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磐城平(たいら)城本丸跡発掘調査現地説明会(後編)

南側の調査区域へ移動します。

こちらは仮藩庁跡の礎石列の南側のトレンチで、同様に礎石とトレンチに対して斜めの遺構や焼土が出てます。
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手前の板石は仮藩庁跡の石敷きの上に敷かれてたものと同様で、画像奥に撤去したものが積まれてます。

こちらは更に南側のトレンチで、説明前は近代の土管が通っていて遺構の一部は破壊されてたのかと思いきや、廃城後は建て替えごとに土を盛られてて幕末の地表より40cm以上高くなってたそうです。土管の上に土層が見えます。
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埋まったままなので画像では見難いですが、礎石も出てます。

こちらはその西側のトレンチです。弧を描く石列が検出され一段深く掘ったところ粘土を敷き詰めているのが発見され、これは殿舎南側の池であると想定されます。
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上の画像で右奥に写ってるこの鉄筋コンクリート柱群は、昭和中期に模擬天守を建てる動きがあり、その際の基礎工事のものです。
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予算が足りなく中止になって良かったと言われてますが、往時に天守代用で建ってた御三階櫓跡を含む本丸南面は明治後半の常磐線敷設に伴う堀の埋め立てにかなり削られており復元は無理だそうで、逆に見てみたかった気もします・・・。

遺物展示も豊富でした。これは戊辰戦争時に焼けた土壁や鉄製品などで、「この釘って枕木を固定するものでは?」との質問も出てました。
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似てますが違うそうです。

これは瓦系の出土品で、右下の個体は鯱鉾の鱗部分ですね。
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これは陶器系の遺物です。灯明皿は茨城で見たモノよりもちょっと良い造りで、油を入れる内縁や灯芯を出す切れ目が有って油こぼれ用の受け皿の不要なタイプです。
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かわらけは割れてますが、トレンチではまだ取り上げてない完品の個体も見られました。

これは沢山展示されてた中で2番目に大きい磁器の大皿です。一部清朝時代のものや瀬戸、美濃のモノも見られますが磁器の多くは鍋島藩などの肥前系のもので、プラスチックケースで10枚以上並んで壮観でした。
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発掘が幕末時期の層と言う事もあって18~19世紀のものが殆どですが、いつも古代遺跡の説明会とか見てるとついこの前の新しい皿に思えてしまいます・・・。

最後に一夜城プロジェクトで櫓の張りぼてが貼られてた展望台より本丸跡を見下ろしてます。奥に見える城郭建築風の建物は関連資料も収蔵する龍が城美術館ですが、震災で屋根は被災したままで実質閉館状態になってます。
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手前に向かって斜めに殿舎が建ってた部分もいつか発掘されると良いですね・・・。
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磐城平(たいら)城本丸跡発掘調査現地説明会(前編)

いわき市いわき駅北口の台地は関ヶ原合戦後に鳥居忠正が転入し築いた平城の跡です。漢字で書くと城郭を分類する際平地に築かれた平城(ひらじろ)と紛らわしいので磐城平城と呼ばれる事も多いです。

斜面のすぐ上が本丸跡で、廃城後民間に払い下げられその大部分は個人の私有地になってましたが、再来年度までに公有化して公園として整備するために6月から発掘調査中です。
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これは調査開始以前に前段階的にイベント開催時のみ敷地内を公開した際の説明・注意書きの看板で、図中の仮藩庁は戊辰戦争後建てられ廃藩置県までの短期間藩政を執った建物でしたが15億円かけて体験学習施設を建てて整備する為に取り壊されてます。
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城郭の現地説明会では全体を把握するためにトレンチ設定状況の入った全体図が配られるものですが、今回配布された資料は一般に流布される文化財ニュース(PDF)だけで部分的写真しか載っておらず、この掲示された上空からの仮藩庁跡の画像を見るのみでした。
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ただ通常の発掘調査では最初に決められたエリア以外は何か発見が有っても続きを都合付けて掘る事は無いのですが、今回は画像の南側で数カ所トレンチが追加されてます。

自分は午後の回の参加で、13時になりまず概要説明を受けてから3班に分かれて遺構や遺物の見学となりました。
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上記の航空写真で撮られていた仮藩庁跡を北西より見てます。ここからは御殿建築礎石や石列、それよりも古い時代の掘立建物の柱穴が検出され、戊辰戦争で撃ち込まれた砲弾や磁器、かわらけなどの遺物が出土したほか、堀跡一ヶ所の便所跡二ヶ所などが見つかってます。
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説明が始まって北東側より見てます。礎石の並びから見つかった建物跡は絵図の様に南向きではなく、40度ほど斜めに南西方向を正面としていた様です。
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研究員の方が立ってるのが幕末の地表で、地山のもう数十cm程下の層との間に焼けた土の層が見つかり、戊辰戦争以前にも火災があったと想定されます。

トレンチ南側の礎石列を近くで見てます。御殿のどの部分かは不明ですが、礎石や瓦の検出状況から建物全てが瓦葺きではなかったと推定されてます。
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石列も礎石の並びと同じ向きのものと東西に並ぶものとが近接してます。もちろん同時期に存在したとは限りません。
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奥に集中して石が敷かれた様な場所が在りますが、これは城に関する遺構ではなく払い下げ後のもので敷かれた上に大きい石のブロックを載せてました。

発掘エリアの北端では建物跡の下から幅2.8m、深さ1.2mの薬研堀が検出されてます。残念ながらこの続きを調べる予定は無いみたいで、新しい建物の基礎工事で壊されなければ詳細は未来に委ねられます。
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堀跡のすぐ脇で見つかった便所跡では埋められた木桶の木材が良く残ってます。
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発掘で突き刺さった状態で出てきた四斤山砲の砲弾は安全のため不発弾処理をされ、刺さっていた穴だけが残ってました。
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続きます。

日立市西の妻古墳群

西の妻古墳群はJR常磐線大甕駅の西およそ2kmで、茂宮川を南西に見下ろす台地端部に分布する前方後円墳1基、円墳4基から成る古墳群で、現在2基の墳丘が残ります。

北東側のサンシティ石名坂公園の脇より1号墳を見てます。手前の空き地に続いて主軸線上で所有者が異なるのか北面は手前の後円部と奥の前方部の墳形が良く見えます。
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一方南面は全く管理されてない藪のままで、南東より見ても前方後円墳に見えません・・・。
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南西より見てます。全長51m、高さ5.2mの西向きの前方後円墳です。この向きだと辛うじて前方後円墳に見えますが、高く見える後円部は墳丘上の樹木の高さです。
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前方部より後円部を見てます。左手北面は墳丘からそのまま下る斜面になっており、南面にのみ最大幅約9mの周溝が見つかって多数の埴輪片が出土してます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。後円部と前方部がほぼ同じ高さで、前方部の方が幅が広くなってます。
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円筒埴輪の完形品1点のほか人物・馬形・家形・靫形などの形象埴輪が出土し、墳形などから6世紀後半の築造と推定されてます。

前方部北面の上部はやや崩れかけてます。
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後円部の墳頂の様子です。祠が祀られて南面に参道の階段が設けられてるのですが、先の画像の様な猛烈な藪に覆われて蜘蛛の巣も払い切れない程の数と堅朗さで近付くのを断念。
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ロープの様に束ねられて、張ってる樹々の枝葉の柔軟性と併せて払えない蜘蛛の巣なんて初めてです・・・。

前方部の西南西に30m程離れて残る2号墳です。直径18m、高さ3mの円墳で石材が露出してるとされますが管理されてないので裾部が見えるだけでした。
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最後に北面の一段下がった道路から見上げてます。擁壁の上端は南側の道路・周溝跡よりも約1.5m低く、こちら側から高さを測る資料も有ります。
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柏市切返シ古墳

オッコシ古墳群の南西およそ900m、県道282号線の手賀沼中学校北西のカーブから北へ入った三叉路に残されてる半壊の円墳です。

北北西より見てます。右奥の丁字路はその県道で、軽トラが埋まって見えますがそこまで南南東から谷津が入り込んでます。
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古地図で見てもかなり古くから三叉路になってる様でいつ頃から削られたのかも、削平による遺物も伝わらず規模も不詳とされてます。現状は右手の擁壁から東側が残る直径約10m、高さ約2.5mの半円状のマウンドです。

東面は比較的古墳らしさを残してますが、畑地の灌漑事業を記念する石碑がドーンと立ち、場所がらゴミ捨て場にもなってるので真東より見ると見栄えが悪いです。
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本当はもう少し右から写したかったのですが、訪問時は車が停まっていたので・・・。

南西より見ると角度的に最も細く削られて見えて、もし南面に主体部が有ったなら破壊されてそうです。
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北側から階段で上がった墳頂の様子です。以前来た時は陽も当たらず蜘蛛の巣だらけで撮影も困難な状況でしたが、南側の木が伐採されてサッパリしてました。左の木も今にも枯死しそうです。
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石仏や石塔が恐らく近隣から集められてる様です。三山塚碑が良い場所に在るので、ここまで削られて遺物が伝わってないとなると古墳ではなくオリジナルの三山塚の可能性も考えられると思います。

柏市原遺跡「石函宮」

きつね山古墳群から南南東におよそ850mに在る旧吉田家住宅歴史公園、その駐車場の片隅に石棺が出土したと伝わり石函宮として石祠が祀られてます。発掘調査されてたのは知ってましたがちば情報マップなど県の遺跡分布図では縄文中期の原(Ⅰ)遺跡として土器・石器の出土とあるので古墳は見つからなかったものと思ってました。
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ところがここから古墳が見つかって報告書も出てる旨を教えて頂きましたので、改めて撮影しに訪問しました。

古墳址を東より見てます。奥に見える石函宮が丸い周溝の南西側端寄りの場所で、遺跡第5次調査で駐車場部分にトレンチを切ったところ幅約3.3m、深さ0.6mの周溝が外縁で直径約25mの規模で全体の2/3が検出されました(古墳ST01)。
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出土したという石棺は持ち去られ、発掘でも痕跡すら残されてなかったそうですが円筒埴輪や人物・器財埴輪の欠片が出土しました。

北北東より見てます。右手の生け垣の先は事業地外で未調査ですが、杭との間は発掘され北面である手前側では周溝が切れてブリッジが残っている様にも見えます。がその左側(北東面)は周溝の幅が細まっていて判断は出来ない様です。
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残りの良い部分では周溝の外縁は緩く、内縁は急に立ち上がる断面形状です。

石棺は石函宮の北西側のこの辺りに在ったとされ、場所を示すのかそこだけ2本の杭(柵棒)が打たれてます。
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石祠は低い基壇上の高まりの上で、もしかして地中に石棺(材)が埋められてるのかと思いましたが石棺材は残さなかったそうです。

ところが次の第6次調査の際に石函宮南側のこのエリアを確認で発掘する事になり、周溝が石函宮の後ろに向かって回り込むのではなく西側に開いてる事が判明しました。
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更に形象埴輪片が多く出て千葉県内では山田・宝馬35号墳や芝山の殿塚古墳でしか見つかってない靫形埴輪も見つかりました。

南より見てます。これにより円墳ではなく西向きの帆立貝形前方後円墳の可能性が高まり、だとすると石祠から左が前方部で、右側が後円部となり、主体部がくびれ部北面に有るという古墳になります。
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墳丘が削平されたのは安政年間と伝わり、天保2年に建てられた画面中央奥の長屋門など一部の建物は墳丘と同時期に存在してたんですよね・・・。

出土した人物・馬・靫形等の形象埴輪は6世紀後半の様相を呈しているのですが、円筒埴輪は復元できる個体は無いものの下総型埴輪初期型の特徴を残している事から、墳丘自体は6世紀後半の築造で円筒埴輪は完成品(ちょっと古い在庫品?)を運ばれたと見るのが最も自然なのでしょうか・・・。

なお吉田家にはここからのものと確定されてませんが直刀・鍔・刀子・耳環が保存されてます。お庭を見学した印象では、もし石棺と一緒に出土したなら石棺の一部でも庭に移しそうな気もしますが・・・。

渋川市白郷井村第8号墳

中ノ峯古墳から国道17号線へ移動中未チェックでしたが通りがかりで偶然見つけた古墳です。後で群馬県古墳総覧で調べたら未調査の無名古墳として記載されてました。

東側の広めの道路より見てます。こちらを通っただけでは道祖神や木に墳丘が隠れてて気づかなかったかもしれません。
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南西より見てます。グーグルマップだとビニールで覆われてるのか南北の畑が真っ白に写ってて間の小墳丘は全然見えてませんでしたが、移動中この向きでカーブミラーと重なって見つけての訪問でした。
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グーグルマップのストリートビューの様にビニールハウスが建ってたら全く見えなかったと思います。(畑が窪地の様に低くなってるので実際よりも高く見えます)

反対側北東より見てます。3方向を建物・道路・畑で削られ、現状東西方向約9m、南北方向約7m、高さ約1.8mの規模です。
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墳頂奥のガードレール付近より見えました。

墳頂には石祠を石仏と石碑が挟んでいて綜覧作成時にはこの状況だった様です。
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元は径20m級の規模だったらしいですが、大塚古墳のほぼ真北約1kmで直近に古墳は見つかっておらず現状把握されてる旧白郷井村の古墳分布位置からも1基だけ中途半端な場所なので、もしかしたら古墳ではないのかも・・・?

追記;樽野本古墳群として書いた旧横野村29号墳ですが、市のHPですぐ近くの畑を別な群名で紹介してるので追記しました。

阿見町八幡古墳群

君島古墳群羽賀戸古墳群に続く南側には主に円墳で15基から成る八幡古墳群が分布します。4号墳から15号墳は削平され農地になってますが、公式な記録上では残る3基も所在地が阿見乗馬クラブ東側の同じ農地内で消滅してる事になってるそうです。

県道68号線君島交差点の南南西およそ450mで乗馬クラブの北側に在り八幡塚とも呼ばれる1号墳です。
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南西向きの参道正面からだと隣接する建物で見切れてしまうので南より見てます

反対側に周って北より見てます。直径28m、高さ約3mの円墳です。
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墳頂には八幡神社が鎮座してます。八幡太郎と称した源義家の守り本尊を祀ったと伝わります。
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甲冑塚古墳も義家との繋がりが伝わりますが、そのすぐ南の城官寺にも義家の守り本尊の十一面観音像が安置されてますし、東北地方にかけて奥州征伐の際に義家が残したと伝わる観音様や菩薩様が各地に伝わります。

1号墳の南南西およそ150mに在る2号墳を北より見てます。周囲が耕作で削られてますが一辺約10m、高さ2.4mの方墳で、前方後方墳の可能性も有るとされてます。
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墳頂の低木が良く茂っていて2基有るという石宝殿は全然見えません。

南西の道路より見てます。町史では現存とされる直径約20m、高さ1.5mの3号墳は私有地内で後方の残土の山に取り込まれてしまって確認出来ません。
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最近この残土の山が崩れて撮影位置の道路も通行止めになっており問題になってます。恐らく現状のままでは済まされないのでしょうが、縮小のために残土を移動させる際に一緒に3号墳も削られなければ良いのですが・・・。

1号墳の参道の傍らに設置されてる説明板です。名所100選に入ってるのですし、早く公式記録の確認・修正をして頂きたいですね・・・。
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弔い塚との呼称も書かれてますが、ここが古戦場と言うよりこの地方が室町時代に小競り合いの多かった地域で、町内には城・砦ではないけれども相手の侵攻を防ぐ畝堀や土塁が築かれてます。

我孫子市南作古墳

JR常磐線我孫子駅の南東およそ600m、手賀沼を南に見下ろす台地縁でややせり出して一段低くなった場所に築かれた円墳です。完全な私有地内で基本非公開のため、ちば情報マップでは位置をあえてずらして表示させてます。現状山林になってるとの表記だったので、近くで最近公園化された嘉納治五郎別邸跡辺りに在る(った?)かと思って訪問した事も有りますが、偶々所有者の方とお話出来て現存する墳丘を見せて頂ける事になりお邪魔しました。

南東より見てます。手前側建物寄りの裾部は先代の御主人が石を積んで崩落して来ないように補強されたそうです。
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先代の御主人が亡くなられてからは墳丘上の草木は自然のままに任せてるとの事で民家と民家の隙間に在る大きい墳丘のイメージは撮影出来てません・・・。

東より見てます。現状直径約12m、高さ3m強の規模の円墳で、径に対して高さが有る様に見受けられます。
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未調査なので何とも言えませんが頂部は後で盛り足してその一部が崩れかけてる様にも見えますし、台地縁の緩斜面に山寄式で築かれた台地側裾部上に土を盛って隣家が建てられ隠れてしまった様にも見えます。

南より見てます。先代の御主人が石段を造られ、墳丘上に上れるようになってます。
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先代からは5世紀代の築造と伝えられてるそうです。特に埴輪片なども見られず、果たして水神山古墳などに続く5世紀前半頃に築かれたのでしょうか・・・?

上の画像では隠れて見えないのですが墳頂近くの南面はやや崩れています。その土が石段にかかってないので見た目ほど量的には崩れていないようで、特に主体部らしきものが見えてたりはしません。
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墳頂の様子です。ここまで石を敷かれてますが、お庭の別な場所に稲荷社がかつては在ったので結局祠か何かを祀る事は無かったそうです。すぐ近くに隣家のベランダが迫ってます。
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石段の画像の様に中には不整形の石も見られるのですが、全て元から有ったものではないそうです。

この度は貴重な遺跡を見せて頂き有難うございました。

阿見町味増野古墳 羽賀戸古墳群

谷津を挟んで君島古墳群の西およそ700mの台地縁で、円墳ばかりの古墳群に囲まれた地に小型の前方後円墳が築かれてます。

いばらきデジタルまっぷでは南にズレた場所にポイントされてますがそこには何も無く、北を見ると共同墓地の向かいに耕作を避けてるマウンドが見えてます。
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北西側の左奥は清明川へと続く用水路に向かって下る地形ですが、治水される前には川の流れが斜面下まで来てたかもしれません。

北西より真横から見てます。現状南西向きで全長約23mの規模で、笹藪が伸びてますが左が後円部で右が小さい前方部で、裾ギリギリのラインで周囲の畑は20cm以上掘り下げられてます。
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ところが墳丘は高さ1m程を残して中心が削られ、個人の墓地となってます。ここまで壊せば主体部は出てると思うのですが、所有者の方に出くわしてお話でも聞けないと詳細は分からない様です。
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恐らく農道でも多少削られてるのだと思いますが、航空写真で向かい側(撮影位置背後)に見える前方部の残丘みたいなものは、見えてる墳端と同様に墓地入口を舗装してあるだけです。

ただ破壊が激しいからか残った裾部に土器片が沢山見られます。一部に刷毛目も見られますがどれも細かく砕かれていて「これぞ埴輪」と呼べそうな形状の判る破片は見つけてません。
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県道68号線を挟んで南東にちょうど700m程、雑木林を抜ける生活道路脇に在る規模の大きめの円墳です。大形古墳とも呼ばれる直径約30m、高さ3.2mの羽賀戸1号墳と思われるのですが、周辺も含め確認調査された際に旧字名で所在が記入されていて、その字を記録した地図が残っていないらしく現在町役場でも現在地で照合するのが困難だそうで確認は出来ませんでした。
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ただ正面中央の墳頂から左手の南西側はずいぶんと緩やかに長く傾斜していて、改変してなければ円墳ではない可能性も有る様に見えます。

こちらの古墳群も今昔マップさんで見ると消えた墳丘が数基良く見えてます。特に変電所西側の1基は撮影の時期・条件の異なる複数の写真に写っていて、地中の周溝が良く残っている事がうかがい知れます。(上の墳丘はここと西南西の民家の間です)

柏市きつね山古墳群

以前単独墳として取り上げたきつね山古墳ですが、古墳公園化されてるという情報を閲覧者A様より教えて頂き、訪問した時点で近くで石室も見つかって古墳群だった事が判明していた(報告書もまだ未発表で、多分現地の解説板以外で公表はされて無いと思います)との事で早速確認しに行って来ました。

魅力再発見!「かしわ」公園紹介ページで取り上げられてます。

公園化された入口の看板です。正式に決まった名称だと思うのですが、文字だけ何故か仮表示っぽく貼られてました。
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公園南側入口付近を西より見てます。左手前の舗装された周辺が新発見の2号墳で、その右奥がきつね山古墳と呼ばれているた1号墳です。
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公園名看板の背後に設置されてる解説板です。現時点で公開されてる全ての情報が詰まってます。
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配置図部分を拡大して見てます。パッと見1号墳と逆向きで造出しが有りそうに見えますが、報告書に掲載されるかもしれない実測図で拝見させて頂くと石室東側は後世の撹乱のためもう少し手前で周溝が破壊されてます。
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同様に北東面も1号墳のくびれ部にかけて溝が掘られて撹乱されてますのでブリッジ等ではありません。

一見公園入口で自転車等で乗り入れた人へ、車止め柵への注意喚起に見えるオレンジのエリアは、見つかった2号墳の石室が在った場所を表示してます。
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中からは人骨のほか銀象嵌装大刀、鉄鏃、勾玉、ガラス小玉が出土してます。今のところ遺物の公開予定は無いそうですが、郷土資料展示室の常設展示に加えて欲しいですね・・・。

解説板に掲載されてる西から見た両袖型横穴式石室です。軟質砂岩のブロックを積み上げた石室で開口部は南南西を向いていて、羽子板状の形をしています。勿論高さは不明で詳細な寸法も報告書を待たねばなりません。
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実測図には石室が描かれてませんのでこの図と照らし合わせて測ると全長約3.5m、一段低い玄室はL約2.4m×W最大1.3m(奥壁付近)程の広さでしょうか・・・。

墳丘址の北側には円墳をイメージし易い様に築山が築かれており、南面にだけ階段が設けられてます。コロナ禍で遊具の無い公園でも子供が来てるのか北面だけ芝生が剥がれて駆けたり滑ったりした跡が残ってます。
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公園北側もトレンチが入っていますが古墳は見つかっておらず、1号墳も藪のままな状況ではこういった模擬の築山も良いのではないかと思います。

その頂上より2号墳址を見てます。あくまで実測図から私が勝手に測った限りですが、直径約17.6mの円墳で、周囲には最大幅約2.8mの周溝が全周していたものと思われます。
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右手の生け垣の外と柵の奥の道路下に未確認の墳丘と周溝の一部が続きます。造成中に訪問された怠け者の散歩道さんの画像を拝見すると埋め戻し状態から再度掘り下げられて舗装部分より数十cm低い街灯の基礎が見えてるので、調査部分の周溝も失われたものと思われます。

台地南端のラインに沿って2号墳と平行に並ぶ1号墳(きつね山古墳)を北より見てます。円墳か前方後円墳か不明でしたが鳥居の北側に前方部の、墳丘西側の柵の右側に後円部の周溝が発見され帆立貝形前方後円墳と判明しました。
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主役的立場なのにキッチリ事業予定地とは区別され、未発掘なのは兎も角草刈りぐらいはされても罰は当たらないと思うのですが・・・。

解説板より調査中の模様です。2号墳から来る撹乱の溝も見えます。こちらも周溝南側は撹乱されていて途中で途切れて検出されてます。
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この写真では見えませんが鳥居のすぐ下にも周溝らしき溝の一部が見つかっており、円墳に前方部を後で付け足した可能性も有ります。

新設された休憩所より見てます。これまた実測図から推定ラインも含めて測ると全長約24mの北北東向きの帆立貝形前方後円墳で、北~西面には幅約1.6mの周溝を持ちます。
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前回の記事の画像です。撮影時期的に草刈りされてたのではなく、調査後埋め戻して公園造成工事前の放置状態だったみたいです。笹が刈られて少し見えてる裾部と、発掘中の周溝の位置は合致してる様に見えます。
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調査前の地表の高さで埋め戻されてたらしく公園入口の道路とは歩道の有る路肩位の段差で高くなってましたが、とても石室下部がすぐ後ろに埋まっていた様には見えませんでした。

鳥居の下(くびれ部)より後円部を見てます。相変わらず遺物などは全然見えませんが、2号墳が6世紀代の築造と推定できる事から、こちらもそんなに離れない時期に(先行して?)築かれたものと推測できます。
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後円部で180度振り返って前方部方向を見てます。参道の階段の踊り場付近が造出しと見られてたのかとも思いましたが、実際は鳥居の辺りがくびれ部でした。
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こちらは事業予定地外として全く手を付けられてないので稲荷社を含め変わりは有りません。
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ですが初めて夏場に来た時は鳥居の辺りですら深い藪でとても近付けない雰囲気でしたので、お参り・見学はとてもし易くなりました。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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