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藤岡市神田・三本木古墳群六反支群C群(前編)

C群はB-3群の南西側、B-2群の北西側に分布し、各墳丘を少し話して密集させずに築いています。
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右奥の山の上の鉄塔の少し右奥の山頂に浅間神社古墳が在ります。

C群の中央に位置する前方後円墳で、高橋塚古墳と呼ばれ整備前は美久里地区111号墳と呼ばれてたK‐15号墳を南南東より真横から見てます。
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この向きだと西南西を向く墳長24m、高さ3.5mの規模も、右が後円部で左が前方部の墳形も綺麗に残されている様に見えますが・・・

残る墳丘でシンボル的存在でもあり位置的にも中心的場所になる事から、この墳丘の横に標柱と
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群の解説板が設置されてます。位置的には分布図中央やや右の星マーク(☆)が分散する辺りです。
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南西側から見るとと農地整理時の新しい境界で調査後に主軸線に対して斜めに直線状に北東側を削られ、前方部先端がほぼ失われてます。
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前方部より後円部を見てます。調査・整備時に墳丘上の木は伐採されました。
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この左手、後円部の西側およそ30mには1970年代の終わりまで円墳(112号墳?)がもう1基残ってました。調査はされてないみたいですが、当時の航空写真だと丸く土取りされた地面が写ってます・・・。

後円部で180度振り返って前方部を見てます。左側も旧農道だったので若干削られています。
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ワンチャンで全貌を見学出来た8年前に訪問されてる埼群古墳館別館さんの画像と比較すると・・・・゚・(つД`)・゚・。

整備前は後円部南面に崩れかけた横穴式石室が開口していましたが埋め戻され、後円部墳頂に露出する石材だけがそれを偲ばせてくれます。向きからすると奥壁の石材でしょうか?
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中は凝灰岩の切石積みの無袖型横穴式石室です。

葺石も多く見られます。右上の石が目立たない部分が石室埋戻し跡です。
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円筒埴輪や形象埴輪、須恵器が出土してます。

高橋塚古墳の上から北に15m程離れて築かれてる美久里地区113号墳を見下ろしてます。
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背後に114号墳も見えてます。

西より見てます。直径約15m、高さ約3mの円墳です。盛土で保護されてか葺石等は全然見えません。
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更に10m程の間隔を開けて北北西側に築かれている美久里地区114号墳を西より見てます。
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直径約15mの円墳ですが、この1基は墳丘上が畑になっていたため低いマウンドになっていて、新設された舗装路で北西面を削られてます。

北東より見てます。ここの東面も整備時に買収出来なかった部分だけ直線状に削られてしまった様です・・・。
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画像右奥の東京電力美九里変電所の下は神田・三本木古墳群A地点として推定4基の円墳が検出されてます。埴輪や須恵器が出土してますが六反支群よりも先の調査だったので別個にK‐〇号墳の名称が振られてます。

神田・三本木古墳群はあと一回続きます。
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印西市鈴耕地古墳

土浮古墳群から見て印旛沼の対岸の小半島にも古墳が確認されてます。自然林で見学が困難だったり、削平されてたりしますが、1基だけ中近世の塚に分類されている古墳(?)だけはチョット立ち寄って見学出来ます。

スカイアクセス印旛日本医大駅から県道65号線に出ておよそ2.5km酒々井方面に進んだ瀬戸交差点を右に折れ300mちょっと直進すると、桜の木の下にマウンドが見えて来ます。
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南より見てます。直径約10mの規模でこちらからの高さは1.2mくらいでしょうか。
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左奥は瀬戸宗像神社で、手前に参道が続きコンクリート舗装されてます。

北西より見てます。右手は印旛沼へと下る地形になっていて、下った先に在る薬師堂が載る円墳状のマウンドは古墳とも塚ともされてません。(グーグルマップのストリートビュー)
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周辺は古墳~平安時代の複合遺跡が点在する場所ですが、この場所自体は2つ在る鈴耕地遺跡ではなく土師器の出土した宮畑遺跡範囲内です。なので新しいマウンドとした何らかの根拠は有るのでしょう・・・。

墳頂には石塔が3基とされてますが増えてました。神社側に向けられてます。
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今のところ単独の塚とされてますが、境内扱いで微妙に鈴耕地第二遺跡から外れてるこの高まりも怪しいかもしれません!?
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前方後円墳に見えますが、右手の低い土盛りは神社社殿を囲う土塁と繋がってます。

桜も綺麗ですがここに来たら見所なのは恐らく神社の御神木であろうコレです!
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大きさもですが、根と抱え込んだ土で人間の高さぐらい浮いてながらも真っ直ぐ生えてます。

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群B-3群(後編)

美久里地区81号墳のすぐ南に並ぶ美久里地区82号墳を南より見てます。直径約15m、高さ約2.5mの円墳です。
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手前の空き地は風呂前2号古墳址で、内径8.6mの周溝が検出され中から土師器砕片が出土してます。

81号墳の上から北面を見てます。こちらも中心より西側の一部だけ小さい塚状に盛り上がってます。
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両墳丘の間は整備前までの旧農道跡です。

上段の小マウンドを近くで見てます。こちらは墳形からもここを中心にもっと大きいマウンドであったとは考えにくく、周囲の川原石を積み上げ直した様に見えます。
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ただこの小マウンドの上も盗掘の痕跡か凹んでいます。
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その南東側に並ぶ美久里地区83号墳を西南西より見てます。直径約8m、高さ約1.8mの円墳です。
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撮影位置は周溝だけ見つかったK‐8号墳址とされますが、実測図で内径よりも広い周溝幅が?です。

82号墳の上から北西面を見てます。背後の鉄塔建設時にその下が調査され、模様積みの胴張り両袖型横穴式石室を持つ円墳2基が発掘されてます。
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鉄塔右端の脚付近に在ったのは直径約12mの藤岡市650号墳で人骨・耳環・ガラス小玉が出土し、裏込め被覆と周溝が確認されてます。右奥の脚付近に在ったのは直径約14mの藤岡市650b号墳で、石室から剣鎌や鉄鏃、周溝から須恵器片や土師器片が出土してます。

ここもやはり墳頂が凹んでました。この部分が掻き出され南側に流れ出てる様に見えます。
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藤岡市神田・三本木古墳群六反支群B-3群(前編)

B-3群はB-2群の北北西側の高圧電線の鉄塔周辺、埋没谷のすぐ南側に築かれた円墳の集まりです。

現存する5基を南西より見てます。この内左手の3基は墳丘間に土を盛られていて、B-1群で見られた様に墳丘が繋がっています。
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一番北に在る美久里地区79号墳を北西より見てます。右手は微高地で隣の墳丘と繋がってます。
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南西より見てます。直径約10m、高さ2m強の円墳ですが南西に崩れかけてる様に涙適型に変形しています。
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実測図だと南西側の81号墳との間に今よりももう少し高く土塁状に繋がっていた痕跡が窺え、右手前側が直線状に削られただけかもしれません。

南東面の裾部では川原石が多く露出してます。
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が、墳頂は盗掘されたのか凹んでいて、頂部の退けた礫が南東面に落とされてる様にも見えます。
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中央奥の木立は周溝と破壊された石室が見つかったK‐5号墳(神田B号墳)の址です。

79号墳の南西側に並ぶ美久里地区80号墳を北西より見てます。現状は一辺約10m、高さ約1.8mの四角いマウンドが左右に見える墳丘と繋がり、特に右奥の81号墳とは前方後円墳状に繋がっています。
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79号墳の上より見てます。奥にはC群の墳丘が点在しています。墳丘奥側の舗装路新設の際に電柱右手前から左に直線状に続いてくびれ部に見える墳丘接続部に向かって手前に直角に折れる溝が検出されてます。
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一瞬その実測図を見て「方墳か!」と思ったのですが、これは周溝ではないと判断され溝遺構として登録されてます。築くために周囲をあまり掘られない墳丘が多いので、墳丘自体を調査しないと1基の前方後円墳か2基の墳丘なのかは判明しません。

80号墳の南側に繋がってる美久里地区81号墳を南西より見てます。
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北より80号墳の上より見てます。上の画像では綺麗な円墳に見えますが、この向きだと直径13m程のマウンドの西側の一部が高くなってるのが見て取れます。
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北東より見てます。東側の低丘部にも葺石と思われる川原石が見られ、ここまでが墳丘であるのは間違いないと思われます。
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整備前は墳丘左側に農道が通り、それに沿って手前側は79号墳に向かう様に高まりが続いていました。恐らく3基がV字状に繋がれていて、79号墳の南西側が削られて断ち切られたのではないでしょうか・・・?

墳頂の様子です。天井石らしき大きめの石材が中心からズレたここに有る事から元はもっと舗装路側に墳丘が続いていたものと思われますが、舗装の下には道路と直交する溝が検出されるのみで、これも周溝ではなく別の溝遺構とされてます。
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続きます。

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群B-2群

六反支群B-2群はB-1群のすぐ北東側、牛田工業団地側の神流川段丘東端にB-1群に続いて築かれた円墳群です。
現存は2基のみですが、段丘下と行き来するサイクリングロード建設までは隣接してもう3基が残っていて、調査の際に埋没古墳や石槨も見つかってます。

別群に分けてますが美久里地区100号墳と10mと離れず東北東側に在る美久里地区90号墳を西より見てます。
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直径約10m、高さ約2mの円墳で、この向きだと普通に土を盛って築いた墳丘に見えます。

ところが右手に周ってみると南面裾部にだけ礫が多く見られます。
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北より見てます。この左隣には附け基壇を持つも周溝の無い藤岡市661号墳が並んでいて、切石積み片袖型横穴式石室から鉄鏃が見つかったほか、埴輪や須恵器大甕が出土しました。現在は地山ごと削られサイクリングロードのヘアピンカーブになってます。
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すぐ北に並ぶ美久里地区89号墳を南西より見てます。こちらは墳丘上の樹木が伐採されてました。
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直径約12m、高さ約2mの円墳で全体が礫で覆われています。

北西より見てます。エリア整備時に造られたと思われる側溝が弧を描いて墳丘を避けてます。右奥に美久里地区100号墳が見えます。
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この工事の際に掘った土を盛ったのか手前に礫混じりの盛土が側溝沿いに続いてます。

墳頂には石室が崩落したのか、盗掘によるモノかは不明ですが南向きに凹んでいます。丁度左壁に当たる場所に大きな切り株が有るので中も破壊されてるかもしれません。見た目は白くて大きい石の場所が玄門の印象です。
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この右奥、北東側に周溝の無い藤岡市660号墳が在りました。附け基壇も有り円筒埴輪や形象埴輪が出土したほか、切石積み無袖型横穴式石室から大刀・刀子・鉄鏃が出土しました。

更にその北側に隣接していた藤岡市654号墳も周溝の無い円墳で、円筒埴輪や形象埴輪が出土し、自然石で積まれて破壊の進んでいた無袖型横穴式石室には裏込め被覆が確認され、中からは刀子やガラス玉が出土ました。更に北側に近接して小石槨も見つかってます。

89号墳の北側にも円墳址と思われる跡が2ヶ所見つかり、6基以上の円墳が集まっていたと思われます。これら現存する2基以外については別個に報告書が刊行されてます。

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群B-1群(講演会発表の模様)

六反支群の埋没谷の南側は三ヶ所に隣接して円墳が固まって築かれてる神流川側のB群と、一定の間隔を開けて墳丘が並ぶ西側のC群に分けられます。そのB群は更に塊ごとに南から1~3群に細かく分けても見られます。B-1群は六反支群の南東隅近くで三名川左岸沿いに築かれた円墳群です。6基が発掘調査され消滅していますが2013年に現地説明会が行われて、行かれた方々が詳しく紹介されてます。
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分布図中右下の3基は調査されず詳細不明のまま湮滅しており、その左上の集まった四角がB-1群です。六反支群の中でも最も早い時期に築かれたと推定されてます。

自分は現説には参加していませんので、この記事はほぼ前回のK‐7号墳と同様に「発掘された関東の遺跡2018」で発表された「神田・三本木古墳群 明らかになった6世紀の群集墳」での発表で公開された画像での構成になります(上方に黒い切り欠きの有る画像)。

調査中のB-1群全体を直上から見下ろした画像です。K‐12号墳以外の横穴式石室はほぼ南南西向きに開口していました。
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右下のトレンチで繋がれた4基は後世に土を盛って連結されてました。K‐14号墳の右上の木立は美久里地区100号墳です。

もっとも西側に築かれていたK‐10号墳を石室開口部正面から見た画像です。直径約10mの円墳です。
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垂直に見下ろした画像と実測図&埴輪列配置図です。
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附け基壇上石室開口部から東側では円筒埴輪列が見つかり、その西側には人物・馬形埴輪列が検出され、墳頂から落ちたのか墳丘からやや離れて北・西側では形象埴輪が出土してます。ちなみに礫を主に積んだからか周溝は極めて浅く、北東面では9号墳の周溝と重なっていた様です。

T字状になってる玄室を奥壁側の墳丘上より見下ろした画像です。手前の仕切りまでではなく、奥の梱石までが玄室とされます。
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その為、ここも両袖型ではなく無袖型とされます。鉄刀・刀子が出土してます。

これは石室開口部西側に集中して並べられていた人物埴輪の出土状況です。
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更に手前には馬形埴輪が並んでいました。

上の画像の奥側の2個体を別角度で墳丘側より見た画像です。
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これは北東面の樹木を退けた後の墳丘の断面を撮影されたと思われる画像です。上空画像では目立ってませんがこの墳丘の裏込め被覆面は石室よりも葺石面の方が近くなってます。
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現在調査中の前橋市の教育委員会と検討されてるかもしれませんが、規模の違いは有れど愛宕山古墳と同じく石室の裏込めの補強と言うよりも葺石の上に更に礫を積み上げた様に見えます。
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K‐11号墳を南南西より見た画像です。左奥が直径約8mで唯一片袖型の石室を持つK‐9号墳で、右奥は基部だけになっていたK‐14号墳です。
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撮影は現地説明会の後で、埴輪列を取り出した内側の葺石の根石部分が綺麗に写ってます。

こちらも同じく垂直に見下ろした画像と実測図&埴輪列配置図です。やや左壁側が崩れかけて片袖型にも見えますが無袖型の横穴式石室で、礫を積まれて築かれてるので見辛いですがよく見るとその周りに馬蹄型の裏込め被覆の輪郭が見えます。
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墳丘の直径は11mで、周溝は検出されてません。墳頂から落ちたのかやや離れて人物・器財埴輪が出土したほか、馬形埴輪が東西から見つかってます。

石室を玄室右壁側より見下ろした画像です。鉄刀・鉄鏃・耳環・玉類などが出土してます。
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石室北西側の墳丘の断面の様子です。K‐10号墳の画像では内外の積み石が接近し分厚い一つの層に見えていたのに対し、石室周りに対して大きい墳丘をほぼ礫だけを積み上げて築かれてるのが見て取れます。
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実際11号墳と隣の12号墳では周溝が検出出来ず、ここが2番目に築かれた後10号墳からは周囲の土も混ぜて築かれたと推定されてます。

石室開口部西側附け基壇上にはK‐10号墳とは逆でこちら側に円筒埴輪が並べられてました。須恵器も混じって見つかり、落ちて来た葺石で押されてます。
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構造の説明として、礫を積まれて築かれたB-1群と異なり土を盛って川原石で仕上げられたK‐7号墳の説明などもあって詳しい説明は以上の2基まででした。一日がかりの講演でも他の遺跡の発表もされますし、これは致し方ありません。

K‐11号墳のすぐ南西側に築かれていたK‐12号墳を西より見た画像です。直径約8mの円墳で、この1基のみ玄室が自然石の乱石積で西南西向きに開口する横穴式石室となっており、他の墳丘とは築造時期はややズレて古くなると推定されてます。
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こちらは現地説明会後に石室内に崩れ落ちた石材を取り除いた後の石室内部の様子です。鉄刀・鉄鏃などが出土してます。
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梱石が見える他、切石が全然無いのも見て取れます。自然石の乱石積とされますが残る石をみると模様積みっぽくも見えます。

K‐13号墳は垂直に見下ろす画像のみです。直径約9mで、こちらは造から6基中一番新しい墳丘と推定されてます。
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刀子・鉄鏃・ガラス小玉が出土してます。

K‐14号墳の北東側に隣接し、調査されずに残った美久里地区100号墳を北西より見てます。整備前は一辺8m程の四角いマウンドでしたが、農耕によって削られたからだと思われます。
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上のK‐11号墳の全景画像でも写ってますが、あまり石だらけでは無いように見えます。

北東より見てます。盛土されたのか、何故か雛壇状になってます。墳丘背後が調査エリアです。
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藤岡市神田・三本木古墳群六反支群A群(後編)

美久里71号墳の西南西に55m程離れて残り、雨乞塚古墳とも呼ばれる美久里地区63号墳を南東より見てます。現状長軸約15m、短軸約7mの半円に近い形のマウンドが残ります。
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残り方から北東面が削られてると思われ、断面には多数の礫が見られます。
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そのすぐ北西側には美久里地区62号墳の残丘らしき高まりが農地と資材置場兼駐車場の境目に見られます。
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70年代の航空写真には東側の2基の様な明瞭なマウンドは見当たらず、整備前の調査時にこのエリアには5基残存と書かれてるのでもしかしたら古墳ではないかもしれません・・・。

63号墳脇より北東側に築かれていて調査前には美久里地区61号墳と呼ばれていたK‐7号墳址を見てます。画像中央フェンスの角の南側に墳丘が在りました。
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「発掘された関東の遺跡2018」で発表された「神田・三本木古墳群 明らかになった6世紀の群集墳」よりK‐7号墳の調査中の姿のスライド画像です。
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3段築成に見えますが外側の石列は基壇で、神奈川で墳丘内石列と呼ばれてた表面に出てこない内側の石積みは藤岡市では墳丘と同心円ではない馬蹄型の裏込め被覆と呼ばれてます。

直上から見下ろした画像です。両袖型横穴式石室の羽子板型な平面形状が良く解ります。
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牛田古墳群の現地説明会ではまだ発掘途中だったので言及されませんでしたが、牛田2号墳はこれと同じ造りであったのではないでしょうか・・・?ちなみに演壇に立たれてたのも2号墳の説明をされてた文挟氏でした。

これは訪問時に持ってた分布図で美久里197号墳の場所と思って撮影していた画像ですが、左奥のパン屋さんはA群南西端の美久里地区65号墳址で建て替えの際に直径30mの葺石や全長6.8mの横穴式石室が検出されてます。
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石室内からは副葬品と共に人歯が出土し、単独で報告書が出てます。

上の画像のすぐ右に今の県道を工事する際に発掘された美久里地区118号墳の標柱と
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説明板が設置されてます。3基しか確認されてない前方後円墳(資料によっては円墳扱い)の1基で頭椎太刀が出土し橿原神社に奉納されてる事で、痕跡も残らないのに特別に紹介されてますが墳丘は上の画像右奥に在ったみたいです。
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ちょうどこの辺りが埋没谷の先端で3群のどれにもカウントされてませんが、綜覧では65号墳と2基連番で番号を振られてるのでA群に含んで良いのでは?と思って加えました。

藤岡市神田・三本木古墳群六反支群A群(前編)

六反支群は群の神流川寄り東端の県道13号線十石街道東側の神田地区に分布していて、すぐ北東の台地下には7基の円墳が確認されている牛田古墳群が分布します。現在墳丘の市有地化や整備も進められてます。

整備の一環で1基だけ保存されてる前方後円墳の傍に解説板が設置されてます。ここでは神田地区古墳群と呼称され前方後円墳3基、円墳55基が確認されてます。分布図でも明らかな様に県道西側の墳丘は確認されていても半分以上が調査・記録されずに消滅してるのに対し、このエリアは調査・保存が積極的に行われ遺跡の指定もされてます。
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正式ではありませんが、六反支群の中ほどに古墳の無いエリアがあって調査されたところ埋没谷だった事が判明し、そこから北を整備エリアの調査報告書ではA群と分ける案が有ります。

整備エリアの北端に在る美久里地区70号墳を南より見てます。直径約15m、高さ約2.5mの円墳です。
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墳丘の奥の民家の場所でも数基の円墳が確認されてますが私有地内で確認出来ません。もしかしたらお社の基壇になってる円墳は残っているかも・・・?

調査は行われていませんが、墳丘上は南西向きの主体部が盗掘されたか陥没したかの様に凹んでます。
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西より見てます。墳丘上の木立伐採前から西南西向きの前方後円墳に見えますが、測量図で見ると手前の部分は墳丘南側の高さで南北に断ち切られ、逆に画像外右手の71号墳と続いていた様に見え、整備エリアと私有地の境を盛り上げてる様に見えます。
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その美久里地区71号墳を南西より見てます。綜覧では美久里村146号墳と呼ばれ馬形埴輪が出たとされ、整備調査で南・西面で確認された周溝はK‐1号墳と呼ばれてます。
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砂利道の下墳丘南面から左手奥の墳丘の先まで周溝が確認されており、北向きの前方後円(方?)墳だと思われます。隣接して撮影位置南側ではK‐2号墳の周溝の一部と自然石を積んだ石室が新発見されてます。

南東側の神田A号墳址脇より見てます。現状直径約10m、高さ約1.5mの円墳ですがこの様に墳丘西面に被さる様に砂利を盛られて高くなっており、そこから70号墳横へ下るスロープ状の道も盛り直されてるのでより小さく見えます。
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市の纏めた資料では70号墳よりも良好の保存状態と書かれてますが現状では偲ぶべくもありません・・・。

180度振り返って美久里地区74号墳を北西より見てます。農地整理前は墳丘西側を農道が通っていたので墳裾を石垣で固められてます。墳丘上は枝垂桜一本を残して綺麗に伐採され平らに低くなっている墳形が良く見えます。
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右手奥に埋没谷を挟んだ南側の墳丘が見えます。

北東より見てます。現状は直径約14m、高さ約1.5mの規模です。墳丘は未調査なものの北面の一部にのみ周溝が見つかりK‐4号墳と呼ばれましたが、ブリッジが有るなら兎も角V字状に接する周溝は???です。
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航空写真ではそれなりの円形に復されている様に見えるのですが、左手前側に回り込む様に農地が続きやや直線状に見えるのと、墳丘南東面に葺石と思われる石材が集められてるので余計に歪に見えます。

墳丘上から見てますが、マウンドが続くのではなく川原石だけが集められてるのが分かります。木の剪定で切った枝もその上に積まれてました。
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続きます。

藤岡市神田・三本木古墳群下原支群

下原支群は県道176号線以南で、ふるさと通りと県道13号線に挟まれるエリアの墳丘です。群中では民家や学校などで最も開発されてしまったエリアのため現存墳丘は殆ど在りませんが、逆に古墳自体の発掘調査は多く行われている場所でもあります。お陰で三本木地区は古墳総覧では実態が全然掴めないものの、消滅してる墳丘の位置や主体部・出土品については古くから報告書等で纏められてます。

県道176号線とふるさと通りとが交差する高山社跡東交差点の東およそ180mの信号の無い交差点から右手(南東)に130m程進んだ美久里駐在所の裏手で、右手前方に2基の円墳が見えて来ます。道路脇に在る方が美久里地区193号墳です。
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この道の左手にもかつては墳丘が在りましたが、現在見られる地膨れは全て農作業によるモノのようです。

主体部不明墳丘とされてますが、直径約9m、高さ約2mの墳丘の上には天井石と思われる巨大な石材が露出しており、樹木の成長でやや浮いている様にも見えます。
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北東より見てます。以前はこの左側から奥の墳丘群にも抜けられたそうですが、現在は墳丘上の主体部も確認が困難な藪状態です。
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その奥に15mくらい離れて在る美久里地区194号墳です。193号墳を見てる間に隣接する農地の所有者の方が出かけられてしまい、北西より遠望しています。直径約8m、高さ2m弱の円墳で、隣接していた小円墳群は農地になりましたがここだけは所有者の方によって綺麗に管理されてます。
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ここから右90度を向いてたら綜欄では119~122の番号を振られるも林になって実数不明とされる円墳群が残るとされます。実際に調査で数えられなければ道路からは目視も出来ないだろうと撮影もしなかったのですが、グーグルマップのストリートビューで見えるマウンド(?)がそれらなのでしょうか・・・?

この2基を中心に周囲の現在民家が建つ場所や農地で円墳が確認されてる他に、県道下や市立美久里西小学校旧校地では三本木A~D号墳や小学校校庭古墳などが纏めて調査されてます。1960年頃までの航空写真にはそれらの多くも綺麗に写ってます。

ただ国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで昭和48年4月12日に撮影された航空写真(USA-M912-84)で現小学校所在地の南側を見ると20基以上の墳丘が所狭しと並んでいるのが見えます(転載可の非拡大画像では全然見えません・・・)ので、まだまだこれから確認される古墳は増えるハズです。

藤岡市神田・三本木古墳群清水支群

清水支群は神田・三本木古墳群の西端で、ふるさと通りの西側で県道176号線と三名川の間に分布しますが、河川工事で南側の墳丘群は消え、1基の円墳と半壊の円墳各1基づつを畑中に残すだけになってしまった様です。

美久里地区206号墳を東より見てます。清水支群としては北端に位置する墳丘ですが基部を残して殆ど削られてます。
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手前(東面)に厚めの板石が立ち左奥(南面)にも巨石が見えますが、墳丘を均した後植樹もされている様子からは持ち込まれた庭石の様に感じられました。

西より見てます。直径約8mの円形の基部が残りますが、元からこの規模だったのでしょうか・・・?
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奥に見えるふるさと通りを右(南)に1km弱進むと美久里244号墳の近くに出ます。

南南西に並ぶ美久里地区207号墳を北東より見てます。神田・三本木古墳群として見ても跡地も含めて西端の墳丘になりますが、2基の北西およそ60mの分布域外に高さの無い直径約12mの非耕作地が古くから航空写真等で確認出来、古墳址の様に見えます。
mikuri207ne.jpg
東面は礫が多く見えるものの露出してるとされる石室は判りませんでした。

北西より見てます。直径約8m、高さ約2mの円墳です。
mikuri207nw.jpg
奥の木立が現在の河川敷で少し前までは6基の円墳が残っていたそうですが、2000年頃にもっと奥の太陽光発電所付近で蛇行していた三名川の流路を改良して北に移した際に消滅した様です。

ふるさと通りと県道176号線の交差点に在る高まりは分布域から離れているものの電柱の基部とも思えない怪しい佇まいでしたが、元は北から続く尾根の先端部が県道で分断され、東西を道路と私有地で削られた残りだったみたいです。
mikuri?
中央に上の2基が並んで見えます。
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