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柏市原遺跡「石函宮」

きつね山古墳群から南南東におよそ850mに在る旧吉田家住宅歴史公園、その駐車場の片隅に石棺が出土したと伝わり石函宮として石祠が祀られてます。発掘調査されてたのは知ってましたがちば情報マップなど県の遺跡分布図では縄文中期の原(Ⅰ)遺跡として土器・石器の出土とあるので古墳は見つからなかったものと思ってました。
sekkankyu.jpg
ところがここから古墳が見つかって報告書も出てる旨を教えて頂きましたので、改めて撮影しに訪問しました。

古墳址を東より見てます。奥に見える石函宮が丸い周溝の南西側端寄りの場所で、遺跡第5次調査で駐車場部分にトレンチを切ったところ幅約3.3m、深さ0.6mの周溝が外縁で直径約25mの規模で全体の2/3が検出されました(古墳ST01)。
sekkankyuST01e.jpg
出土したという石棺は持ち去られ、発掘でも痕跡すら残されてなかったそうですが円筒埴輪や人物・器財埴輪の欠片が出土しました。

北北東より見てます。右手の生け垣の先は事業地外で未調査ですが、杭との間は発掘され北面である手前側では周溝が切れてブリッジが残っている様にも見えます。がその左側(北東面)は周溝の幅が細まっていて判断は出来ない様です。
sekkankyuST01n.jpg
残りの良い部分では周溝の外縁は緩く、内縁は急に立ち上がる断面形状です。

石棺は石函宮の北西側のこの辺りに在ったとされ、場所を示すのかそこだけ2本の杭(柵棒)が打たれてます。
sekkankyuST01syutaibu.jpg
石祠は低い基壇上の高まりの上で、もしかして地中に石棺(材)が埋められてるのかと思いましたが石棺材は残さなかったそうです。

ところが次の第6次調査の際に石函宮南側のこのエリアを確認で発掘する事になり、周溝が石函宮の後ろに向かって回り込むのではなく西側に開いてる事が判明しました。
sekkankyuST01kubire.jpg
更に形象埴輪片が多く出て千葉県内では山田・宝馬35号墳や芝山の殿塚古墳でしか見つかってない靫形埴輪も見つかりました。

南より見てます。これにより円墳ではなく西向きの帆立貝形前方後円墳の可能性が高まり、だとすると石祠から左が前方部で、右側が後円部となり、主体部がくびれ部北面に有るという古墳になります。
sekkankyuST01s.jpg
墳丘が削平されたのは安政年間と伝わり、天保2年に建てられた画面中央奥の長屋門など一部の建物は墳丘と同時期に存在してたんですよね・・・。

出土した人物・馬・靫形等の形象埴輪は6世紀後半の様相を呈しているのですが、円筒埴輪は復元できる個体は無いものの下総型埴輪初期型の特徴を残している事から、墳丘自体は6世紀後半の築造で円筒埴輪は完成品(ちょっと古い在庫品?)を運ばれたと見るのが最も自然なのでしょうか・・・。

なお吉田家にはここからのものと確定されてませんが直刀・鍔・刀子・耳環が保存されてます。お庭を見学した印象では、もし石棺と一緒に出土したなら石棺の一部でも庭に移しそうな気もしますが・・・。
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こんばんは、閲覧者A様。
芝山古墳群はまだ7基しか周ってないので分布域以外全然チェックしていませんでした。訂正しておきます、有難うございました。

こちらの築造時期と遺物についてですが、報告書に掲載されてる円筒埴輪片だけでは、ちょっと自分には細かい時期区分(犬木Ⅰ期固有の特徴とか・・・)の判断までは出来なかったので、下総型埴輪ももう少し時期が早まるのでは説を踏まえて、報告書での円筒埴輪と形象埴輪の時期の整合性についての記述に素人考察で解釈してみました。下総型埴輪完成品配達説を支持してるというのもあるのですが、仰られる様に墳形と遺物の時期を寄せる考察とされない部分まではまだまだ自分は浅学なので・・・。

もし報告書をご覧になってより明確に判断できる点など見つかりましたら是非教えて頂きたいです!(分館はコピー機が無いから貸し出しOKなのだそうです)

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こんばんは、閲覧者A様。
下総型埴輪の特徴の内他域で見られないモノと絡めて分類すると基本的に造りは粗雑とされてるみたいですが、作り手の個人差か丁寧な加工の個体は少なくないと自分も思います(多いとも言えませんが・・・)。私が実物見て判断出来ないのはどの特徴にも例外が見つかってる事で、一段目の突帯も低いのが特徴のハズなのに、仰るようにそうでない下総型もいくつも有りますし、形状は兎も角透孔のナデも特有ではなく他所でも見られます。

現在はまだ出土破片を精査中と思いますが印西市の道作1号墳のくびれ部からも靫形埴輪の可能性の有る破片が出てますが現地説明会後の進捗状況は公表されてませんし、報告書もまだまだの様です。
https://ankenna.blog.fc2.com/blog-entry-467.html

調査数が増えれば器財埴輪ももっと見つかるのかもしれませんが、イコール遺構の破壊でもあるので緩やかな研究の進展でも良い(むしろその方が良いかも)とは考えます・・・。

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こんばんは、閲覧者A様。
道作1号墳はそんな感じですか、でも纏める方も学者でもないですから掛かりっきりにもなれませんし致し方ありませんね。

埴輪の分類、と言いますか今日の記事の瓦質土器もそうですし、それこそ土器に限った事にも出来ませんが作り手が確定できないモノに関しては大まかな系統で認識して細かく分類すべきではないのかもしれません。異論の有る者同士同一個体を見ながら議論しないと一方通行の応酬で終わってしまうのは古墳の墳形や主体部構造なども同じ事ですが、「作り手」がミニマムな世界では土質と明らかに同一の工具による判断以外で正解を求めるのはやっぱり難しいですよね・・・。

掘ってる方も出て来るモノの専門家がやってる訳ではありませんから、曖昧な情報の流出を防ぐ為に情報制限を掛けたりしますので届くべき耳に届いてない情報も多いと思います(都道府県と市町村でも認識の統一は出来てませんし)。昨年川崎で見た下総型埴輪も新発見ではないもののそれまでの破片採集とは量も違いますし、撮影画像のアップが許されてたらそれを見て新たな研究の動きが起きたかもしれません。

報告書に要する時間は長いですがオフィシャルに情報が公開出来るまでやきもきするのも最近は楽しみです。逆に伝承の確かな中世以降の新しい遺物は完品だったりよほど数が多かったりしないと関心が高まらない感じが否めません・・・。

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こんばんは、閲覧者A様。
研究者の方々の間では情報が結構渡ってるのでしょうか?確か梶が谷の方だったかと思いますが出土品を自分は写真も図でも見た事も無いので、どのくらいの大きさのどの部位が確認されてるのかも知りません(もっとも素人が見たところで判断は出来ませんが・・・)し、すぐ近くに埴輪窯も在って西福寺古墳では見つかってるのに・・・と疑問を抱きつつ見る機会が有れば良いくらいの認識でした。

まぁ自分が「下総」に住んでいながら地元では見つかってないので「何故川崎に!」と驚いたので、調査・研究が進んで何か判れば嬉しいのですが・・・。
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あんけん

Author:あんけん
多趣味で統一性のないアラフィフです。

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