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上里町帯刀古墳群(その5)

群の分布域南西部には室町時代の創建と伝わる曹洞宗福昌寺が建ち、境内には数基の円墳が残されてます。近年も建物新築で1基削平されてしまいましたが、情報が曖昧な墳丘も含め6基の円墳が見られます。
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境内南東の墓地の一角に在って帯刀22号墳とも呼ばれる上里町100号墳を北より見てます。
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訪問時には朝早くから新しいお墓(?)の工事が行われてました。

南西より見てます。直径約15m、高さ約2mのマウンドが目立ちますが、墓地に削られつつも南面に高まりが続いていて、直径23mの規模とされてます。
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墳頂の様子です。簡素ながら頑丈なお堂や石碑が建つ広い平坦面になってます。
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北北西に60m程離れていて、帯刀24号墳とも呼ばれる上里町102号墳を南東より見てます。
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現状は南北約15m、東西約10m、高さ約1mの規模です。

北東より見てます。墳丘の左奥の建物の場所にはつい数年前まで上里町101号墳が残っていて、グーグルマップのストリートビューでも石祠を祀られたその姿が見られますが削平されてます。
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もし墓地の分譲が進んだらここも削平されてしまうのでしょうか・・・?

福昌寺の本堂の裏手に在って、帯刀25号墳とも呼ばれる上里町103号墳を北東より見てます。
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元は径4.8mの塚状でした。古墳としてよりも木曾義仲の父で近衛天皇を警護する東宮帯刀先生(たちはきのせんじょう)と呼ばれた源義賢の墓として有名なマウンドです。

少し傾いてますが墳丘上には義賢を祀った五輪塔が建ってます。周囲を石のブロックと欄干で囲われてしまったので、墳丘にはあまり見えないかもしれません。
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すぐ横に標柱が立ち、義賢の墓についてや帯刀の地名の由来が書かれた解説板と清和源氏の系譜図が設置されてます。
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お寺が建つのは没後300年以上経ってからで、付近に古墳しかない時代にわざわざ小さい墳丘を転用したとは考え難く伝承の通り平安時代末期に築かれた塚の可能性が高く思われます。

南西より見てます。斜めに見ると塚状に見えますが、本当に古墳なのかそれとも伝承が正しいのでしょうか・・・?
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そのすぐ北隣に在って帯刀26号墳とも呼ばれる上里町104号墳を南より見てます。
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お堂から墳丘は微高地で続いており、南から見ると低くて目立たないマウンドですが、左手(西側)へは下がる地形になっていて・・・

西側側面から見ると1m程の比高差となっています。
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下段の石が苦悩を浮かべる顔っぽくも見えますが心霊写真ではありません・・・。

北西より見てます。径7.5mの円墳とされますが、現状は四角く削られた南北約15m、東西約10mで102号墳に近いサイズのマウンドで、墳丘上の岩は全て庭石を運ばれたものと思われます。
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記録上の公式数値よりも大きくなってる様に見えますが、前回の記事以外でもこの古墳群に関しては規模・出土物など個々のデータが混同されてるのでは?と思える点が多数見られます。

もう一回続きます。
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