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陸奥棚倉城(後編)

南門址から内堀沿いに東へ進み大欅の場所へ戻ります。

本丸の南側には追手門側と行き来する出枡形(追手枡形)になっていて、南東に張り出してます。
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往時は出枡形の手前の隅に平櫓が建ってました。

大欅の囲いの横から土橋を渡って追手枡形に入ります。
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橋の上からは本丸東側の内堀が良く見えます。朝早かったので噴水が稼働してません。
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堀を渡ると右手に史跡碑が建ってます。かつて堀の中に大きい亀が住んでて、浮いて姿を現すと城主が転封されたと伝わり亀ヶ城とも呼ばれます。
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幕末までに丹羽家→内藤家→太田家→松平家→小笠原家→井上家→松平家→阿部家と藩主が変わってます。

左手は平櫓跡です。パンフレットでは石碑との間に南門と同様の門(一の門)が建ってたとされてますが、追手門と同じく実際は高麗門だったでしょう。
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進入路は右に曲げられて、左右の土塁の間には最後の守りとなる二重の櫓門(二の門)が建ってました。
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櫓門跡に解説板が設置されてます。
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その横には小さく城下絵図が紹介され、板垣退助に落とされた戊辰戦争について書かれてます。
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ここには書かれてませんが、城側自ら火を放ったとも謂われます。

現在の本丸跡です。東日本大震災までは中央に公民館や図書館が建ち、中に復元模型が置かれてました。
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車の通り抜けは出来ませんが、地元の方は今でも中まで車で来てるみたいです。

上の画像左手の階段を上がって本丸南面の土塁の上です。発掘調査され内外に多聞櫓の礎石列が見つかりました。
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多聞櫓はそのまま櫓門の二階と繋がっていた可能性が有ります。

本丸南西隅櫓跡です。椅子やテーブル、石柱を残して発掘され礎石が検出されてます。
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左の石は発掘された隅櫓か多聞櫓の石だと思われます。

本丸西面の土塁の上です。横矢が掛からず100m以上真っ直ぐなので北西隅櫓跡まで見えてます。
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その北西隅櫓跡には東屋が建てられてます。外から見た様にここはちょっと奥まっていて北二門の防御には適しません。
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昨日の記事で土橋の外から眺めた北二門跡です。手前に一の門が建ち、正面の土塁にぶつかって左に折れて櫓門を潜ると本丸なのですが、北西隅櫓跡から土塁の外側を下りてくる通路が右側に出来て、三差路状に見えてます。
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土塁上に戻り進入路を上から見てます。右手電柱の先に本来は土塁が続いてて、向かいの階段の間に櫓門が建ってました。
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こちら側は本丸を囲う土塁の内側で護る内枡形となってます。

本丸北東隅櫓跡です。本丸の隅櫓は4基とも二重櫓で高さが6.3mでした。
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本丸東側土塁の途中、追手枡形よりやや北に離れて内堀に突き出た南東隅櫓跡です。
tanagurajohonmaruseyaguraato.jpg
土塁上を真っ直ぐ進むと史跡碑の横に下りられて、大欅側に戻れます。

見学を終える頃には噴水が稼働していました。
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花の季節、紅葉の季節には大変多くの人で賑わうそうで、史跡にもなってない城跡とは思えないほど駐車場があちこちに整備されてます。
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