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土浦市坂田塙台古墳群(前編)

武者塚古墳群の南、塙家屋敷が建てられ塙台と呼ばれる台地縁に分布する古墳群で前方後円墳1基を含め、現在までに15基確認されてます。この内12・13号墳は石棺が出たと伝わりますが生活道整備で詳細不明のまま消滅、14・15号墳は農道整備で見つかった埋没円墳で、痕跡は残されてません。

武者塚古墳石室の南南東およそ290m、群東端の1号墳を南より見てて、直径16m、高さ2.5mの円墳です。
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左奥の農道下から人物埴輪や円筒埴輪の出土した直径約9mの15号墳が見つかり、ほぼ同距離で右奥の台地縁では未確定ながら6世紀代に築かれた埴輪を持つ古墳が想定されてます。

南東より見てます。2号墳の所有者の方によると、筑波大学的にはこちらも調査したいものの予算が無くて未だ出来てないとの事です。
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30mほど西に在る2号墳を東より見てます。江戸時代の末に甲冑が2セット出土し、武具八幡古墳と呼ばれてます。
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西より見てます。発掘調査もされてその際にも武具片や須恵器片などが出土し、5世紀後半に築かれたと推定される現状直径約15m、高さ約3.5mの円墳です。
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墳頂には武具発見を記念した石碑と供養塔が並び、石碑碑前には別の板石が寝かせられてます。
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発掘調査では推定武具発見後主体部はほぼ完全に破壊されてるものの石棺の痕跡は無く、木棺直葬の主体部を想定してます。

2号墳から西北西に50mほど離れてる3号墳を南東より見てます。
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南西より見てます。見た目は直径約10m程度のマウンドですが、ここから6号墳は地中レーダーで測量され、それによると長軸13.8m、短軸11.1m高さ最大約2.5mの規模とされてます。
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この辺りは南東へ下る緩斜面になっており、墳丘の左右で地山の高さが1m以上違うのが見て取れます。

4号墳はそのすぐ南の斜面上に築かれた円墳とされますが、長軸約12m、短軸約8m、高さ1m未満の低い高まりが残るのみです。
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北西より見てます。左奥が高まって見えますが、墳丘を避ける様に下る道がかつて造られたらしくその縁が重なって見えてます。
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3号墳の北西およそ15mに在る5号墳を南東より見てます。直径約15m、高さ最大2.24mの円墳です。
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西より見てます。左側に周溝跡らしき窪地が見られます。
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5号墳から15mほど離れて西に在る6号墳を北東より見てます。ここから北西にかけて台地の縁が盛り上がっており、明瞭な墳丘との境は判りません。
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北西より見てます。測量調査の結果右手前の高まりは後世の改変とし、東西約16m、南北最大3m、高さ1mの楕円形のマウンドとされてます。
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7号墳は群中最大の円墳である8号墳のすぐ南に在ります。6号墳よりも更に高さが無く、分布図を見ないと気付かないかもしれません。東より見てますが現状直径約10m、高さ約0.5mほどの規模で台地の縁の高まりに取り込まれつつあります。
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北東より見てます。ここは何の調査もされてませんが、もしかしたら想定外に大きい規模だった8号墳の外縁と被るかもしれません。
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坂田塙台古墳群としては分布図通りにここまで7カ所のマウンドを見られますが、以前武者塚古墳や近隣の現存古墳を坂田古墳群として纏めていた際は4基のみ含められていて、古墳と認める根拠に乏しいとされた4・6・7号の3基はカウントされてませんでした。

続きます。
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