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石岡市鹿の子大塚山古墳

茨城県石岡市にある直径約28m高さ4.6mの円墳です。周囲には幅約9mの周溝が確認されてます。
さして大きい規模でもなく、凄い出土品が出た訳でもありませんが、昨年市の指定文化財となり、その経緯が平成30年度の第4回文化財調査報告会で説明されましたが、会場の常陸風土記の丘からすぐの場所だったので、お昼休みに抜け出して現地へ行って来ました。

まず南側から全景。現在は街中に単独で残されてますが、18世紀初頭の絵図によると、付近には10基程度のマウンドが残っていたと考えられ、古墳群を形成していたものと推定されます。
kanokosouth.jpg

続いて東より。埴輪の出土が無く墳形としては径に対して墳頂の平坦面が小さいという特徴から、墳頂平面の縮小する古墳時代後期中葉以降の年代と考えられ、近くで古墳時代終末期の風返浅間山古墳とは断面形が酷似し(規模はこちらが半分)、円墳から方墳へ移行しだす最終末期前の7世紀初頭から前半の築造と推定されてます。
kanokoeast.jpg

こちらは西面ですが、地元では大塚山と呼ばれ「兵庫頭の墓」で荒らすと腹痛を伴う祟りがあると伝わってます。昭和19年戦車壕に転用しようと陸軍が掘削を始めたところ、隊長をはじめ隊員らが悪夢に悩まされたり悪寒を訴えるなどあったため、作業は中止されました。この抉れてる場所がその跡だそうです。
kanokowest.jpg

墳丘にはこのような破片があちこちに落ちてますが、どれも薄かったりで、なるほど埴輪ではなさそうです。
kanokodoki.jpg

主体部については調査されてませんので不明ですが、南面にこんな石材片が埋もれてました。ちょっと足が触れて動いてしまってますが・・・。
kanokoisi.jpg

場所的には常陸国府のすぐ北西になり、この古墳が出来た後南東に最終末期の方墳が築かれ、その間に常陸国府や国分寺・尼寺や茨城廃寺が直後に出来る、という律令国家への流れの一端を担う古墳として重要性が高まり、史跡指定されました。
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