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陸奥会津若松城(その1)

GWで混雑してるのは明白でしたが、会津盆地まで出向いたので鶴ヶ城とも呼ばれる会津若松城へも行きました。ただ単独行動での見学は出来なかったので、見たい場所の半分も周れていません・・・(´・_・`)。

大手門近くの駐車場を利用しようと思ったら、そのまま大手門へ誘導され北出丸を通り抜けて西出丸駐車場の列に並ばされました。待機中に西大手門土橋より西北角櫓跡を見てます。
turugajonisidemaru.jpg

西出丸に駐車して梅坂と呼ばれる土橋を渡りながら天守を望みます。通行してる人物との対比で枡形の大きさが感じられるでしょうか・・・。
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上の画像を突きあたって右に折れた攻め手をここに西中門の櫓門が迎え撃つ構造でした。
turugajonisinakamon2.jpg

大手門から徒歩で入った人はこの太鼓門跡を抜けて北出丸から直接入って来れます。
turugajotaikomonato.jpg

太鼓門跡から見上げた外観復元天守です。中は若松城天守閣郷土博物館となってます。6層の天守に見えますが、5重の天守で一番下は天守台縁を巡る塀です。
turugajotensyunw.jpg
天守台がかなり余裕の有る広さですが、1593年に蒲生氏が建てた7重の天守が加藤氏時代に地震で倒壊し、幕末の姿の5重天守に改めたと伝わります。(解釈には諸説有り)

天守東面です。天守は入場料を払って右下の切妻屋根の張り出しの下から入ります。
turugajotensyue.jpg
この向きで撮られた解体前の天守の写真が数枚残ってます。ウィキペディアにはその内の一枚が掲載されています。

天守入口から、穴蔵と呼ばれる地階に入ると炎天下でも涼しく、冷暗所を塩蔵として使用していた様子が再現されてます。
turugajotensyuanagura.jpg

天守内1~3階までは撮影禁止でした。4階は窓が開けられていて走長屋と鉄門、干飯櫓が見えます。
turugajominamihasirinagaya.jpg
干飯櫓と門より奥側の南走長屋は2001年に木造で復元されました。

大混雑のまま天守から土産物屋になってる北走長屋(ここだけなら無料)を抜け、木造復元部分に入ります。ここは土足禁止です。
turugajominamihasirinagayainside.jpg
建物的にはこちらの方が見ものなんですが、天守とうって変わって人がいません・・・。左の部屋は往時は武器庫でした。

走長屋から干飯櫓へ上がる階段です。
turugajohosiiyagurairiguchi.jpg

干飯櫓南面、水濠に面する場所には石落としが有り、石を用意して待ち構える様が再現されてますが、実際は武器や熱湯など様々な手段が採られました。
turugajohosiiyaguraisiotosi.jpg

古写真などを元に復元された干飯櫓です。天守以外で最も大きい櫓で、往時は兵糧の貯蔵に使用されてました。
turugajohosiiyagurae.jpg

右を向いて鉄門越しに天守を見てます。四方を水濠で囲まれた曲輪内は走長屋で本丸と帯廓に隔てられ、鉄門(表門)と天守右奥に在った裏門の二ヶ所が開いてました。
turugajotensyus.jpg

最も紹介される事が多い南東から見た天守です。天守から鉄門までは昭和35年に鉄筋コンクリートで建てられ、黒瓦を使用してましたが、東日本大震災直前に木造建築に合わせて赤瓦に変えられました。
turugajotensyuse.jpg

続きます。(下に何故か表示される記事の続きはありません)

追記:陸奥白河小峰城(その1)に道場門跡
  :陸奥白河小峰城(その2)に太鼓櫓
   を追記しました。

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