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印西市岩戸魚屋(なや)古墳群

岩戸石井古墳群の西南西およそ600m、岩戸集水路が新川に合流する東側の台地上に分布する古墳群の一つが魚屋古墳群ですが、今のところ所在地確認しか行われていない模様で詳細は不明です。千葉県所在古墳詳細分布調査報告書では塚の可能性の有る3~8m径の円墳とだけ記載され、ちば情報マップでは1号墳が半壊で3号墳に祠が有ると記載されてます。

宗像郵便局の北側から県道64号線を西に外れ真っ直ぐ進むと聖天古墳が残るハズですが細かく見ながら探しても墳丘と思われるマウンドが見つかりません。柵越しに隣のサバイバルゲーム場の方に聞いても場内に見える高まりが古墳とは聞いてないとの事で断念し、県道から2本目の丁字路まで戻って南へ向かうと右手に三峰神社が見えて来ます。
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その左奥にマウンドが見えます。

唯一墳頂に石祠が祀られてる事からすると群東端の3号墳とも取れますが確認出来たマウンドでは最も南西に在って、並びからするとこれが1号墳ではないかと思います。
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直径約6m、高さ約1.5mの円墳で、ここより南は藪で見開けておらず、半壊の低いマウンドが在っても見えません。

南東より見てます。祠の裏側は崩れかけてる様に見えます。墳丘の奥(北側)で神社の左側に・・・
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2号墳と思われるもっと大きい墳丘が隠れてました。墳丘のすぐ奥(北側)は民家の敷地内で、外からは見通せず別な墳丘の所在は確認出来ませんでした。
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南東より見てますが、直径約8m、高さ約2mほどの円墳です。

神社の東南東で道路の反対側に在る台地縁の3号墳ではないかと思われるマウンドを西より見てます。
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私有地内で入って行けないものの2号墳と同規模の円墳に見えますが、ちば情報マップでは3・4号墳のみに遺構の記述が有るので、神社脇の2基のみを群としてこのマウンドは含めていないのかもしれません。

神社の背後にマウンドになってませんが結界が張られ石祠が祀られており、もしかしたら北に在った4号墳が削平され祠だけ移された可能性も考えられますが、一切の情報が掴めません・・・。

群南西側の自然林に反対側には聖天古墳群が分布し前方後円墳も1基在るとされますが、道も無く入って行けませんでした。
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秋水 燃料庫跡

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅の北東およそ1.5km、市立花野井小学校西側の台地斜面にコンクリートでトンネルを埋めた様な場所が見られます。これは第二次大戦末期、ドイツのロケット戦闘機 Me163Bを参考に開発していたB29迎撃用戦闘機「秋水(Wikipedia)」のロケットエンジン用の燃料を駅北西側に在った柏飛行場(Wikipedia)から離したこの地に地下式で建設した跡です。
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ここは花野井3号燃料庫です。戦後一時期庫内に住みつく者がいたので埋められたそうです。

その北側にも草で隠れつつも1号燃料庫の開口してる場所(右)や埋められてる場所(左)が見られます。写真に撮るとただの台地斜面にしか見えませんが肉眼で見てるとそれぞれ残存状況がバラバラな遺構が幾つか見られます。飛行場周囲にも燃料庫の遺構は在り、開発で近年も破壊されてたり工事囲いで見られなかったりでしたが、全て住宅になった模様です。
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これらの中で過酸化水素や水化ヒドラジン等の液体燃料が保管されましたが、結局エンジンの開発は成功しませんでした。

そのすぐ西側に台地上に上がる階段が有り、上がって左手を見ると畑から斜めに逆さの電柱のような物体が突き出てます。
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これが1号燃料庫の通気孔で並んでいるのは幅の広いU字形の底辺の天井です。画像右端、柏ビレジを挟んだ先の台地上にきつね山古墳群が在ります。

これらはヒューム管と呼ばれる鉄筋コンクリートの筒で、現在も土管などで用いられる型枠を回転させながらそこにコンクリを流し遠心力で成型したモノです。
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鉄筋も見え、5本は15度位の角度を保ってますが、最も北寄りの1本は折れてました。

花野井燃料庫群の最南端、花野井交番の裏に在る5号燃料庫は覆土が無くほぼ全体が露出してます。
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L字に曲がった入口は閉鎖されてます。
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2020年12月7日(月)- 20日(日)9:00-21:00(最終日20日のみ17:00まで)に駅の北側、国道16号線沿いの柏の葉T-SITEに於いて「柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020」が開催されます。トークイベントも12月12日(土)15時~予定されYouTubeでLive配信のほか、先着申し込み制で街歩きイベント(受付初日で早々に定員に達したそうです)も企画されてます。

いつもはとんでもなく早く告知される加曾利貝塚の現説が今日行われましたが、秋になっても告知されないのでコロナ禍で今年は無いのかと油断してたら、いつの間にやら締め切られていて今年は参加出来ませんでした・・・。今年は場所を南に移した初年度で本腰は来年以降だそうなので期待します。

北茨城市夢窓窟横穴墓群

JR常磐線磯原駅の北およそ250mの台地南面に分布し、駅に近くてロータリーには無料駐車場も有り訪れ易い横穴墓群です。現在は東西の台地のせり出しを越えて尾形山横穴として統合して扱われてる様ですが、ザックリ通りから見える斜面は墓地などになっていて見当たりませんでした。

案内看板は無いのですが皇祖皇太神宮の一本西側の小径から入って行った一番奥に夢想庵の建ってた空き地があり、西側に横穴墓が幾つも見られます。左下から上がって行くと夢窓窟が在ります。
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空き地レベルの浅い穴は削られた横穴墓の址ではないかと思います。

ただ周辺は大戦時に防空壕も掘られた場所で、庵跡地の東側や跡地より一段下がった場所などの大きさ・形の異なる横穴は別物だそうです。
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庵跡地南西部に説明板がポツンと立ってますが、夢想庵などについて書かれてるものの主役の夢窓窟や横穴墓群については殆ど触れられてません。以前は尾形山横穴群夢窓窟と書かれていたそうですが・・・。
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その辺りも含めきっぷ2000円 酒300円さんが詳しい話を聞かれてます。

一枚目の画像の中央右に在る夢窓窟です。現在も信仰が続くのか玄門の外側も後世にいろいろ改変されてる様に見えます。
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14世紀初頭に夢窓国師と言う禅僧がここで座禅を組んだと伝わりますが、ゆかりの深い鎌倉建長寺の庭にも座禅窟が掘られ、高萩市にも「おこもり穴」と言う似た話が伝わる地が有ります。

玄室内の様子ですL5.1m×W2.8m×H約2mの広さで天井は寄棟形に掘られてます。
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一段上がった奥壁寄りに棺座が残りますが多数の仏具が所狭しと置かれてます。

夢窓窟の左側の1基です。やや開口部が広いですが、追加工された様子も無く見学し易い場所でもあります。
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内部も石塔が2基有るだけで棺座は有りませんが、夢窓窟以上に広々として壁や天井の表面も見易いです。
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夢窓窟の右側に並ぶ1基です。中を撮ろうと二度挑戦したのですが、雨上がりで玄門の前がツルツルで下まで滑り落ちて失敗しました・・・。
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そのすぐ下の石碑なのですが、「帰」と「痔」が合わさった様な真ん中の文字は何と読むのでしょう・・・?
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3基の左上にも並んでいるのは見えるのですが、さすがにそこで滑ったらただで済まないと思ったので下から見上げるだけで我慢しました。
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今後も整備される希望は無くて移動はし辛いものの、岩盤を刳り貫いた各玄室内は水も出てなく虫も殆どいなくておススメです。

小美玉市妙見山古墳

大井戸古墳から県道194号線を北に600m程進むと左手に在るのが同じ自然堤防に築かれてる妙見山古墳です。

南西より見てます。墳頂に妙見社が鎮座する直径約50m、高さ約7mの北西⇔南東方向にやや伸びてる円墳とされ大井戸古墳よりもはるかに大きいマウンドが残りますが、お参りする人が絶えて久しいのか参道の入り口も見えない藪で覆われてます。
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画像左手、墳丘北西近くに無名塚を伴うとありますが、削平されたらしく痕跡も残ってませんでした。

南東より見てます。逆光でも全く見えないのですが、手前の空き地の左奥に南へ向かう参道が有ってやや高くなっており、帆立貝形前方後円墳の可能性も考えられてます。配布されてる遺跡マップでは前方後円墳で記載されてました。
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墳頂から直刀が出たと伝わり、分布調査で円筒埴輪片が採集されてるほか、筑波大学も当墳丘出土のより大きい円筒埴輪片を所蔵していて、それらから5世紀中頃の築造と推定されてます。

前方後円墳とするなら東側くびれ部に川中子の如意輪観音(右)と慈母観音が安置されてます。しかしこの辺からも参道に入れそうにはありません・・・。
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墳丘上に雲母片岩の板石を使用した石碑が見られるそうですが、像の後ろのほか裾部にもいろいろな石材が置かれていて当墳丘由来のモノかどうかは不明です。

墳丘の前から東を望むと約1.2km離れてる三昧塚古墳が良く見えました。
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手前の土手は園部川です。

追記:墳丘からの眺めさんでオヤコフン様に引用紹介して頂いたのを拝見して牛田古墳群及び子易・中川原遺跡の記事で間違ったままコピペしている事に気付き訂正しました。
正しくは
外護列石、墳丘内石列
になります。失礼しました。

阿見町丸山古墳群/土浦市法泉寺古墳群

土浦市の南東端、霞ケ浦を東に見下ろす県立土浦第三高校周辺の台地上には多くの古墳が築かれました。県の遺跡分布図等だと土浦市内の法泉寺古墳群と阿見町側の丸山古墳群、高校敷地内の五蔵遺跡に分けて記載されてますが実質的には一つの古墳群として見るべきでしょう。

高校の南側敷地外、阿見町内に分布する丸山古墳群1号墳を東より見てます。直径約27m、高さ約4mの円墳です。現在は土浦市側の墳丘と統合して法泉寺3号墳とも呼ばれてます。道路と側溝が丸く避けてます。
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阿見町側に前方後円墳が1基在ると伝わり、手前の藪の奥にやや高まりも見られるからか遺跡分布図ではここに前方後円墳の記号が置かれてるものも有ります。ここの東側近く、高校の駐車場付近の大戦時に旧海軍が防空壕を造るのに削平された丸山3・4号墳址から周溝が3基分見つかり、その内の1基は発掘状況から北向きの中型前方後円墳の可能性が高くなってます。

北より見てます。夏場の訪問で藪が激しいですが、こちら側は道路からも高さの有る墳丘が見えます。旧海軍によっての削平は免れたものの改変を受けてるとされてます。
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町史が出た頃には同規模でもう1基並んでいたとされ、多分ここの南南西側の藪の奥と思われますが、いばらきデジタルまっぷでは丸山古墳群としては円墳4基中1基現存とされてます。

丸山古墳の西北西約70mに在る法泉寺2号墳を東より見てます。直径約20m、高さ約2mの円墳で、丸く墳丘を避けて耕作されてます。
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こちら側の群は元より法泉寺古墳群と呼ばれてました。

南西より見てます。墳丘西面を削って法泉寺の参道になっており、山門までの土塁状に見えますが墳丘部分だけが高くなってます。
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阿見町側の2基を足して4基で古墳群を成すとされ、群北端とされてます。

墳頂には西側参道を向いて稲荷社が鎮座してます。
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かつては分布域に重なる様に2基の間から南の愛宕神社へ向かう道が有ったのですが現在は完全に埋もれて通行出来ません。現地では市境も良く判らないのですが、その道沿いにポイントする分布図も有ります。
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分布域も墳丘位置の記載も資料によってあやふやなのですが、70年代の航空写真でポツンと木立になってる2号墳の南側斜面上のこのマウンドはさすがに自然地形でしょうか・・・?手前の農作業の土盛りとは明らかに様相が異なるんですが・・・。

農道を抜けて湮滅した道に出て、愛宕神社を東より見てます。分布図によってはここに円墳が記載されてます。
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ですが参道を上ってみると・・・

いつものやっつけ画ですが、古墳目線で見ると円墳ではなく全長60m級の東南東向きの前方後円墳っぽい地形に見えます。
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南北へは現在通り抜けは出来ません。右下の×が三高方向へ続いてた道です。

参道の階段最上段より円形の愛宕神社周りを見てます。鳥居の南側の高まりとはここで合流し、東側は更に一段高い地形です。
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段差を上がって180度振り返って東南東を見下ろしてます。前方部状の地形に斜めに参道が上がって来る様に見えます。
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墳頂(?)の愛宕神社です。直径15m程の丸い平坦面になってますが、どの分布図よりも西側にはみ出る場所で詳細不明です。
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小美玉市舟塚古墳群(後編)

2号墳である雷電山古墳は舟塚古墳の市道を挟んだ北西側はす向かいに在ります。

南西より見てます。照光寺境内に在って墳長に雷電宮が鎮座し南南西向きに参道の階段が設けられてます。
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参道の脇に解説板が設置されてるのですが、経塚としての遺物の説明のみです。
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この鎌倉時代の遺物のみ文化財指定されており、いばらきデジタルまっぷ等では古墳ではなく雷電山経塚と記載されてます。これはマウンド全体を指してるのではなく墳頂を掘ってこれらを埋めてた場所の事なのですが、墳丘自体は個人(寺)所有なので古墳として併記されてないみたいです。

後円部東側より横から見てます。全長55.8m、高さ約9mの北北東向きの帆立貝形前方後円墳です。この規模も資料によってサイズが変わってます。
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未調査ですが円筒埴輪片が採集されていて、1号墳に続き6世紀中頃に築造されたと推定されてます。

前方部の先端は市道で斜めに削られてます。
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前方部より後円部を見上げてます。左手から墳頂へ回り込む裏参道状に上がり口が出来ていて、その上の墳丘がやや崩れてしまってます。
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墳長に鎮座する雷電宮です。
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1号墳の南東、2号墳との反対側の畑中に在る3号墳を南東より見てます。墳丘北東面が直線状に削られてます。
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狩り入れ時と思うのですがどなたもいらっしゃらず墳丘の横を通れないので、墳丘の上を通させて頂き北西より見てます。1号墳主軸線と同じ向きで階段が設けられてます。
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こちら向きだと元の墳形を保って見えます。直径10mの円墳とされ、高さは2.5m弱でしょうか・・・。

墳頂には石祠と交通安全を祈願する虎の像が祀られてます。
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小美玉市舟塚古墳群(前編)

権現平古墳群の北北東およそ800m、小美玉市役所玉里総合支所の南に分布する前方後円墳、帆立貝形前方後円墳、円墳各1基づつから成る古墳群です。

1号墳である舟塚古墳を北東より見てます。右が後円部で、左が前方部になります。南東向きで墳長74m、高さ8.25mの二段築成の前方後円墳です。墳形としては高槻市の今城塚古墳と相似で、同一規格を2/5に縮小して設計された可能性が想定されてます。
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こちら側では周溝を掘った跡は確認出来ませんでしたが、くびれ部の手前約20mで円筒埴輪が並んで見つかってる事から埴輪列で区画されてた可能性が有ります。

前方部墳頂に南西向きの石祠が祀られてます。墳丘規模は調査によって72m~88mまで様々ですが、実測図ではこの辺りが最も高い場所であり、ここでは「玉里の遺跡」にも掲載されている74mを採ってます。
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手元でノギスで測ったら73.7m/800でしたが、一昨年にデジタル測量が行われてるのでその数値が公表されるのを待ちましょう。

前方部よりほぼ同じ高さの後円部を見てます。高さ75~120cmで6条7段の大型円筒埴輪が出土していて、右手(東面)でくびれ部の高さとそのすぐ下で2列の埴輪列が検出されましたが北面から西にかけては見つかってません。
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小美玉市生涯学習センターコスモスに出土した円筒埴輪が置かれてますが、自館所有でない借り物なので撮影許可を依頼しなければいけないそうで、武人埴輪が無くなってた事もあって断念しました。出土品39点が県の文化財に指定され、県教育委員会のHPにその一部が掲載されてます。

後円部で180度振り返って前方部を見てます。前方部西面(右側)に造出しが有って、あまり目立たないのですが東面と違い拡がっているのが見えるでしょうか?前方部では後円部とは逆に造出し上方で間隔の狭い二重埴輪列が見つかりました。
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造出しには人物・家形・馬形などの形象埴輪や器財埴輪が並べられてました。

再度振り返って後円部墳頂の様子です。中央の地表下約2mで内側を朱で塗られたL2.05m×W約0.9m×H0.82mの広さ(主体部外寸3.45m×1.8m)の二重式箱式石棺が発見されました。これは石棺の床下や外側に空間を作ってもう一重板石を組み、その外側に300枚を超える小板石を裏込めとして積むというかなり手の込んだ造りです。
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中から20歳前後の男性の人骨や装飾大刀把頭をはじめ挂甲小札・馬具・鉄鏃・銀製山梔玉(くちなしだま)などの玉類といった6世紀中頃の副葬品が出土してます。また調査とは別に当古墳出土と伝わる遺物に大刀・刀子・四獣鏡などが有りますが、追葬の痕跡は無いものの7世紀代の大刀や銅碗も混在してました。

手前に見えるのは石棺発見位置やや南側(?)に主軸線と直交する向きで置かれてる雲母片岩の板石ですが、主軸線に斜めだった石棺は埋め戻されたのでどこに使われた石材かは不明だそうです。
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その上に石祠が載せられてますが元は横の基台の上に祀られてたと思われます。

その背後には発掘を担当された大塚初重博士の筆による舟塚古墳碑が木に立てかけられてます。
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東日本大震災直後に訪問された方の画像ではうつ伏せで倒れていて、誰かが起こしてくれたのでしょうがちゃんとした復旧をお願いしたいですね。

下りる際前方部の隅から墳丘西面を見てます。墳丘西側にのみ幅約11mの周溝が検出されました。
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撮影位置のほか前方部では各方向や墳頂近くでも埴輪が出ていて、後世に動いてるにせよ出土位置を図で見るとこのレベルで埴輪列は周っていたと思われますが・・・。

西側道路脇に設置されてる平成30年に差し替えられた解説板です。更新前の旧い解説では墳長は84mと書かれてました。石棺の造りや珍しい遺物などから6世紀中頃に築かれ、埋葬者は畿内とのかなり強い関係性が想定されますが、個人所有で史跡の指定は受けてません。
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墳丘横の道路脇は地主様の御厚意で運転手さん達の休憩所になってるのでタイミングが悪いと解説板も撮れません。

続きます。

藤岡市美久里地区244号墳

神流川左岸で支流の三名川と境川に挟まれた台地上にポツンと1基の古墳が在ります。付近では北西およそ600mで良好に残る未調査の円墳とされる藤岡市205号墳がポイントされてますが、最新の航空写真を見る限りは太陽光パネルの設置で消滅した可能性も有ります。

ふるさと通りの保美トンネルを南に抜けてすぐ左折すると右前方に農地に囲まれて目立つ墳丘が見えて来ます。
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北西より見てます。20m級の円墳とされますが現状南北約27m、東西約12m、高さ約3mの長方形で二段のマウンドになってます。

東より見てます。墳丘の東と南横は菜園になっていて少し見辛いですが、墳丘北側から東向きの鳥居にL字に上がる参道が設けられてます。
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わざわざ南側を盛り足した様には見えず菜園も含めた南北約35m、東西約30mの高まりを削ったと考える方が自然に思えますが、それも不自然な削られ方に見えます。

墳頂には稲荷大明神が鎮座してます。
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墳頂北端には真新しいコンクリートの基壇上に石祠が並べられてます。見栄えは良いのですが大きさ順で良いのでしょうか?
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一枚目の画像で見て取れる様に現状はくびれの無い前方後方墳状で、南側は一段低い一辺約12mの四角い平面になってます。
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南側に下りて180度振り返って上段を見てます。倉庫に何が仕舞ってあるのか不明ですが、運び出せるように右手から参道に出られます。
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古い地図だとここの北側のゴルフ場になった場所に鳥居の記号が記載されていて、移って来て拡張されたのかとも思いましたがゴルフ場建設前からこの地形のままだった様です。

美里町広木・大町古墳群(後編)

昨日に続き両子塚古墳西方の保存された円墳群に移動します。削られ方はまちまちですが、高さはどれも2m無いくらいです。保存された墳丘は発掘されてませんが、両子塚古墳と異なり小山川の川原石を葺かれていて、下草の間に見られます。
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この解説板もそう古くは無いと思うのですが、今は群が造営された時期が5世紀末頃まで遡る推定もされてます。

解説板のすぐ北側に在る29号墳を南東より見てます。直径約5.5m程で、現状最も小さいマウンドです。
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右奥に30号墳が見えてます。

29号墳の東側に並ぶ28号墳を南西より見てます。写真では見えませんが南面やや左寄りに主体部と思われる石材が見えてます。
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右奥は27号墳、左奥は32号墳が見えてます。

一見残りが良いのかと思えますが、東より横から見るとこの通り南北を耕作で削られてます。
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現状南北約5m、東西約7mの規模で、石材を避けて手前に斜めに削られて細くなってます。

28号墳の北東側に在る27号墳を西より見てます。直径約9mで、畔に沿って北側に2基並んでます。
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墳丘の背後、奥の鉄塔の脇に両子塚古墳が在ります。

29号墳の北に並ぶ30号墳を南南西より見てます。ここだけ墳裾まで耕作されておらず直径約10mの規模で最も良い状態です。
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30号墳の北東側に在る31号墳を南より見てます。直径約8mで唯一圃場整備で造られた区画分けの畔から離れてますが、左に少し見えてる30号墳裾の耕し残しから近くで見られます。
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31号墳の東に並ぶ32号墳を南西より見てます。東西約10m、南北約7mの長方形に残されてますが南東裾部は弧を描いており、そのカーブがオリジナルなら直径15m級になるのではないでしょうか?上部も削られていてここだけ残り方が歪に見えます。
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墳丘と背後の木の間に在った10m級の円墳は現存の墳丘よりも綺麗に残されてた様に見えるだけに削平されたのが残念です。

32号墳の北に並ぶ33号墳を南東より見てます。現状直径約7.5mの規模で群北東端に在ります。
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奥にもう1基在る様に見えますが道端の雑草でマウンドではありません。

美里町広木・大町古墳群(前編)

広木・大町古墳群はJR八高線松久駅の西北西およそ2.5km、小山川とその支流の志戸川に挟まれた田園地帯に分布する古墳群で、少なくとも100基以上築かれ近隣の古墳群と併せると200基を超える大規模な古墳群でしたが、圃場整備や工場新設に伴いその殆どが削平されてしまいました。

保存円墳群の南西側に設置されてる解説板です。現在前方後円墳1基、円墳7基が残され、町の史跡と県の選定重要遺跡に指定されてます。
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二子塚古墳とも表記される大町両子塚(ふたごづか)古墳を南東より見てます。規模は最小ながら唯一残った前方後円墳で、夏場でも草刈りされて冬場とは違う青い墳丘が綺麗との噂で期待して訪れたのですが、今年はコロナの影響か下草が伸びて足元も見えないので墳丘上へ上がるのは断念しました。
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ゴルフの打ちっ放しになってる魔訶池北西側に隣接していて、常にピシパシと音が聞こえてました。池自体は8世紀中頃に創建された常福寺(群の南東)の空興上人が灌漑のために造らせたと伝わり、掘った土はどこに行ったのか、群は続いていなかったのかが気になります。

南西より真横から見てます。右が後円部で、左がチョコンと高くなってる前方部で墳長28m、高さ2.5mの北西向きの前方後円墳です。木の生えてる横辺りに横穴式石室を破壊した跡が残ってますが埋め戻されてる様で見えません。
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主軸線と直交して高圧電線がくびれ部を跨いでます。

反対側北東より見てます。後円部がより低く見え、知らないと絶対逆向きに思えてしまいます。
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葺石も埴輪も無くて、7世紀代の築造と推定されてます。

両子塚古墳からおよそ300m西北西に離れて円墳群が残されてます。かつて撮影位置右手後方で両者の中間地点には全長約39mの帆立貝形前方後円墳である8号墳が、そこから農道挟んで北側およそ150mには全長約35mのぐみ塚古墳が在って両者から横穴式石室と埴輪、後者からは須恵器壺が見つかってますが、墳丘の残りも悪く削平されてます。
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今昔マップで見ると1970年代まではその2基も含めて多数の墳丘が残り、両子塚古墳西側で発掘中なのが写ってます。


続きます。
プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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