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太田市天神山古墳群(その1)

天神山古墳は古墳好きな人にはお馴染みの東日本では最大規模の前方後円墳で、他の同名古墳と区別するために太田天神山古墳と呼ばれる事が多いです。男体山古墳の別称も有し、かつては九合村69号古墳とも呼ばれてました。東武伊勢崎線太田駅の東南東およそ1kmで女体山古墳や小円墳とで群を形成してますが、何故か古墳群で呼ばれる事は殆ど有りません。

国道122号線石原南交差点から南西に入り、およそ900mの内ヶ島交差点から県道2号線を西に進むと間もなく左手に墳丘が見えて来ます。
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センターラインが妙な曲がり方をしてますが、今日の画像は対象が大き過ぎて合成して繋げた画像ばかりです・・・。

県道沿いより後円部先端を見上げてます。市街地中心部も近く車の交通量も多くて、墳丘のデカさ+車のいない場所で繋いでいるので電線が凄い事になってます。
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後円部北面に県道を向いて史跡碑が建てられてます。昭和16年に国の史跡に指定されてます。
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同様に県道より西側内堀を見てます。最大幅が40m以上有り、墳裾は草刈りされ周溝との間が細く切られてるので離れていても墳形が把握しやすいです。
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画像右手の中堤帯上のアパート新築時に発掘調査が行われ円筒埴輪片が多数出土してます。

そこから左を向くと県道で分断された北側の内堀が長さ約150m、幅約30mの半円状の窪地として残されてます。
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左手の道路はまんま中堤帯で、中央奥の木立は女体山古墳です。

内堀越しに墳丘を見てます。ここは樹木の伐採等は行われてないので日中に訪れると墳丘上で撮る写真は暗いかコントラストがキツイかなので夕方の訪問にしましたが、お陰で後円部の形状が透けて見て取れます。
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内ヶ島交差点に戻って南進し、東武小泉線の跨線橋から側道に入って、線路にぶつかったら右折すると見学者用の無料駐車場が整備されてます。大型バス用も2枠有ります。ただここから直接墳丘にアクセスは出来ません。北東側の住宅街を抜けてくびれ部南東に向かうのがルートになります。(案合図)
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画像右手の周溝より高くなってる空き地が発掘され、外堀が南に向かって徐々に細くなってる事が判明してます。また画像左奥の信号無し十字路の南西側にB号陪塚が推定され、女体山古墳の解説板に掲載されてますがその他の図では見られません。

ぐるっと回ってくびれ部南東側見学者用トイレ付近より真横から見てます。5世紀中頃に築かれたと推定される3段築成で墳長210m、高さ16.8mの南西を向いた前方後円墳で、畦道の右側が後円部で左側が前方部です。この外側に盾形の内堀・中堤帯と、前方部隅で幅が狭まる変則的形状の外堀を有します。
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二重の周溝も含めた全長は364mに達し、最大幅も288mになります。東日本では最大規模で、畿内以外でもベスト3に入りますが、畿内にはここよりも大きい墳丘が23基も在ります。

内堀を渡ると墳形上部も3段の様子も見えて来ます。以前はこの辺に江戸時代に掘りだされた組合式長持形石棺の一部が転げ落ちたままになってましたが現在は埋め戻されてます。市の「天神山古墳・女体山古墳リーフレット(PDF)」には突起の見える写真が掲載されてます。
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その左手、くびれ部に設置されてる解説板です。墳丘と内堀は良く残されてますが、中堤帯外縁と外堀の痕跡は殆ど残っていません。
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B号陪塚は描かれていません。

続きます。
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志賀直哉邸跡 書斎

JR常磐線我孫子駅の南東およそ1km、手賀沼を南に臨む台地縁の周りは鉄道開通後高級別荘地になり、近衛文麿元首相や柔道家嘉納治五郎をはじめ白樺派の文人達が移り住みました。志賀直哉もその一人で大正4年から約8年間の最も筆が進んだ時期をこの地で過ごしました。

市役所から台地下を西へ900m程進むと右手に邸宅跡が緑地公園として残されてます。
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敷地の北側には志賀直筆の間取り図を基に推定復元された母屋の平面が再現されてます。
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この様に間取りも壁部分を別な色にして、各部屋割も表示されてます。ただ右側(北側)の崖裾部は今でも湧水する場所で現在は池になってます。
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電気の来てない当時は母屋の北側で横井戸を掘って天然の冷蔵庫にしていたそうです。

推定玄関のベンチの角には邸宅についての説明板が設置されてます。主に建物はこの母屋と東側の書斎、そして台地の上に建てた「離れ」から成ります。
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今も残る斜面の階段を上がって明田古墳の存否を確認出来るかもと思いましたが、離れ跡地に建った民家の庭先に出てしまうので断念しました。

推定縁側の中心には本の形をした説明板で、ここでの執筆について書かれてます。
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住まいの説明板で縁側付近を撮った写真で赤ん坊の次女留女子(るめこ)のちょうど真後ろの客間南西角のベンチには近隣に住み着いた文人達とのエピソードなどが紹介されてます。
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多くの別荘が台地上なのに、崖下のこの場所を選んだ理由に義理の従兄でもある武者小路実篤との交流も挙げられてますが、互いの行き来に舟を漕いでたとは知りませんでした。

母屋の東隣には別棟で書斎が建てられました。床面積約44坪で杉皮葺き切妻造りの木造平屋です。中は六畳間に床の間やトイレが有って、東側に押し入れが張り出してます。
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押し入れ側より見てます。現在は屋根は銅の平板で葺かれ、漆喰塗りの壁は下見板張りに改変されてます。
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志賀の転出後は市内に移築されてましたが昭和の終盤に再移築されて一部改変の上修理されました。旧位置に戻ったとされますが、古写真を見ると現在の様に母屋に対して斜めではなく、並行で南向きに建てられていた様です。

先ほどの間取り表示の右奥に書斎の位置も表示されてます。これは母屋内の別な書斎で、奈良県に現存する旧居にも1階と2階それぞれに書斎が有ります。一説によれば書斎に入る陽を気にして使い分けたとか・・・。
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奇しくもここで完結出来なかった「暗夜行路」の続きを、奈良の方の書斎で15年後に執筆し完結させ、その両方の書斎が現存してる事になります。

書斎の解説板です。志賀本人が設計し、市内で「鷹大工」と呼ばれ名高い佐藤鷹蔵によって建てられた事から市の文化財に指定され、週末のみ公開されてます。
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庭跡の道路側には志賀と雑誌「白樺」で、或いはこの別荘地で関わった人達を相関図共に紹介されてます。
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現在は手賀沼との間に住宅地が出来、湖岸までは400m程の距離に開いてます。

小美玉市下平前(しもだいらまえ)古墳群

井関・風返古墳群から霞ケ浦を挟んで北東におよそ2kmの対岸、玉里半島の先端で山田峯古墳群の在る台地下の微高地に分布する古墳群です。円墳5基から成るとされますが、1基(2基?)は前方後円墳の可能性も有ります。墳丘自体の発掘調査はされてませんが多くの遺物が伝わったり採集されるなどしており、古墳時代中期以降の築造と推定されてます。

石岡方面から県道144号線で来て急カーブで湖岸から離れる交差点を同194号線に向かって右折し2.5km程進んだY字路を左に入るとすぐの天神塚古墳とも呼ばれる1号墳を西より見てます。群中西端で最大規模の円墳です。
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直径42m、高さ4.5mの規模ですが、南東面の一部が斜めに削られてます。

南西より見てます。参道の右側は所有者が違うのか生け垣で区切られてます。ここだけ唯一遺物等は伝わりません。
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墳頂には石祠が祀られてます。この祠の後方で北北東におよそ100mの台地斜面には5号墳がかつて存在し、刀や鎧が出土したと伝わりますが詳細は不明です。
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5号墳址地付近の試掘調査では土師器や石製模造品が出土しており、霞ケ浦に面する祭祀の場でもあった可能性が考えられてます。

墳丘前から道なりに東へ100mちょっと進むと右手に稲荷塚古墳とも呼ばれる2号墳が見えて来ます。
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直径21m、高さ3mの円墳ですが、現状は西側を削って民家が建つなどしており、南北約15mの半円に近い形状で2m程の高さが残されてます。

名の通り稲荷社の基壇になっており、西向きで参道が設けられてます。
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円筒埴輪片が採集されてる他、鋲留短甲がここから出土したと伝わります。

葺き替えたばかりなのか赤い屋根が綺麗な稲荷社が鎮座してる墳丘上の様子です。
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さらに道を東に60m程進むと左手に無名塚古墳と呼ばれる3号墳が見えて来ます。
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直径30m、高さ4mの円墳とされ円筒埴輪片が採集されてます。

南西より見てます。墳頂は盗掘跡なのかやや窪んでいて何も祀られてませんが、画像右手(南西側)に高まりが続いており、造り出しの可能性も有ると思いました。ただ昔は高まり東側の畑には建物が在ったので直径がもう一回り大きい円墳が削られてる可能性も有ります。
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この道を真っ直ぐ北に進んで坂を上がると山田峰古墳の前方部の横に出ます。

1号墳のすぐ南側に在る塚状地形を北西より見てます。ここに在った直径40m、高さ4mの円形で、前方後円墳の可能性も有する4号墳の残丘か!?と思いましたがすぐ近くにお住まいの方によると左端に見えてる小屋から手前が古墳址だそうです・・・。
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マウンドは南北にやや長く、地形を見ると古墳群の分布する微高地と県道194号線沿いの低い場所の境目で、ちょうどマウンドの横でくびれて奥の民家へ段差が続いているので、かつては南西から見ると前方後円墳に見えたのではないでしょうか・・・?

その手前を見てます。中央の倉庫を中心とする大きな塚が昔在って、手前(西側)に張り出す空き地まで雑木林だったそうで、建物が出来ても樹々で囲まれてたそうです。箱式石棺が見つかって刀や甲冑が出たと伝わります。
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なので土を盛り換えてなければ手前の段差部は西側裾部の基礎の残丘とも言えそうですが両隣のお宅とも訪問時はご不在だったので詳細は不明です。湮滅とする資料が見当たらないところからすると削平時に届け出が無く、市に合併後も確認されてないのでしょうか・・・。

阿見町北原古墳群

北原古墳群はあみプレミアムアウトレットや圏央道阿見東インターチェンジの北北東およそ1.7km、県道25号線沿いに分布する古墳群です。東西にやや離れて2基づつ、合計4基の墳丘から成るとされますが、東側の方墳1基のみが現存します。

唯一現存する1号墳を南西より見てます。県道と運送会社の事務所の間で北面を斜めにやや削られた状況で保存されてます。
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一辺13.5m、高さ2.5mの方墳です。

南より見てます。分布域からももう1基は運送会社の敷地内のハズなのですが、農地だった頃の航空写真でも何も写ってません。ですが・・・
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グーグルマップのストリートビューで見たら画像奥の木立、運送会社の敷地の奥にもう1基残丘が在る様に見えましたが、一歩脇道に入ったちょっと古い画像では何も写っておらず、やはり消滅してる様です。

東より見てます。墳丘上には東向きで石祠が祀られてます。
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ここの西方およそ170mの交差点北東側には堂山遺跡に隣接してかつて2基存在し、町内の確認調査時には3号墳の残丘らしき高まりが残っていて円墳と推定されてますが、現在は見ても全然分かりません。

日立市水木古墳群

甕の原古墳群から大みか北通りを挟んだ北側の市道沿いに分布する前方後円墳1基と円墳8基から成る古墳群です。両古墳群とも近距離で、縄文と古墳~奈良時代の泉原遺跡内での台地北縁・南縁に分布しますが、こちらは多くが宅地化の波に飲み込まれており、解説板も設置されてません。

甕の原3、4号墳から国道245号線に出て北上し400m弱、二つ目の信号がその市道で、左折すると左手に1号墳が見えます。

1号墳を北より見てます。全長推定50m以上高さ5m以上で南西向きの前方後円墳ですが、横穴式石室が有ったと伝わる後円部は国道拡幅の際に削平されてます。空き地の左奥の角がくびれ部で、そこから右手の前方部側のみ30m程が残ります。円筒埴輪や人物埴輪が出土してます。
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グーグルマップのストリートビューだと7年前の前方部が見えてた時期に撮影された画像のままです。

1号墳から先の国道245号線の交差点を挟んで北東に50m程離れた2号墳を南西より見てます。
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住宅販売会社と日輪寺分院の墓地との間に残されてますが詳細は不明です。

東より見てます。直径約10m、高さ約2mの円墳です。小円墳ですが、群中では残りの良い唯一の墳丘かもしれません。
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2号墳の東およそ60mの道端で半壊の10号墳を北西より見てます。北側を市道で、南側を個人の駐車スペースで削られ、裾部がゴミ収集所になってるお陰で辛うじて残ってる小円墳です。
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市道側断面が幅約5m、高さ約1mの台形で固められて高まりである事を示してますが、古くからお住まいの方以外は古墳だと聞いた事も無いそうです・・・。

東より見てます。手前が掘り下げられ左手すぐ隣の6号墳との間を土塁状に繋いだ様になっていて墳端がハッキリしませんが、多分画像中央から右が墳丘です。
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その6号墳を北西より見てます。墳丘上の藪を鉄パイプと金網や板で抑え込んだ状態で通路を保ってる状況で、金網越しにマウンドの裾部が在るのは判るのですが、高さがどこまで有るかすら見えません。
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ゴミ捨てに横を抜けてる住民の方によると年中このまんまだそうです。捨て終わった方が墳丘の陰に消えてくのであとから墳丘南側に続いて下の画像を撮ったのですが、誰もいなくて道も途切れてて・・・?

南より見てます。南北は10m弱くらいは残ってそうですが、東西は10号墳と同じで残っても5m程しか無さそうです。
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市で買い上げるまでは行かずとも、伐採工事くらいはやって測量ぐらいは出来ないものでしょうか・・・?

2基から東へ100mちょっと進んだ3号墳所在地付近を北より見上げてます。目線よりもずっと高い私有地内なのでその様子は全然見えません。
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藪化してる様に見えますが、建物の一部が迫っており、日光も透けて見えるので墳丘はほぼ削平されてそうです。

すぐ東に並ぶ4号墳を北東より見上げてます。こちらも同様で全然見えませんが、擁壁が台形に高くなってる断面から上が墳丘のハズです。
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4号墳の東北東およそ80mに在る7号墳を南より見てます。直径約10m、高さ約2.5mの円墳で北側の市道工事の際に調査が入ってますが主体部や周溝は見つかりませんでした。
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北側に並んでいて一緒の調査の後に削平された5号墳も同様で、旧9号墳は古墳でない事が判明してますがこの2基は瀬戸物に混じって円筒・形象埴輪片が見つかったので一応古墳とされてます。

しかしここも市道によって北側約半分以上が削られ、断面が擁壁で保護されてます。
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画像左手、カーブする市道の反対側の津神社が5号墳址付近で、撮影位置から南へ入り海岸沿いを進むとすぐ田楽鼻古墳の横に出ます。

7号墳の南東近くに在る8号墳と思われる藪を西より見てます。詳細は不明です。
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すぐ背後は崖で、その下は水木海水浴場ですが、見上げても何も見えません・・・。

追記;オッコシ古墳群の記事で南側の消滅してる2基について加筆しました。

山武市蕪木古墳群(後編)

朝日(旭)ノ岡古墳以外の蕪木古墳群の墳丘については情報が資料になって異なり、墳丘番号についても統一されてません。巾着形容器で有名な5号墳も、県の所在古墳詳細分布調査報告書ではそれを踏まえた上で2号墳として扱ってますし、ちば情報マップでは南隣の松尾台古墳群と統合した上で基数を12基に減らしてます。ここでは分布図付きで統合後19基とする資料に基づき比較的見学し易い墳丘を巡ってます。

八幡神社の境内南東隅に在る2号墳を西より見てます。直径約20m、高さ約3mの円墳です。
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神社の参道から真っ直ぐ南に行った先の6号墳、そのすぐ西の19号墳は藪で未確認。

朝日ノ岡古墳の東およそ150mに在る5号墳を北より見てます。草刈りを期待して何度も訪れてますが、いつも夏場なため肉眼で墳形が見えるだけで墳丘右側の林道も埋もれてます。全長47m、高さ4mで南西向きの前方後円墳で、左手前が後円部で、右奥に前方部が続いています。神社との間に在った3,4号墳は消滅したと思われます。
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南東側くびれ部のL約6m×W1.68m×H1.75mの広さの横穴式石室から多数の直刀と金銅製の鞘に入った刀子、馬具、耳環、玉類などの豊富な副葬品と共に大変珍しい金銅製巾着形容器が出土しました。国立歴史民俗博物館のHP、「歴博」167号のページでも紹介されてます。これらから6世紀後半の築造と推定されてます。

1号墳の東南東およそ350mで県道沿いに在る8号墳を南東より見てます。現状直径約15m、高さ約3mの円墳の南東面に小さい造出が付いてる様に見えます。公式には直径16mとされてます。
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ここの西側の交差点南西の民家裏には9、11号墳のマウンドが残るとされてます。

民家を1軒挟んで東側の7号墳を南西より見てます。全長約26m、高さ約3mで西向きの前方後円墳です。
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南東より見てます。車路の為に北東部が大きく削られて上から見ると刃物の様な墳形になってます。
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7号墳の東に50m程離れた10号墳を南西より見てます。4基目の前方後円墳で、西向きで全長27mとされますが、現状長さ10m強の前方部だけが残ってます。
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ここも常時管理されてるみたいですが、如何せん墳丘に上がると隣の民家が丸見えになってしまうので県道より見るだけに留めました。東に並ぶとされる円墳の12号墳も藪で全く見えませんでした。

このすぐ南西の教習所とその南側の松尾城址の台地縁には現在までに6基の円墳が確認され松尾台古墳群として括られてましたが、廃藩置県直前に築かれた松尾城の台地縁の土塁とどう関係してるのかは見てません・・・。

山武市蕪木古墳群(前編)

蕪木古墳群はJR総武本線松尾駅の北西およそ1kmの台地上に分布する古墳群で、前方後円墳4基、円墳15基から成ります。

八幡神社参道より神社越しに1号墳である朝日ノ岡古墳を南より見てます。墳長70m、高さ7mで西向きの前方後円墳で、社殿がくびれ部南面を削って建てられており、その右手後方が後円部で左手後方が前方部です。
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古墳探訪記さんや怠け者の散歩道さんの記事を拝見すると今は右手の木のベンチの奥に解説板が設置され、地籍に合わせて「旭ノ岡古墳」表記になってます。

社殿の東側より後円部を見てます。二段築盛で築かれ、社殿周り以外は良くその形状を残してます。
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北東側の近くを県道22号線が通り墳丘も見えますが、夏場の訪問だと所々樹木に隠れて全体を見渡せる場所は無い様です・・・。

後円部東側下段テラス面に発掘調査を記念した石碑が立てられてます。
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テラス面と裾部に埴輪列が検出されましたが、後円部からは円筒埴輪のみが出土しました。

後円部より前方部を見てます。どちらも同じ高さでくびれ部が若干下がってます。
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前方部は真っ直ぐ広がらず端部だけが玄翁(玄能)の様な形で急に広がる珍しい形状で、削られてる南面と無傷の北面の形状が似てるのですが、見渡せません・・・。

前方部で180度振り返って後円部を見てます。左奥の明るい場所は県道です。
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高さの有る前方部を北西隅より見てます。その特殊な形状からかしっかり「角」が残っているのが見て取れます。
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前方部では円筒埴輪や人物埴輪と共に中段列では馬形、裾部では鶏形・水鳥形の形象埴輪が出土してます。

南に周って社殿で削られてるくびれ部を見てます。
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反対側北面で、凝灰質泥岩(もしくは軟質砂岩?)を積んだL4.1m×W4.3m×H1.5mの幅広で中央に棺床を持つ横穴式石室から管玉や土師器片、須恵器片が出土してますが、埋め戻された後に報告書が作成されておらず詳細は伝わってません・・・。

二重の盾形周溝を持ち、幅7m以上の内堀が墳丘西~北面に残り、幅約5mの周堤の一部も残ってます。
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前方部墳頂より西側墳丘端を見下ろしてますが、墳丘、裾部テラス面、周溝、周堤と続くのが良く見えます。

群として(実質的に当墳丘が)房総の魅力500選に選ばれてます。6世紀後半の築造と推定され、市の指定史跡になってます。
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続きます。

我孫子市花輪前古墳

花輪前古墳はJR成田線布佐駅の北西およそ700m、布佐平和台の新興住宅地の南側の台地縁に在る未調査の円墳です。

南東側、台地下より見上げてます。現状直径約7m、高さ約1.5mの規模です。
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すぐ左手(西側)に隣接して大砂遺跡が在りますが、縄文時代と奈良~平安時代の遺跡で、古墳時代の遺構・遺物は見つかっていません。

北西より見てます。台地側は駐車場になっていて藪の向こうに南西に張り出してる墳丘が見えますが、間の低くなってると思われる足元が全然見えませんので踏み込んでません。
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下草だけなら良いのですが、ビニール袋が見えて明らかにゴミが捨てられてます・・・。

墳丘の北東側が駐車場に接していて少々削られてます。特に版築された様にも見えず、遺物らしきモノも見当たりませんでした。
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ちば情報マップでは現況を山林と書かれてるものの実際は墳丘の位置する台地縁に沿って木が生えてるだけで、駐車場の横には民家も建ち並んでいるのにカブトムシがいました。

ここから北の国道356号線に出てすぐ東の道祖神前古墳は湮滅していない赤色でちば情報マップに記載されてますが、もの凄い門構えのお屋敷になってる様で、残っているかは疑問です・・・。

いわき市千束古墳群

塚前古墳の南東およそ4.5km、太平洋を南東に、神白川を南西に見下ろす低丘陵上に分布する古墳群です。

南西より北側の1基を見てます。左手の坂を上がって来て90度左折して福島県水産試験場無線局に入る門構えの様に円墳が並んでいます。
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かつては東側にも他の墳丘が在ったそうですが、現在残るのは2基のみです。

南東、無線局の建物側より見てます。規模は2基とも直径約20m、高さ約3mですが、墳丘を周り込んで駐車場に入る様に車路が設けられた為こちらの南面裾部が若干削られてるのが見て取れます。
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北東より見てます。記録上では高さ約4mとありますが、この向きで見るとどうやら無線塔を建てるのに、高さを揃える為に山頂側に合わせて土を盛ったみたいで、右下アスファルトの脇までの山寄式の墳丘である様に見えます。
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右奥に並ぶもう1基の墳丘が見えます。

南側の墳丘を北西より見てます。こちらは墳丘の上に結界が張られてます。
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南より見てます。手前の広場はちょうど鉄塔同士の間のスペースで、無線に影響を与えない様に何も建てられたりしてないので墳丘も原形を保っている様に見えます。若干地盤が傾いて見えますが、左手の山裾側にも鉄塔が並んでいるので多少は埋められてるものと思われます。
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左奥に北側の1基が見えてます。

墳頂には石祠が祀られてます。結界の外より見てますが、よく見るともう一重張られていた様です。
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北区赤羽台古墳群3号墳移築石室

赤羽台古墳群はJR京浜東北線赤羽駅の北、星美学園周辺の荒川を北に見下ろす台地上に分布する古墳群ですが、学園敷地内最も奥の1号墳(直径約10m)を残して全て削平されてます。その1号墳も女子短大に付属の小中高と幼稚園と見学にはハードルが高い場所ですが、外からは少しも見えません。古墳なうさんが学園内を取材され、1号墳の画像を紹介されてます。

一般で見学出来る遺構としては群から南南西におよそ4km、区中央公園文化センターの東側に東北新幹線のトンネル工事の際の調査で発見された3号墳の横穴式石室が移設されてます。
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石室は覆屋で保護され、東京砲兵工廠銃包製造所のボイラーの部品や耐震煙突の銘板と一緒に展示されてます。

石室はのぞき窓と、天井の明り取りや奥壁側の小窓から入る光だけが頼りで、肉眼ではもっと暗かったです。しかも固定されたのぞき窓の内側に蜘蛛の巣が・・・。
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群中北端の台地が張り出した先端で見つかった推定直径12mの円墳と考えられる円墳に東北東向きで開口する石室でした。

蜘蛛の巣の薄い範囲で目線を上げてフラッシュを焚いてます。内寸L約4m×W約1mの広さで、大小の礫を敷いた上に貝殻を敷いたと推定され、残存状況の良かった奥壁側ではマガキの殻が良く残ってました。その為か4~6人分の人骨と歯が見つかってます。また副葬品として貝床付近で直刀や弓金具・刀子・耳環・鉄鏃・管玉・ガラス小玉などが出土してます。
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60m程南東で見つかった4号墳の石室と共に6世紀後半の築造と推定され、北東向きで凝灰質砂岩の自然石を積んだ長方形の玄室の特徴が一致します。

保存施設の左側の壁に解説パネルが並んでます。ちょっと横長になるので分割してまずは左側から。
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円墳は直径約23mの5号墳から直径約9mの15号墳まで15基が確認されてます。南東の八幡神社南側斜面からは18基の横穴墓が確認されました。

次は中央部です。4号墳では同様の副葬品が出たほか、群中で唯一円筒埴輪や人物・家形・馬形などの形象埴輪が前庭や周溝から出土してます。
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人物埴輪は埼玉古墳群の白山2号墳のモノと良く似ていて同時期に同じ場所で生産された可能性が有ります。

右側です。光沢の有る陶器のパネルなので調査中の写真が・・・。4号墳の石室はこれよりもやや幅広でしたが現物の保存は叶わず、型取りしてレプリカが造られてます。
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一方2基の南側で見つかった5~7号墳は切石積み(6号墳は石は抜かれてました)の胴張形の玄室で、刀・鉄鏃・耳環・金銅製金具・須恵器などの副葬品が出土し、7世紀前半の築造と推定されてます。それ以外の墳丘では主体部は確認されてません。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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