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高崎市綿貫不動山古墳再訪

もう一年前になってしまうのですが古墳探訪記さんが綿貫古墳群で木の伐採が行われた事を記事にされてたのを拝見していて、今までの高崎市の墳丘は全部一日で周ったため1基づつをしっかり撮ってない事もあったので初冬の不動山古墳を撮影しました。

前回群として記事にした際以降の新発見は無いみたいなので、撮ってない角度も巡りながら見て行きます。まず南西より見てます。
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下から不動尊堂に石棺の覆屋までも丸見えになってます。

東より見てます。参道の途中へ上がる坂は元から有ったのでしょうか・・・?北面へのスロープはそのまま前方部上へ続いてました。
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一部に金属で擦った様な跡の見えた参道下の説明板も修復されてます。
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やっつけで繋げて見ましたが真横からのアングルで見てます。バス停の横の祠は以前は全く気付きませんでした。
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冬場でそう見えるだけかもしれませんが、周溝跡も整備されて見えます。
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削られた前方部の上より後円部を見てます。切り株の見える辺りが前方部の本来の高さでしょう。
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手摺の奥で枝葉の陰で見難かった参道の階段脇の解説板は少し移動してるように見えますが気のせいでしょうか?
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階段上に立つ史跡記念碑です。
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その記念碑が立つ南端、不動尊堂の建つ中央、土塁状に削り残された北端の3段になってる後円部墳頂もすっかり見開けてました。
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なので後円部墳頂から前方部を見下ろしてます。下から見るのと違ってくびれ部が一部残っているのが良く分かります。
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石棺の覆屋周囲もこんな感じで、見開けた分逆光になってしまった立て札だけは手持ちの機器では真っ黒に写ってしまいました・・・。
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以前はくもの巣だらけだった石棺も綺麗になってました。
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筑西市小栗丸山古墳北側の古墳?

小栗丸山古墳探索時に地元の方のアドバイスを頂き、天満宮裏で5m幅くらいのハイキングコースが有るらしい北東側の尾根筋から近付きました。今昔マップさんで傾斜量図と比較してれば良かったのですが、地図上だと等高線がまばらで北側の高まりと併せて前方後円墳状に描かれてるので、尾根を下って最初にぶつかったこの高まりが小栗丸山古墳の後円部だとすっかり思い込んでしまいました。
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実際は墳丘とは別の北西向きの瓢箪型にも見える高まりで、現状誰にもここは古墳と認知されていない様です。

古墳と思って登ってみると頂上は円形の平面になってますが、斜面も尾根沿いの地形とは異なり丸く整形されてる様に見えます。
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この後南西に下って真の小栗丸山古墳を見つけるまでは気付いてませんので、北東面は見下ろしませんでした。

頂上にはやや大きい角石が横たわり、その付近が掘り返されたみたいになってました。
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頂上から南西側斜面を見下ろしてます。倒木が激しくて見通せませんが、わずかに見える平面(?)の先に前方部が有るつもりで撮影してます。
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真ん中が道状に見えますが、ハイキングコースは南東側裾部を抜けていたようです。

南西側に下りて180度振り返って見てます。二段築成に見えますが、撮影時は規模に疑問を抱きつつも前方部越しに後円部を見てるものと・・・。
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この段差はレーダー画像でも目立たないのですが、人工的な造りにも見えてしまいます・・・。

頂上だけでなく斜面の至る処に割石が見られます。何ヶ所かは割と最近どなたかが調べたみたいで落ち葉を掻いた跡が見られました。
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太田市の八幡山古墳も川原石を葺いていませんでしたが山上で小貝川よりはかなり高い場所なので、川原石を運ぶよりも近くの岩盤から調達したって事は無いでしょうか・・・?

GUNDAM FACTORY YOKOHAMA

横浜ベイブリッジを背景にして山下埠頭に、7年前に始まったGUNDAM GLOBAL CHALLENGEで目指す「動く実物大ガンダム」が実現して昨年末より公開されてます。コロナ禍の為度重なる緊急事態宣言とまん延防止等重点措置が続いてしまってますが人数制限で対応しつつ、来年3月まで続く予定です。

横浜マリンタワーの前に在る山下公園駐車場など各所に告知ポスターも掲示されてます。
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オフィシャルHPと同じグラフィックで、実際には見られない角度・光景です。

今回の実物大立像は12年前に造られお台場や静岡で展示され、首が動いたり排気演出の有った先代のRX-78-2 ガンダム Ver.G30thや
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現在お台場ダイバーシティに立っていて変形機構を備えたRX-0 ユニコーンに続いて3体目になり、初めて全体での稼働演出を行っています。
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ちなみにこのユニーコーンは建築基準法に基づき全高の変わる変形は認可されませんので、完全なユニコーンモードにはなりません。

会場は山下埠頭の氷川丸の右隣りのエリアで山下公園から入ることが出来、入場待機列スペースの奥で区切って有料入場制になっています。
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左から退場口・チケットカウンター、入場口、イラスト挟んで右側に場外グッズ販売場となってます。

入場口で入場特典として(なくなり次第終了)1/200スケールのプラモデルを頂きました。
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簡易再現のドック付きで、当日券売り場裏のインフォメーション前に素組完成品が並んでます。

毎時00分に起動実験演出があって、その前はドックに格納されてる状態です。
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ドック右側の5・6Fには予約制別料金で、人数は限られますが動くガンダムを間近で見られます。

格納中は搭乗用・整備用のブリッジが前面を塞ぐ演出です。
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このガンダムは設定上はアムロの乗った機体ではなく、正式にはRX-78F00 ガンダムという機体番号で宇宙世紀の未来に発見された記録の無いパーツを検証・再構築して建造したMSという事になってます。

カウントダウンの後にブリッジが開き機体と支持台車がせり出す約8分の起動実験の演出で、ポーズをとったら次の演出まで固定されます。
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左下にちょこんと氷川丸の船首が見えてます。

可動箇所は指以外で25ヶ所で、金属製のフレームにカーボン樹脂製の外装を取り付けた本体の総重量は25tに達します。
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各所をアップで見ます。コクピットハッチは起動演出開始時の少しの間だけ開閉し、アムロ風のパイロットが座ってます。ハッチ上の小型カメラは入場口横のアカデミーと5G通信で繋がれ、生で画像が演出に使われます。
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腰フロントアーマーは若干開いていて、設定上では本来無いハズのケーブル等が露出してます。これは脚を上げた時に接触しない様に連動して逃げる為の駆動用だと思います。
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ユニコーンと同様法令に基づいて動かす為にドック内のスタンドと腰部背面で接続されてるので、構造上ほぼほぼ見えないランドセルです。
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ここだけはアニメではなく先代立像のデザインを踏襲したみたいです。

太腿は上げる際に前半分と後ろ半分で装甲がスライドする演出があり、1/100のキットでも再現されてます。その左はガンダムを懸架する支持台車の機体を上下に動かすアームです。
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この後毎時30分に約5分間の格納演出があり、元の状態に戻ります。夜間はこれに照明による演出が加わります。

ガンダムドックの向かいの建物は「GUNDAM-LAB」と呼ばれ、1Fは入退場施設・インフォメーションのほか屋内展示場の「ACADEMY」、グッズ売り場の「THE GUNDAM BASE YOKOHAMA Satellite 」となっていて、2Fには連動企画向けの「CONFERENCE ROOM」が在り、「GUNDAM Café YOKOHAMA Satellite 」で限定メニューを楽しみながら演出を観られます。

印西市吉高三角作古墳群(その5)

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最後に分布域一番北の部分を見ます。吉高古墳群としては第3~4支群に含まれるほか、ここも十三仏古墳群という括りにも含まれてます。

林道と坂の合流点から100m程北上すると左手道路沿いにやや高いマウンドが見えて来ます。三角作2号墳です。
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年中笹に覆われていて写真には撮りにくいのですが、肉眼ではハッキリ墳丘が見えて来ます。

北東より見てます。直径16m、高さ5mの円墳とされますが、林道以外の場所との比高差は約2mです。
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未調査ですが埴輪片が採集されてます。

かつては墳頂に何か祀られていたのか、北側に生えてる杉2本の間に向かって墳丘が削られて上り口になってた様に見えます。
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そのすぐ北に三角作1号墳が在りますが、林道からやや離れて南側からだと殆ど見えず通り過ぎる辺りでようやく倒木などの奥に墳丘が見えて来ます。
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北より見てます。直径10m、高さ2.5mの円墳です。
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手前の虫みたいな気持ち悪い倒木は何年も放置されてて撮影の邪魔なのですが地主の方も入って来てはいないみたいです。

2つ上の画像の様に林道から見ると墳丘上には石碑か何かが立ってる様に見えたので、ぐるっと回って西面から上がって見たのですが、狭いやや平坦になった墳頂には何かを祀った痕跡すら見られませんでした。
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この2基は吉高古墳群では第4支群に含まれ、1号墳には7、2号墳には8の番号が振られてます。

そこから50mちょっと北へ進むと右手に林道で削られてるマウンドが在ります。分布図上では羽黒1・2号墳が並ぶ場所で吉高古墳群では5・6の番号を振って第3支群に含まれますが、石棺が出てた2号墳は平成のはじめの確認調査で見つからなかったとの事で、羽黒1号墳だと思われます。
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周囲より2m程高いマウンドですが、恐らく元は電柱の左に墳丘が続いていて径10m以上は有ったものと思われます。羽黒1号墳は径12m、高さ2mの規模とされます。

そのすぐ北の変則五差路には祠と石祠が並んだ場所が在って道が円形に避けていて古墳の址かもしれない雰囲気を醸し出してます。訪問時は何故か交機の白バイとツーリング中の自転車しかいなかったので誰にも詳しくお聞き出来ませんでした・・・。
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この北東には宗像神社横を通って国道464号線(宗吾街道)へと下る坂になっていて、その東側に家老地1・2号墳が在りましたが大きく台地が削られていて、地形ごと消滅した様です。

印西市吉高三角作古墳群(その4)

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林道と合流する坂の東側の台地縁にも2~4基の墳丘が集まってるとされてます。自分が見た現状はこの図の通りなのですが、資料によって前方後円墳の向きが逆だったり、全て別個の円墳としてたりとここも情報がバラバラです・・・。

坂を挟んで仮称Cのすぐ東北東に在る羽黒3号墳を南西側の坂より見てます。坂が切り通して下がっているので実際の倍以上の高さに見えます。
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直径10m、高さ1mの円墳ですが、そもそも吉高の羽黒古墳群は円墳2基で構成されるとしこの墳丘以南を三角作古墳群に含むとする見解も有ります・・・。
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その南東およそ25mには板石塔婆堂が建ってます。
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お堂でしっかり保護されてる南北朝時代の板碑は市の有形文化財に指定されてます。
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お花も供えられこまめに管理されてる様ですが、堂内は暗く板碑の彫刻も浅いので何が彫られてるのか見学者には全然見えません。

解説板も設置されてます。触れられてませんが、どうしても古墳から出た板石の流用の可能性を考えてしまいます。
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お堂の東側の台地縁に在る羽黒4号墳を後円部西側より斜めに見てます。この右手お堂の前から坂へと下る参拝道が有るのですが墳丘真横では低くなり過ぎて墳形が全然見えません。
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南南東向きで全長25m、高さ3.5mの前方後円墳に見えますが、上記の通り見方は様々です。

前方部より後円部を見てます。高さがほぼ同じで未発掘の為、意見が分かれるのも頷けてしまいます。
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後円部で180度振り返って前方部を見てます。資料によってはこの左手に径8mの円墳が書かれてるのですが、この通り墳丘の法面のまま下がる地形に現状はなってます。
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その分細く見えるのでこちらが前方部と思うのですが、かつてはもっと左側に墳丘が続いて後円部に見えたのでしょうか・・・?もしくは真っ直ぐ先、現状は削られて民家になってる場所は戦前は尾根状に台地が伸びていたみたいなので、そこに円墳が在ったのか・・・?

羽黒4号墳とほぼ同じ標高で羽黒3号墳より一段低いお堂の背後もマウンド状になっており、お堂で削られた円墳に見えます。
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資料によってはここが前方後円墳の後円部で、上の後円部とする画像の高まりが同一墳丘の前方部で、その南の高まりは独立した円墳とする見方も有りますが、現状で見る限り多少の地形変化を考慮しても、チョット無理が有ると考えざるを得ません。

北西より見てます。奥に解説板が見えますがそこから右に折り返しつつ下る道になっていて、北側台地上の林道へ抜ける進路にわざわざこのマウンドを盛ったとも考えにくく、板石塔婆よりも古い高まりとして存在していたのではないでしょうか?
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墳頂(?)の様子です。羽黒3号墳のすぐ南側の一段下がった場所で位置的には怪しいのですが、円墳の南東面に露出した主体部がかつて在って、塔婆に転用して後にお堂が建てられた様にも思えます。
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ここまでが吉高古墳群の第5支群とされ、羽黒3号墳には9、羽黒4号墳には10の番号が振られてます。

もう一回続きます。

印西市吉高三角作古墳群(その3)

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三角作3号墳と後日紹介する三角作2号墳の間には墓地が営まれ、墓石の横などにマウンドが見られます。広く周辺の古墳分布状況を載せるとこのエリアは密になるためか分布図等では省略され(?)、1基づつデータを並べてる吉高古墳群のリストにも載ってなかったりするのですが・・・?

三角作3号墳の北東20mに在る仮称Aの墳丘を南南西より見てます。
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墓地と畑の境目で削られずに残っている印象ですが、墓地は割と新しくて林道西側の樹木を切って造られていて、墓地の敷地は前方後円墳と円墳が三角作3号墳と直線状に並んでいたかの様な地割です。

北東より見てます。直径約5.2m、高さ約1.5mの円墳です。もしかしたら25m級の前方後円墳の後円部の残存部かも・・・?
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現状の規模が小さく確認もせずに古墳と認識されない事は無いと思いますが・・・

ここだけ埴輪片が幾つも転がってます。この個体は多分撮影半年後に古墳探訪記さんでふっきーさんが手にとって裏側を見せて下さってる破片だと思います。
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墓石を挟んでそのすぐ東に在る仮称Bのマウンドを南西より見てます。径も高さも仮称Aの半分程の小マウンドです。
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北西より見てます。こちらは遺物も見えず塚っぽい様相ですが、電柱やら進入路で削られる前はもっと大きい規模だったのではないでしょうか?
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2基の北東およそ50m、林道が南東から上がって来る坂との合流点の南側に在るマウンドです。資料によっては三角作4号墳として南西向きの前方後円墳としてたり、西向きや南東向きで記載してたり、円墳だったりと情報がバラバラです。ここでは仮称Cと呼ぶ事にします。
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個人的には南西向きの前方後円墳がもう1基在ったならそれは現在の墓地で、南東向きの前方後円墳はもっと東側の台地縁の墳丘の誤記だと思います。2・3号墳の間が4号墳というのもしっくり来ません・・・。

東より見てます。直径約10mの円墳の東側を直線状に削って古い墓地が営まれていた様に見えますが撮影位置も高さ1m強の微高地となってます。
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直径約15m、高さは東西を掘り下げられて良くは分からない規模ですが、刈又1号墳(径13m、高さ2m)はここの可能性も有るのではないかと思いました(分布図では仮称Bの南側辺りで表記)。

続きます。

印西市吉高三角作古墳群(その2)

刈又5号墳の前から北へ進み右へと下り始める所で左から真っ直ぐ北へ進む林道に入ります。
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ここから北の墳丘は十三仏古墳群とも纏められるほか、吉高古墳群の第5支群に含まれます。

間もなく右手の道端に小さいマウンドが見えて来ます。三角作6号墳と思われます。
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この奥に北西向きで全長28mの前方後円墳である刈又3号墳が記載されてるのですが、地形ごと失われてるのか見えませんでした。

通過して北西より見てます。直径5m、高さ1mの小円墳です。
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墳頂には金剛愛染明王の彫られた二十六夜塔が建てられてます。
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これも林道を背にして印旛沼(現在は埋め立てられて印旛捷水路)側の斜面を向いています。

更に北に進むと林道が木立を避けて右にカーブしてますが、その左手に木立の中に入れる場所が在って突き当りに石祠と青面金剛像が祀られてます。
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90度左を向くと木立の中にマウンドが見えます。これは三角作3号墳の後円部の東面になります。
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上の石造物は視界の開けない墳丘上から降ろされたのでしょうか・・・?

木立の外に出て西より見てます。南西向きで墳長17m、高さ2.5mの前方後円墳です。
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軸線方向なので前方後円墳には見えませんが、北側の墓地からは墳丘裾部が良く見えてます。
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前方部も後円部も上がれませんので前方部南西隅部より最も前方後円墳らしく見える墳丘西面を見てます。
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資料によって前方部を2mの高さとしてる場合も有りますが、現状は1m強程の高さで、倒木が積み上がってます。

林道挟んでそのすぐ東側の台地縁に在る刈又2号墳を西より見てます。
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邪魔な倒木は3年前もそのまんま有った気が・・・。

北西より見てます。位置的には2号墳と思うのですが、規模的には直径13m、高さ2mで刈又1号墳である可能性も有ります。
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吉高古墳群としては三角作6号墳には19、三角作3号墳には16、刈又2(1)号墳には13(12)の番号が振られてます。

続きます。

印西市吉高三角作(よしたかみすみさく)古墳群(その1)

京成スカイアクセス印旛日本医大駅の東およそ2.5km、印旛沼の北西側の台地上で今の時期観光スポットとしても有名な吉高の大桜(今年は他の桜と同じく開花が早くてもう花は散ってしまい、コロナ禍のため桜まつりも無料バスの運行も中止になりました)、民家の並ぶ谷津を挟んだ背後の台地は印旛沼を見下ろせる場所で多数の古墳が築かれました。
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(観光客で賑やかなこの画像は数年前のものです)

経緯は不明ですが該当エリアの古墳群は吉高羽黒・三角作・若作・刈又・立田台などと細分された為に一部混同も有る印象なのですが(ちば情報マップだと7基が羽黒3号墳表記です)、ここでは統合されたとする表題古墳群部分を、大桜の西側も含めたコの字形の台地上を吉高古墳群として一つに纏められた資料を基に照らし合わせてみたいと思います。
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いつものやっつけ地図で分布域を南から見ていて、赤が確認出来たマウンド、青が発掘で確認された埋没古墳です。

国道464号線(北千葉道路)から県道12号線に折れて大桜に向かい(桜まつり開催時は車両規制が有り、通常でも交差点が大渋滞するので駅からタクシーに乗るとまず南の県道65号線をぐるっと迂回されます)、大桜手前の陶器屋さんの看板の出てる丁字路を右折して坂を下り切り、三叉路の右の道を上がって北上すると立田台1号墳が見えて来ます。
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現状一辺10m程の方墳に見えますが、直径6m、高さ約0.5mの円墳とされます。墳頂の奥側が土盛りされ(もしくは木の根?)、農地は掘り下げられてるのでもっと高く見えます。隣接する立田台第二遺跡の報告書では軸と言う言葉も出てきますが・・・?

北東より見てます。左手の畑で墳丘に並んで立田台第二遺跡SM01号墳が見つかってます。1号墳周りは発掘されてないので19m×14mの長方形墳と考えられてますが、南向きの前方後円墳としてくっついていた可能性も考えられてます。
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径28mの2号墳はおよそ200m離れたスカイアクセスの南側で消滅した立田台第一遺跡内で、同じく消滅してます。

墳頂には印旛沼(現在は埋め立てられて印旛捷水路)の在る南東を向いて勢至菩薩像と石祠が祀られてます。
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先程の三叉路の真ん中を進んでも、後方の道に出て結局合流します。

SM01号墳からは2ヶ所の主体部が見つかり、南側の石棺が市立印旛歴史民俗資料館内に移設・展示されてます(撮影は要申請)。北側の石棺は抜き取られてました。
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L1.82m×W0.8m×H0.8mの雲母片麻岩を組み合わせた石棺の中から6体分の人骨が見つかり、展示場ではイメージとして一部を再現しています。天井石は省略されてますが南端の一枚だけ(この向きだと奥側)追葬の為に粘土で隙間を埋められてませんでした。

側面に解説パネルが貼られてます。副葬品はあまり見つからず、勾玉のほか玉類や須恵器片などが出土し7世紀後半の築造と推定されてます。
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SM01号墳の南の三叉路近くには径20m級のSM02・03号墳が見つかり多くの円筒埴輪や須恵器・土師器が出土したほか、径10m級のSM04号墳、一辺7.4mの方墳のSM05号墳も検出されてます。

120m程北東へ進むと右手に直径約20m、高さ約1.5mの円墳が見えて来ます。規模からして、刈又5号墳と思われますが、手前に在るはずの径約30m、高さ約2.5mの同6号墳は見当たりませんでした。
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北西より見てます。ここまでの墳丘は若作古墳群として纏められられてるほか、吉高古墳群の第6支群としてここは21、立田台1号墳には23の番号が振られてます。
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墳頂にはやはり印旛沼を向いて大日様が祀られてます。
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続きます。

栄町龍角寺古墳群(その1) 浅間山古墳

龍角寺古墳群はJR成田線下総松崎駅の北方およそ1.5mnの台地上周辺に分布する大規模な古墳群で、6世紀前半に造営が始まった後、首長が変わり勢力が公津原古墳群から移って来て多数の古墳が築かれたと想定されてます。

風土記の丘内の房総風土記の丘資料館(長期休館中)玄関前から竜角寺へと続く白鳳道と言う古道を北に向かって進むと県道18号線(成田安食バイパス)のバス停に出られますが県道に出ずに、左手の坂を下って県道を潜ります。
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時期によっては県道下のトンネルを抜けると倒竹で進むのも困難な場合も有るみたいですが、100mちょっと坂を上がると後円部の東側に出ます。これが浅間山古墳と呼ばれる龍角寺111号墳です。
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ここに解説板が設置されてます。常時見られる浅間山古墳の解説はここだけです。
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後円部の裾部に沿って左手に進みくびれ部南東面より墳丘を真横から見上げてます。群中最大規模で、7世紀前半に周辺では最後に築かれた前方後円墳と推定されてます。
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南西向きで墳長約78m、高さ現状8mの前方後円墳で、左が前方部で右が後円部なのですが、日が当たってる石室前庭部がほぼ重なって後円部が良く見えてません。周溝も含めた全長は90m以上とされます。

先程の階段を上がった後円部墳頂には浅間社が祀られてます。手前の踊り場の少し下が元の後円部の高さです。
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こことは別に後円部北側裾部には八坂神社の祠が祀られています。

後円部墳頂より前方部を見てます。
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近年は町によって墳丘上の草刈りが行われ墳丘上が見易くなりました。
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くびれ部より見た後円部も以前はこんな感じでした。
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草刈りされて後円部南側を周って前方部上へと行く獣道もサッパリしました。
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浅間社が建つ際に1m程土盛りされて高くなっていて、大生古墳群の鹿見塚古墳みたいにちょこんと後円部上段が飛び出てる印象です。

180度振り返って草刈りされた前方部を見てます。緩い勾配で先端が高くなっていて、先端の高さは後円部の元の高さとほぼ同じです。
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前方部先端付近より後円部を見てます。
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休館中は見られませんが、2018年に風土記の丘内の房総風土記の丘資料館1FにL6.7m×W2.3m×H2mの石室の原寸大レプリカが造られました。
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オリジナルは筑波産絹雲母片岩(筑波石)の板石組横穴式石室ですが、レプリカは天井石・側壁・奥室などは強化プラスチック製で、中に入れる前室床面はプリント再現です。

奥室内に造り付けられ、盗掘の痕跡が窺えないのに中は空っぽだった石棺も再現されてます。
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こことは別に前室に関東では大変珍しい漆塗りの木棺が据えられていた事が判明しています。

再現されたのはほぼこの図の範囲で、羨道の一部が省略されてます。前室・奥室には左壁に大きい覗き窓が設けられ履物を脱いで石室内に入らなくても見学出来ます。
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石室内や周囲からは金銅製冠飾をはじめとする装飾金具の他、刀類・飾り弓・鉄製小札・馬具・鉄鏃・鉄釘などが出土し、千葉県の有形文化財に指定されました。

すぐ横には色の付いて周溝などの見易い実測図・断面図のパネルや、
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解説パネルも設置されてます。
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東松山市野本古墳群(後編)

野本将軍塚古墳から南側の県道345号線を東におよそ1km進んで、ちょうど信号と信号の中間辺りの地蔵尊が在る横の道を斜めに左折し、250m程進んで坂を上がり切るぐらいの右手に5号墳が在ります。
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直径15mくらい?、高さ2mほど?の円墳ですが、公式には規模不詳となってます。

ちょっと北側より見てます。ここだけ厳重に鉄のフェンスで仕切られていて、通りすがりのご近所の方の話では学術的調査だろうが立ち入りが許可されないのでは?との事でした。
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ここの西北西およそ250mの畑中の木立は半壊の4号墳が残るとされてますが接近できず、遠目ではどこから見てもマウンドが残ってる様にも見えませんでした。

北へ進んで突き当りを東へおよそ200m進むと、道路で削られてる7号墳が右手に見えて来ます。直径約20.5m、高さ約1.8mの円墳です。
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削られてる道路側以外を見ても墳丘はかなり小さくなってるみたいで、径15mも無い様にしか見えません。

通り過ぎて北東側より見てます。右手奥のゴミの奥に径16.5mの6号墳が在りますが、訪問時は全然見えませんでした。
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7号墳の東に20mほど離れている8号墳を南より見てます。手前の藪も道路よりは高いのですが以前は建物が建ってたらしく、恐らく墳丘は植樹されてる奥側のみの現状長軸約14m、短軸約8m、高さ2m弱の角が無い長方形になってます。
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北東より見てます。墳丘上の樹木が取り払われて土が流れ易くなってるのか削られてる面もなだらかに続いてしまっていて、北側の民家も土留めしてるみたいです。
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