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行田市埼玉古墳群(その6)

鉄砲山古墳のすぐ南西に在る奥の山古墳を西側外堀内より見てて、左が後円部で、右が前方部になります。
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草に覆われて見難いですが後円部手前に造出しが有り、大変珍しい小さな壺が幾つもくっついてる子持ち壺が出土してます。(11月14日までさきたま史跡の博物館にて展示中)

少し南から見ると鉄砲山古墳が重なって見えます。四角形の二重の周溝・周堤が有りますが鉄砲山古墳の外堤を避けて北側は斜めに歪んでいます。
sakitamaokunoyamasw.jpg
墳長66.4m、高さ18.8mの規模で、将軍山古墳と同じ方位を向いて築かれているので、この2基は直線状に並んではいませんが、地元の郷土史家の清水雪翁は実地調査に基づき、この2基を繋いで石田堤の一部としたと考証してます。

足元に目を向けるとそこには内堀の南西隅をブロック表示してあります。
sakitamaokunoyamashuko.jpg

東側外堤の上より見てます。くびれ部が草で茂っていて、更に前方部と後円部の高さが同じな事もあって不格好に見えます。
sakitamaokunoyamase.jpg
二子山古墳と同様に墳丘の侵食が起こり、外堀も水濠化されてた内堀も埋め立てて芝を張ってあります。

瓦塚古墳や県道北側の墳丘と同じ仕様の解説板です。このすぐ右には中堤外縁のブロック表示が有ります。
sakitamaokunoyamakaisetu.jpg
出土した円筒埴輪、形象埴輪、須恵器などから6世紀中頃の築造と推定されています。

奥の山古墳のすぐ南東に並んで築かれてる中の山古墳を前方部南西隅より見てます。
sakitamanakanoyamas.jpg
ここも二重の周溝が東西と北側で確認されてますが整備はされていません。

前方部南側に立ってる古い文部省の制札柱です。鉄砲山古墳の北側にも立ってました。
sakitamabunkachou.jpg

北西より真横から見てます。墳長79m、高さ5.2mで子午線に対して群中最も東西に傾いてる南西向き前方後円墳です。
sakitamanakanoyamanw.jpg
須恵器や、同じ工法の埴輪壺が出土していて、6世紀末から7世紀にかけての築造と推定されています。

ここも赤くて見辛い解説板です。墳丘東側は市道が通りその先は私有地なので何も描かれてませんが、外堀が戸場口山古墳の外堀で切られてる事が判明してます。
sakitamanakanoyamakaisetu.jpg
図の位置の他に市道の東側で2ヶ所トレンチを切っただけなので、造出しの有無は不明です。

その戸場口山古墳は大正7年に土取りのため削平された群中唯一の方墳で、一辺約42mの規模でした。跡地は民家になってますが、古墳址見学の撮影を嫌ってか、(それともサービスでか?)ほぼ墳丘の大きさで四角く植樹されてます。
sakitamatobayamaguchinw.jpg
画像下方を左右に中の山古墳の中堤が横切っていて、右端の方で戸場口山古墳の外堀北西の角が食い込んでいました。

跡地を南西より見てます。この道路は墳丘南面に接して真っ直ぐ通っていて、電柱の辺りが墳丘南西隅で、手前が内堀でした。
sakitamatobayamaguchis.jpg
須恵器甕が出土して7世紀前半の築造と推定されていますが、古くには石棺と大刀が出てるとも伝わります。

戸場口山古墳址の工場を挟んで南におよそ200mに在る常世岐姫神社は小さいマウンドに載っており、今でこそ鳥居の基壇が四角付け足されてますが明治時代の迅速測図では参道側が少し突き出た円墳状に描かれてます。
tokoyokihimee.jpg

南側は建物で削られてるものの裏はこの様に今でも円墳状のままです。
tokoyokihimenw.jpg
周囲は古墳時代の遺跡でもあり渡柳古墳群の1基の可能性は高い気がしますが・・・?

続きます。
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