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志賀直哉邸跡 書斎

JR常磐線我孫子駅の南東およそ1km、手賀沼を南に臨む台地縁の周りは鉄道開通後高級別荘地になり、近衛文麿元首相や柔道家嘉納治五郎をはじめ白樺派の文人達が移り住みました。志賀直哉もその一人で大正4年から約8年間の最も筆が進んだ時期をこの地で過ごしました。

市役所から台地下を西へ900m程進むと右手に邸宅跡が緑地公園として残されてます。
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敷地の北側には志賀直筆の間取り図を基に推定復元された母屋の平面が再現されてます。
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この様に間取りも壁部分を別な色にして、各部屋割も表示されてます。ただ右側(北側)の崖裾部は今でも湧水する場所で現在は池になってます。
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電気の来てない当時は母屋の北側で横井戸を掘って天然の冷蔵庫にしていたそうです。

推定玄関のベンチの角には邸宅についての説明板が設置されてます。主に建物はこの母屋と東側の書斎、そして台地の上に建てた「離れ」から成ります。
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今も残る斜面の階段を上がって明田古墳の存否を確認出来るかもと思いましたが、離れ跡地に建った民家の庭先に出てしまうので断念しました。

推定縁側の中心には本の形をした説明板で、ここでの執筆について書かれてます。
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住まいの説明板で縁側付近を撮った写真で赤ん坊の次女留女子(るめこ)のちょうど真後ろの客間南西角のベンチには近隣に住み着いた文人達とのエピソードなどが紹介されてます。
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多くの別荘が台地上なのに、崖下のこの場所を選んだ理由に義理の従兄でもある武者小路実篤との交流も挙げられてますが、互いの行き来に舟を漕いでたとは知りませんでした。

母屋の東隣には別棟で書斎が建てられました。床面積約44坪で杉皮葺き切妻造りの木造平屋です。中は六畳間に床の間やトイレが有って、東側に押し入れが張り出してます。
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押し入れ側より見てます。現在は屋根は銅の平板で葺かれ、漆喰塗りの壁は下見板張りに改変されてます。
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志賀の転出後は市内に移築されてましたが昭和の終盤に再移築されて一部改変の上修理されました。旧位置に戻ったとされますが、古写真を見ると現在の様に母屋に対して斜めではなく、並行で南向きに建てられていた様です。

先ほどの間取り表示の右奥に書斎の位置も表示されてます。これは母屋内の別な書斎で、奈良県に現存する旧居にも1階と2階それぞれに書斎が有ります。一説によれば書斎に入る陽を気にして使い分けたとか・・・。
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奇しくもここで完結出来なかった「暗夜行路」の続きを、奈良の方の書斎で15年後に執筆し完結させ、その両方の書斎が現存してる事になります。

書斎の解説板です。志賀本人が設計し、市内で「鷹大工」と呼ばれ名高い佐藤鷹蔵によって建てられた事から市の文化財に指定され、週末のみ公開されてます。
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庭跡の道路側には志賀と雑誌「白樺」で、或いはこの別荘地で関わった人達を相関図共に紹介されてます。
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現在は手賀沼との間に住宅地が出来、湖岸までは400m程の距離に開いてます。
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