FC2ブログ

高崎市倉賀野正六古墳群(その4)

浅間山古墳の後円部南西側から徒歩で粕沢川を渡れる橋を通って坂を上がると、左手に庚申塚古墳が見えて来ます。

少し周って西から見てます。直径43.6m、高さ約5mの円墳です。
kuraganokousindukaw.jpg
数年前まで墳丘は裸で墳頂中央に石祠が祀られてましたが、東日本大震災以後の太陽光パネル設置で現在墳丘はシートとパネルで覆われてます。

南西より浅間山古墳を背景に見てます。民家寄りに1列だけ低いパネルの有る墳丘南端の一部は以前から削られていた様です。
kuraganokousindukasw.jpg
刀剣類多数のほか、銅鏡や土器が出土してますが、伝わる粘土槨と石棺は埋め戻されてるのか詳細不明です。

東国の古代史さん(休止中)がパネル設置前の墳頂の様子などを紹介されてます。

庚申塚古墳の南東およそ500mに在る大山古墳です。上の画像の場所から道なりに南東へ進み、光雲寺のちょっと手前でクランクして右に進むと藪で覆われた墳丘が見えて来ます。特に管理はされてない様で、一年中藪だらけです。
kuraganoooyamanw.jpg
発掘され粘土槨から銅鏡や滑石製石製品が出土し、前方後円墳群に先立つ4世紀末から5世紀初頭にかけての築造とされてましたが、大鶴巻古墳の築造時期が遡った後での公式見解(同時期の築造かもっと早くなるのか)は不明です。

南西より見てます。直径約56m、高さ約7mの県内でも有数の規模の円墳です。
kuraganoooyamasw.jpg
右側(南側)に民家が建ち並んでますが、国土地理院の空中写真閲覧サービスの1975年正月撮影の航空写真では幅約20mの周溝址がハッキリ見えます。(許諾不要の低解像度の写真では見えないので、リンク先のナンバーをクリックして高解像度画像で見て下さい)

南東側茶臼山古墳跡地より見てます。茶臼山古墳は大山古墳の南東に並ぶ同規模の円墳でしたが明治以降に削平されてます。
kuraganoooyamase.jpg
同じ国土地理院の空中写真閲覧サービスの1960年12月の撮影だと墳丘址の丸い痕跡が見えてます。

最初に旧中山道から大鶴巻古墳に向かって曲がった交差点北側には天台宗の安楽寺が在り、本堂の裏に安楽寺古墳が残されてます。境内の西側の道より見てます。
anrakujiw.jpg
手前に向かって石段が有って、一番上の段に見える幅の広い石は産婆さんが胎盤を捨てる胞衣(えな)捨て場です。

山門よりお邪魔して本堂と二十二夜堂の間より墳丘南面を見てます。直径20m、高さ4mの円墳ですが石室の開口部付近まで削られてます。
anrakujis.jpg
主体部は横口式石槨に似た石棺式石室と呼ぶ珍しい形式で、横向きの石棺に羨道が直接繋がる構造で山陰地方で見られる形式です。

石室の壁には鎌倉時代以降に7体の仏像が彫られて寺の御本尊とされ、不動明王像、ネズミ供養塔、胞衣捨て場などは墳頂を開けて立ってます。
anrakujitop.jpg
削られてるのは南側だと思ってみたら、墳頂のすぐ奥で東側も削られてました。

解説板です。12年に一度だけ公開される次の機会は2025年4月になります。
anrakujikaisetu.jpg
7世紀末の築造と推定されて、県の指定史跡になってます。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR