう・・・?
akebonomachisekisitunw.jpg
土井氏の屋敷には曙町の地名の由来にもなったとも伝わる鶏声塚が在ったと伝わり、古墳なうさんが詳しく書かれてますが、屋敷内のどこに在ったのかは不詳の様です。勿論このマウンドがそうである根拠は全く無いですし、寺院の境内なので区が勝手に調査する事も無いのですが、物陰に在ってずっと認識されず南と東に隣接する建物の新築時にも調査される事も無かったマウンドが消滅したとされる古墳の残りだったら・・・とか考えてしまいます。

笠間市達中坪古墳群?

一本松古墳の北側の道を西へ進みそのまま県道193号線に入って、およそ2km進んだ坂の右手に「達中坪古墳群」と書かれた標柱の立つ墓地古墳が見えて来ます。

これが達中坪古墳とも呼ばれる円墳ですが、近隣の遺跡発掘調査報告書にも散見されるものの笠間市としては場所的にも遺跡として登録はされてないそうです。
tacchutuboAe.jpg
見た目は直径約25mの基壇に約15mの径の上段が載る高さ3m程の二段築成の円墳です。

上段にもたれ掛かる様な標柱です。市で認知してないそうで、言われてみると確かに市内の他の遺跡の標柱とは全然違います。
tacchutuboAhyochu.jpg
詳細は書けませんが市内には古墳跡ですらないのに個人で勝手に墳丘名の入った標柱を立ててしまった方もいるそうで(あっ、あそこだと思った方は胸に留めて下さい)、合併時の引継ぎ洩れを再確認する必要は有るものの個人で立てた可能性も有るのではとの話でした。

標柱から左に移動してテラス面南側より上段を見てます。テラス面は共同墓地になっていて、更に北西裏手の農道に向かって墓地が拡張されてて(?)見様によっては前方後円墳にも見えてしまいそうです・・・。
tacchutuboAs.jpg
その上段北西面には、県道からは裏になって見えないからか古い墓碑が無造作に集められてます。

反対側に周って見てます。奥の木立に次のマウンドが在り、その右手には100m以上離れて掃部塚古墳群が分布してます。
tacchutuboAne.jpg
現在の県の遺跡分布図ではその掃部塚古墳群の分布域で記載されてますが、範囲が東にズレてて肝心な現存墳丘群が域外になってしまってます。訪問時はそれとは異なる遺跡分布図を持って行ったのですが、落として出典も分からなくなってしまいました。

上段は県道側がスロープ状に削られ、中心近くには塚状にもう一段盛り上がっていて、古い石塔や石碑などが集められてます。
tacchutuboAtop.jpg

群と言うのだから他にも高塚が存在するのでは?と周囲を探して見ると県道の向かい、ほぼ真南に約80m離れてこちらの小マウンドが在ります。北より見てます。
tacchutuboBn.jpg
規模的には直径4~5m、高さ70cm程度の塚状です。

反対側南より見てます。画像左奥の様に県道沿いが何ヶ所か凸凹する地形で下から目立ち、来てみました。
tacchutuboBs.jpg
人工的なマウンドはここだけの様に見えました。

頂部を北東より見てます。石材が露出し、左上(南側)を向いた主体部部分だけが残っている様に見えないでしょうか・・・?
tacchutuboBtop.jpg

沼田市愛宕墳墓群

奈良古墳群から薄根川を挟んで南南東におよそ600m、愛宕神社を中心に南北に続く円墳群が在ります。内一部は県の古墳総覧の旧利南村〇号墳と合致すると思われるものの、総覧では半壊の2基を残して消滅表記で群としては扱われておらず、現在のマッピングぐんまでは古墳群ではなく時代不明の墳墓群7基としてます。

愛宕神社の鳥居をくぐり参道を進むと右手に見えてくる南端の1基です。
atagofunboAw.jpg
直径約15m、高さ2.5m弱の規模で、径59尺で現存とされる利南村16号墳に該当すると思われますが半壊には見えません。

そのすぐ北側で参道が東側の副参道に別れて直径20m弱、高さ約1.8m程のマウンドを縦断し、左右に多くの祠などが祀られてます。北より見てて、鳥居の先に上の墳丘も在ります。
atagofunboBn.jpg

愛宕神社社殿も直径20~25mのマウンド上部を高さ2.5m程で平らに均して建てられてます。この場所は付近一帯の独立した丘の最高位地に当たります。南より見てて参道側は直線状に削られて見えます。
atagofunboCs.jpg
総覧で境内の消滅した2基は残った墳丘よりも小さいとされ現状とは合致しませんが、これが半壊の16号墳なのか、それとも境内に他にも墳丘が存在したのでしょうか・・・?

南東より見てます。ここまでの3基はマッピングぐんまの表記とピッタリ合います。この裏にも3基並ぶようですが、リンゴ狩りの出来る農園の周回路や展望台が見えるもののやはりお金を払って参加しないと入れない様なので未確認です。
atagofunboCse.jpg
更に北の民家横には利南村9号墳と思われる墳丘が残りますが、夏場なのでマウンドが藪で覆われ、その藪越しに民家内を撮ってる様になってしまうので次回に撮り直したいと思います。

墳頂に鎮座する愛宕神社です。現在の社殿は1808年の再建です。
atagofunboCtop.jpg
参拝される方は見かけませんでしたが、こまめにメンテされてるのか全然古い建物の感じがしません。

神社の由緒書きです。古墳については触れられてませんが、高塚の並ぶこの辺りは野狐塚(やこつか)と呼ばれ、それが変化して現在の横塚の地名になったとも言われます。
numataatagojinjayuisho.jpg
総覧で見ると神社鳥居のすぐ南東にかつては利南村13号墳が在って、野狐塚も八個の塚の意から来てるのかもしれません。

笠間市一本松古墳群(後編)

諏訪古墳は一本松古墳の北西およそ200mに在る群中北端の墳丘です。

北東より見てます。手前が後円部で右奥が前方部になります。墳長約53m、高さ3.65mの西向きの前方後円墳です。
ippondukasuwane.jpg
現状は民家や農地で削られ東西40m以下の規模になってます。

逆側北西より見てます。墳丘北側はこの様に農作業用の車が通るスペースが有るもののすぐ左側は耕作地で真横からの撮影は無理でした・・・。
ippondukasuwanw.jpg
幅約4.8mの周溝が確認され、含めた全長は62.4mに達します。

後円部上に諏訪神社が鎮座し南側が参道となり鳥居が建ってます。北面と違って鬱蒼として暗いのですが、不思議と蜘蛛の巣とかは見ませんでした。
ippondukasiwas.jpg
墳丘の手前、左手のマウンドは古墳と無関係だと思います。

後円部墳頂の諏訪神社です。本殿の祠が向拝代わりの庇付きな覆屋で覆われてます。
ippondukasuwartop.jpg
お供え物は動物に食べられたのでしょうか落ちかかってますが、墳丘上は折れた枝や幹が放置されてる割には神社としては綺麗にされてる印象です。

後円部より前方部を見てます。後円部上部を削って鞍部に盛ったのか全体的に均されてる様に見えます。
ippondukasuwartof.jpg

後円部上より北側くびれ部を見てます。裾部に沿って側溝が造られてくびれ部形状が見て取れるのですが後円部は北東角に枡が設けられて方墳みたいに直線状に続いています。
ippondukasuwansidekubire.jpg

最後に前方部より後円部を見てます。鳥居や社殿に比べて墳丘上は手入れされてない印象でしたが、それでも少し前に訪問された古墳探訪記さんの記事を拝見すると昨日の2基がお手入れされ、ふっき~さん訪問後に大きい落枝はまだ残ってるものの小枝なんかは纏められてる様にも見えます。
ippondukasuwaftor.jpg

笠間市一本松古墳群(前編)

一本松古墳群はJR常磐線内原駅の西南西2kmあまりの線路北側に築かれてる前方後円墳2基・円墳1基から成る古墳群で、全基が市の文化財に指定されてます。

常磐線下り線で前方部が削られてる山王塚古墳を北西より見てます。杉で覆われてるのが直径50m、高さ7.5mとされる後円部で、右端看板の辺りが前方部跡、墳丘手前は今も水を湛えて葦が群生している周濠です。
ippondukasannoudukanw.jpg
墳丘へアクセス出来る農道は舗装されておらず、近世のレンガからかなり古そうな土器までいろいろ沢山落ちてます。

くびれ部跡付近より後円部を見上げる形で見てます。
ippondukasannoudukaftor.jpg

鳥居の横に標柱が立てられてます。御前塚古墳もですがそれなりの遺構なので解説板も設置して欲しいところです。
ippondukasannoudukahyochu.jpg

後円部より前方部跡を見てます。参道が断ち切られてるのは富士市の山の神古墳と同様なのですが、こちらは前方部がモロに線路となって削平され、しかもここだけ上下線が離れて通るため線路の反対側に参道は続いていません。
ippondukasannoudukartof.jpg
奥の看板の左に池が有って周濠の残存部と考えられ、コの字に太陽光パネルが避けてる場所には前方部の残丘と思われる高まりも見られ、元は南西向きで墳長約100mの規模が有ったと考えられてます。

墳頂には日枝神社が鎮座して直径約35mの平坦面になってます。
ippondukasannoudukatop.jpg

社殿の裏側は薄暗く、周濠の水が光を反射して後円部を囲っているのが良く解ります。
ippondukasannoudukashukou.jpg

山王塚古墳の北北西およそ80mに在る一本松古墳を南西より見てます。右手ブロック塀の横から上がれる階段が有ります。
ippondukaippondukasw.jpg

反対側北東より見てます。現状直径28m、高さ4.23mの円墳ですが裾部は耕作で削られて急峻になっており、墳頂も信仰行事により均され周りに桜が植えられてて、復元すればもう一回り大きい規模と推定されてます。
ippondukaippondukane.jpg
周溝は未確認ですが、グーグルマップをはじめ、いくつかの公開されてる航空写真で跡らしき水分を含んだ帯が一部見えます。

墳頂には標柱が立ってますが、今年の梅雨は雨が多く上り口の階段の途中から足元も見えない状況で、途中までしか読めない階段上部より見てます。
ippondukaippondukatop.jpg

続きます。

渋川市不動塚古墳

JR上越線渋川駅の北北東およそ2km、国道17号線と平行する旧沼田街道白井宿に建てられた歴史資料館の南側から下之坂を上がって西へ進むと左手に小高いマウンドが見えて来ます。これが不動塚古墳です。ちなみに白井宿から旧沼田街道を道なりに北へ1.6kmほど行くと大塚古墳の横に出ます。

南より見てます。未調査で直径約20m、高さ約5mの円墳と推定されてますが、中世に旧白井城外郭の物見台として転用され改変されてます。
fudoudukas.jpg
画像右奥から手前に掘りが続き、撮影位置付近で右手(東)に折れてましたが、石垣は当時のモノではなく近代の改変だと思います。

墳丘東側掘址は道路になってて、倉庫によって更に削られてます。
fudoudukae.jpg

北より見てます。手前も旧白井城の外堀跡ですが、裾部は石垣で改変はされてません。
fudoudukan.jpg

西より見てます。位置的には旧白井城北端の中央で、往時は南側(右側)と北西側(社殿手前側)に土塁が接続されていたと思われ、南側の土塁の一部が残り現状は前方後円墳状になってます。
fudoudukaw.jpg

土塁部分の上より後円部を見る様に墳頂付近を見てます。多数の石碑・石塔・石仏が集められてますが古墳由来のモノは無さそうです。
fudoudukaftor.jpg

墳頂より前方部を見る様に土塁部分を見下ろしてます。現在は農道で断ち切られてますが、往時は階段下の標柱の先で左に折れて続いていたハズです。
fudoudukartof.jpg

墳頂に鎮座する城山不動尊の社殿です。現在の社殿は大正12年に建て直されたモノだそうです。
fudoudukatop.jpg
周囲に紫陽花が植えられていてちょうど見頃で綺麗でした。

秦野市欠ノ上横穴墓群

欠ノ上横穴墓群は小田急東海大学前駅の南南西およそ1.8km、金目川沿いの県道62号線から歩行者だけ川を渡れる欠の上人道橋北側の用水路脇に分布する8基から成る横穴墓です。
kakenoue.jpg
この2基の左側は護岸工事によって固められていて、旧状は偲べません・・・。

左下の1基です。開口部に土砂が堆積してます。撮影後程なくして上部の岩盤が崩落したみたいで、現在はその上で落ちた岩が更に開口部を塞いでいるようです。
kakenoueA.jpg
何故こんなフェンスが設置されてて大きく曲がってるのかと思いましたが、群の上を通る道からここまで見学出来た時もあったのでしょうか・・・?

右上の1基です。同じく開口部が埋まりかけていて、上部は崩落し始めててヒビも見えます。
kakenoueB.jpg

やや離れて南側にもう一ヶ所らしい場所が見えますが、手前が草で隠されゴミも落ちててよく見えません・・・。
kakenoueC.jpg
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR