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野田市瀬戸古墳群

下三ケ尾古墳群の北北東およそ2km、利根川と鬼怒川の合流点を東に見下ろす台地上に分布する未調査の古墳群です。

県道7号線沿いのゴルフ場併設のホテル入口北側の信号の無い交差点から西へ入り150m先を右後ろに曲がると、藪に覆われてるもののとても目立つ1基が見えて来ます。
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北より見てます。直径約18mの円墳で、見た目はは高さ3.5mくらいは有りそうに見えますが、近くからよく見ると墳丘自体は2mちょっとの高さの様です(上の画像電柱の右側に一部墳丘上部が見えてます)。
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付近の地は土塔と呼ばれ、目立つ高まりが他に見当たらないのでもしかしたら近世の(古墳を転用した?)塚の可能性も考えられます。

その40m程北側の同じ道沿いに小さい墳丘が在ります。
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北西より見てます。直径10m級の円墳で高さも1m強程度の規模です。
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墳頂には3社合祀した石碑が祀られてます。
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分布図では2基の東側の墓地の近くにもう1基記されてるのですが、墓地の横の畑の所有者の方は真ん中の雑草の塊辺りが高まってたかもしれないが古墳だったという記憶は無いとの事でした・・・。
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むしろ手前のブロック塀の右側、墓地内の地面は付き固められていて古墳址?にも思えました。
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桜川市八幡山古墳

八幡山古墳はJR水戸線新治駅の南東およそ2.5km、観音川を西に見下ろす台地上に築かれた円墳です。

駅から東に進み県道45号線をおよそ600m南下して県道151号線に入ります。市境の農道を右折して1.2km進んだ左手の台地下に墓地と吉沢(?)観音の石碑が見える台地の上に墳丘が在ります。石碑の横から坂を上がるとすぐ墳丘西面です。
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地図に載ってれば上谷貝北部田園都市センターを目指すと良いです。

北向きに墳頂の八幡神社の参道が設けられ、鳥居も北側墳裾に建ちます。
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墳丘の左右(東西)で裾部の高さが異なりますが、西面は田園調布センターの駐車場で土を盛ってる様に見えます。手元の資料でもセンタ―建築の際に石棺が出たとあるので整地の為に墳丘を削ったのでしょう。

北東より見てます。西面と異なり社殿から裾部まで真っ直ぐ下がってますが、これは耕作により大きく削られてると思われ、手摺が見えてる高さから上が上段となる二段築成の墳丘だったかの様に見えます。
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直径約2~30mの円墳と推定されてますが、現状は東西約20m、南北は鳥居の下まで含むと30m弱、高さ約3.5mの北向きの帆立貝形前方後円墳みたいな形状になってます。径20m級の墳丘の北側に土を盛ったのか、30m級の墳丘を削ったのかは確定してません。

南西より見てます。二段築成に見えると書きましたが、上段は削られてる下段とは別にかなり改変されてる様で、神社として近年整備された墳頂周りはそれ以前の土留めの板・ブロックなどが撤去されずに残っており、神社の格がリストにも載らないほど低いからか(維持費もかからない様に)こじんまりとした境内にされてしまった可能性も有り得る気がしました。
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この向きだと東面はあまり改変を受けてない様にも見えます。

墳丘名にもなった墳頂の兒育(ちごいく?)八幡神社です。立派な覆屋も建てられ大事にされてますが、市内神社リストや参拝記等には全然出て来ません。施工者が「稲荷山」とされ有志の名前が数名書かれてましたが詳細不明です。
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いくつかの訪問記を拝見すると整備前は墳頂に石棺材が置かれていたらしいです。

墳丘西面中腹の平場に標柱が設置され、
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その横に石棺材が保存されてます。出土した際に直刀と銅鋺が見つかり史跡の指定を受けており、それらから7世紀になってからの築造と推定されてます。
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遺物は市の歴史資料館だより(pdf)で紹介されてます。

茨城町どうろく神塚古墳群

どうろく神塚古墳群は茨城町県道59号線上飯沼交差点の南南東に分布する円墳2基から成る小古墳群ですが1基は湮滅しています。

国道6号線が東関道を越えるちょっと南西、茨城東高校北交差点から西へおよそ1.7km進み太陽光パネルの在る押しボタン式の信号から北へ道なりに進むと残る1基が左手に見えて来ます。
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南より見てて、右奥の高まりは飯沼城跡の土塁です。手前には堀の跡が見つかってないので城域は間の墓地までとされ、墳丘は取り込まれなかったものとされてます。

墳長への参道が東側向きに有ります。下4段は道路の為に切り通された部分で墳丘はその上の直径約10m、高さ約1.5mの規模です。普段から綺麗に管理されてる様でゴミや雑草も殆ど見られません。
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県道の無い頃はこの道が飯沼の村から南北に抜けるメインストリートだったらしく、南は陸前浜街道まで続いています。

北より見てます。道路が北に向かって更に下ってそこから民家の入り口になってるため、手前側はもう一段の高まりに見えてより大きく見えます。
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斜めの墳頂が大人塚古墳と似てる様にも見え、方墳っぽく(東面は道路・南面は耕作の為に削られていて)も見えてしまいます。

墳頂には一風変わった祠(?)が祀られてます。どうろく神とは漢字で書けば道陸神となり、道祖神の呼び方の一つで形に囚われない神様ですが、何かを焼いて食べる場所に見えてしまいます・・・。
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いばらきデジタルまっぷでは奥の藪の向こう側の台地下にかけて分布域とされてますが、古い航空写真でも痕跡すら見られません。

ふと思い出して立ち寄ったので、もう1基がどの辺に在ったのか地元の方に聞こうと思ったのですが、小学生しか歩いてませんでした。

筑西市島古墳

JR水戸線下館駅の東南東およそ1.5km、小貝川と五行川に挟まれた自然堤防上に築かれた大型の円墳です。

葦間山古墳の前から県道14号線を1kmちょっと北上しコンビニ手前を右折して東へ入り島集落センターを目指すと、その北隣が島古墳です。
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南西より見てます。現状直径約18m、高さ約3mの神社の基壇の東側に、南北約25m、東西約15mの墓地になった高まりが接続している状態です。なのでこの向きだと前方後円墳にも見えますが、実際は数字の「9」みたいな形です。
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これは墳丘南西側を削って画像中央のシュロの木の両側に建物が並んでいたからでしょう。

北より見てます。下草で見え辛いですが墳頂のすぐ手前で墓地の北縁に合わせる様に墳丘は真っ直ぐ断ち切られ、コンクリートの壁になってます。
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撮影位置のすぐ背後は壁と平行に用水路になってます。

墓地の南東隅を見ていて、このカーブ自体は墳丘東側の用水路(奥のガードレール)脇へ抜ける道なのですが、元々は直径60mクラスの円墳だったとされ、集落センター東側の段差は墳丘南東裾部の名残だと考えてもあながち間違ってもいない気がします・・・。
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用水路が無い頃は幅6~70m程度の自然堤防が奥へ続いていたらしく地形をうまく利用して築かれたのでしょう。

墳頂の様子です。個人宅の氏神様レベルの祠が祀られてます。恐らく稲荷社だと思うのですが神社巡りの方にもスルーされてるのか情報が全然見つかりません・・・。
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墳丘上には礫が多く見られます。かなり規模が縮小してる事を考えると河川の沖積地で玉砂利等を多く含んだ土で築かれたのでしょうか・・・?
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柏陸軍飛行場跡

柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020でも触れられてた柏飛行場は、つくばエクスプレスららぽーと柏の葉駅の西側から北は常磐道柏インターチェンジ付近にかけて全長1500m、幅60mの滑走路を中心に造られてました。最終時の総面積は約264haに及びました。これは台東区や荒川区の1/4程の広さです。

駅の西南西およそ1.4kmには航空自衛隊柏送信所が在ります。ここは旧飛行場の兵舎が建ち並んだ場所で、その南側正面には営門の跡が残されてます。
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県道47号線に接し、直進すると県道279号線になってるので、この様に通行し辛そうにも拘らず交通量は少なくありません。

東側門柱の脇に設置されてる解説板です。
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掲載されてる飛行場見取り図です。図の右端辺りが現在のららぽーとの場所です。
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営門跡から県道47号線を600m程東へ進み柏の葉公園入口交差点から北へ進むと柏の葉公園通りがおよそ1.3kmの長さでほぼ直線になってますこれが滑走路の名残です。
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上の画像の場所、財務省税関研修所の横から東へ入り、クランクした先の道は東誘導路の跡です。北・西誘導路が消えた後も近年まで良く残ってましたが駅前の開発により柏の葉庭球場北側の約150mを残して消える様です。
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フェンスの隙間から事業予定地内を見てます。徒歩で来た場合はここから唯一見学できる掩体壕の横へ抜けられます。

左回りにぐるっと回ると造成中のエリアで一区画だけ民家が建ってる場所が目立ちます。ここが飛行場脇に造られた秋水燃料庫跡です。
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つい10年程前に遺構が見つかった時は藪の中だったのが嘘みたいです。千葉県の戦争遺跡さんが当時の画像を紹介されてます。

上の撮影位置の150m程北側の交差点から誘導路の続きを反対向きで見てます。一番奥の左右の電柱が先の画像の奥に見える2本です。
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既に舗装も剥がされマンホールだけが残り、横に建ってたホテルも全て解体されてました。

180度振り返って見てます。去年までは左手の土を盛った場所へ真っ直ぐ誘導路跡の道が続いてました。
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土盛りの奥の左側には少し前まで掩体壕も残っていてちょいと気ままに遺跡探訪(たまにレストア)&雑記さんが撤去前の誘導路跡から入って撮影されてます。

視線を左にずらしたここにもかつて掩体壕が在りました。見取り図の1600m表記の右下辺りで、「路」の字辺りを国道16号線が通ってます。
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奥の鉄塔の下は国道の先の香取神社北側で後述の掩体壕よりもやや大きい3基が残っていたとされますが、東側の1基はグーグルマップのストリートビューで削平が確認出来、鉄塔脇の2基もそれを撮ってる道路が廃されて工事囲いの中となり近付く事も出来ません。(多分運送会社の駐車場になってると思われます・・・)

交差点から北西に150m弱進んだ藪です。全然見通せませんがこの中の掩体壕は破壊が確認されてないので、現存してる可能性が高いです。
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ここはホテルも解体して「こんぶくろ池自然博物公園」拡大エリアとして整備されるハズで、もしかしたら5年後ぐらいには藪がなくなってるかもしれません。

更に200m程西へ進むと唯一見学できる掩体壕への散策路入口が見えて来ます。古い解説板の横から入ると二股に分かれていて、左奥に進むと土塁が見えて来ます。
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二股を真っ直ぐ進むと先ほどの誘導路跡のフェンスの脇に出ます。

無蓋掩体壕を南西より見てます。その名の通り屋根の無い形式で、秋水の為ではなく防空に当たっていた戦闘機「鍾馗」用と思われ、高さ約1.5mの土塁が内幅約18mの対角線の正方形の南側角を切り取った様な形になってます。
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79基造られた中で数少なくなった現存する貴重な1基であり、場所は見取り図の1600mの左下の1基です。

すぐ傍に現在の柏歴史クラブによる解説板(入口と同じものです)が有り飛行機の入れ方も良く解ります。
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隣には飛行場の解説板も設置されてます。
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石岡市根古屋古墳群

羽黒古墳群から園部川を挟んで南南西およそ750mの台地縁に分布する円墳3基から成る古墳群です。随分前に調べた時はもっと基数が多く分布域も広かったと記憶してたのですが、現在西側の5基は根古屋塚群として区別されてます。(藪で1基も見えませんでしたが・・・)

国道6号線沿いの石岡ウェルサイト北側の東大橋交差点から東へ進み760m程進んだ右手に見えてくる墳丘を北東より見てます。群南端で、見学できるのは実質的にはここだけだと思います。
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ほぼ同規模の1号墳か3号墳です。

南西より見てます。道路で削られて現状東西約14m、南北約10m、高さ約2mの涙滴型をした墳形になってます。
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右奥に見える稲荷社が載るマウンドは多分上坪古墳群の残った1基のハズですがまだ未確認です。

墳丘東面に馬頭観音碑が立ち、
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墳頂には山の神の石祠が新調され(元から有った?)旧い石祠と並んで祀られてます。
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上の墳丘の50m程北側で残されてた木立の半分以上が伐採されて目立つ様になった高まりです。いばらきデジタルまっぷの分布域はここに掛かる様にS字形になってますし、以前から周囲よりも少し高かったのですがちょっと古墳には見えない気がします・・・。墳丘なら径15m、高さ1mの2号墳ですが・・・。
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奥の民家横の自然林内に最低もう1基が残ってるハズですが根古屋塚群の分布する林道入口は完全に塞がっていて様子も窺えませんでした。

つくば市中菅間稲荷塚古墳

桜川を挟んで沼田2号墳の南西およそ800mの自然堤防上に築かれてる円墳です。

県道14号線筑波山入口交差点から県道214号線を南西に600m程進んで床屋さんの奥を左折、突き当りを右折すると見えてくる木立が墳丘です。北東より見ていて、この辺だけ墳裾が見えてます。
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敷地南西隅に鳥居が建ってて手水鉢も見え、ここが参道の入口のハズなのですが1m位の高さの藪になっていて冬場なのに引っ付き虫だらけでした。
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古墳探訪記さんを拝見すると南面に参道が有る様なのでいろんなモノをくっ付けながら進むと参道も半分藪化してました。画像は払いながら墳頂を見た後で戻る際に撮ったものです。もしかしたらふっき~さんの次に来たのが自分だったりするのかもしれません・・・。
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ネット情報でウエットティッシュが引っ付き虫を簡単に取れるとの事で実践しましたが、なるほど素手で取るより全然早いです。

墳頂の稲荷社です。トタン屋根の覆屋の中に祠が有ると思われますが、蓑(?)が掛けられていて曇天の中では真っ暗で全然見えてません。
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現状直径約20m、高さ約2mの規模で、調査はされてません。表面もびっしり落ち葉で覆われていて、遺物等も見当たりませんでした。

桜川市弁天様古墳 金敷寺前古墳

弁天様古墳は桜川市上小幡の集落の北端近くに在る墳形不明の古墳の横穴式石室で、県内で移設されてない石室の中では(車では行き辛い事を除けば)とても見易い1基だと思います。

県道41号線真壁長岡郵便局前から2.5kmほど北上し、信号の無い変則五差路から東へ100m程入った細い道沿いに南向きの横穴式石室が剥き出しになってます。古くに盛土は失われていたそうです。
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集落内にも横穴式石室を持つ車塚古墳が現存し、この東方民家裏の山腹にも円墳2基から成る若林古墳群が分布してますので、往時は周辺にもっと古墳が築かれていたのではないでしょうか・・・?

開口部側より見てます。急に雨が降り出してちゃんと測ってませんがL約1.5m×W1m弱×H約1.2m程の広さで、弁天様の石祠が中に祀られてます。
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恐らくしきみ石も元位置のままで、羨道が有ったなら道路にかけてだったのでしょう。

奥壁側より見てます。ひび割れてますが右壁が動いたのか奥壁が割れて隙間が出来たのか不明です。
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西北西におよそ5km、県道151号線沿いに在る金敷寺前古墳を北より見てます。直径約15m、高さは2.5m強と思われる未調査の円墳です。
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名称は金敷のお寺の前の古墳の意味で、県道の向かいのお寺は真像寺です。

南西より傍らより見てます。特に管理されてないので墳裾以外は殆ど見えません。
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南東と西隣には民家が建ち、南西側も近くまでビニールハウスが建ち並んでいるので裾部を見られるのもこの進入路沿いだけです。

県道沿いに怪しい石が置かれてますが他所と違って至る場所に筑波石が転がってるエリアなので、古墳由来のモノとも安易には考えられませんが・・・。
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柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020

今度の日曜日まで柏の葉T-SITEで開催中の「柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020」に行って来ました。

中に入った事が無かったのですが中央の廊下沿いに間仕切りで区切られたスペースが並びそれぞれ別なテーマで動いていて、一番北寄りのドッグカフェの向かい側、通常はドッグサロンになってる場所でした。
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区切ってるパネルの画像は秋水研究家の柴田氏が左右別々に撮られた写真を繋いだものがカラー化されたものです。

パネルの裏側は柏飛行場の模型にプロジェクターで映像を流してるのですが、会場は採光抜群なので実際はもっと薄い画像が動いててあまり見易くなかったですし、模型に気付かない(平面に見えた)人もいたのでは・・・?
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もし行かれる方がいたら夕方以降の方が良いかもしれません。

展示スペース中央にはノートパソコンでの映像表示の横に1/10サイズの秋水の模型が置かれてました。
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こちらは写真を撮られたり、一番注目を浴びてました。本を買いに来てた男の子とか真剣に見てました。

機尾側から見てます。普通の飛行機と違って前脚に当たる車輪は離陸後切り離され、帰りは滑空で降りて来て船の様な形状の機首下面で橇のように滑って着地する予定でした(後にB29編隊の中で自爆する計画に・・・)
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壁沿いには木村氏が撮影した貴重な写真とそれをカラー化したパネルに説明書きが加えらえれてます。
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展示は右にも続いていて、こちらのモニターの動画は音声もしっかり出ていて見易かったです。

柏歴史クラブで発行している一般書店では取り扱われていない「秋水燃料庫調査報告書」が欲しかったのですが、模型の横や書棚に見本しか置いてなくてレジでお聞きしたら、前日分まで売り切れて新入荷分を準備中だったとの事でまだ値札付きの袋に梱包されてない一冊を持って来て下さいました。とても詳しい内容だったので、それを参考に秋水 燃料庫跡の記事に5号燃料庫の画像を足した上で追記するなどの変更を加えました。

小美玉市大井戸平古墳群(その3)

5号墳の前から農道を台地縁に沿って南東に進むと2号墳が在ります。
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墳丘周辺の樹木は「愛宕神社の樹叢」として大事にされ、右端の大きく枝を広げたタブノキは絵本「モチモチの木」の切り絵のモデルになったとされ、パワースポットとしても有名です。

墳丘北側~西側は周溝跡がやや低く下がって半周してます。
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東より見てます。南向きで全長62m、高さ約10mの雷電山古墳によく似てる帆立貝形前方後円墳です。
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群で2番目の規模ですが、文化財マップでは城跡・天然記念物として記載されてます。

参道の脇に設置されてる古墳としての解説板です。玉里村時代には天然記念物に指定された「愛宕神社の樹叢」の説明板でしたが、小美玉市になって差し替えられてます。
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その隣には玉里村による中世の愛宕館についての説明板がそのまま残されてます。玉里八館の一つにも数えられてます。
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周辺に城館跡らしき遺構は見られず、戦で墳頂の愛宕神社も類焼したなら砦として転用もされてたとは考え辛いのですが詳細は不明です。

小さい前方部より後円部を見上げてます。後円部の1/4程の高さしかないので墳裾から見るのとあまり変わりません。
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参道を上がって墳頂の愛宕神社です。
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後円部より前方部を見下ろしてます。前方部先端は道路で斜めに削られてます。
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解説板の実測図によると墳丘南南西隣のこの畑にも円墳らしき高まりが見られるのですが言及する資料が見当たりません・・・。
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プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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